綴り書き 壱ノ六

「佐藤様すみませんね。いい子達なんだけど噂話が好きでねぇ。直ぐに手が止まってしまうんですよ。ところでお嬢様の青鬼見掛けてないかしら? お風呂の時はあれがないと発作を起こしてしまうんですよ」

「あー。それなら――むぐっ」


 曇天は答えようとするヨウムの口を塞ぐ。


「いえ。どこかに落としてしまったのかもしれません。見掛けたらお知らせします。発作とは?」

「詳細は分からないんですけどね。奥様の手作りで背中のチャックにお守りが入っているんだとか。それがあるとお風呂嫌いのお嬢様がお静かに出来ると旦那様が仰っていましたけど」

「青鬼を見つけたら、僕がベルさんへお届けしましょうか?」

「旦那様方は離れにお住まいなんですよ。プライベートな空間に立ち入られるのはあまりお好きじゃないみたいでねぇ。お着きになる前ならお渡しできるかもしれませんけどね」


 年配の従業員潮は軽く首を横に振って、何かを思い出したように口元に手を当てた。


「そうだわ。お手洗いの花瓶の花を取り替えて鏡を磨かないといけないんだったわ。先代様から代々続く言いつけなんですよ。一番大切なのはお客様方に喜んでもらえるおもてなしの真心。人間、結局大事なのは中身だよってね」


 従業員は二人へ一礼して去って行く。礼を返して見送る。


「お前……」

「敵を欺くにはまず味方からと言うでしょ? 恐らく彼女は敵ではなさそうです。お手洗いは右側でしたっけ?」


 言うが早いか、曇天の足は手洗いへと向かっていた。やはり彼は興味深い人間だ。今まで出会った人間たちと毛色の違う彼と行動を共にすることがヨウムも嫌いではないのだ。


 縁に青い三角の装飾のある、緑色の個室の扉が並んでいる。扉の表面が凸凹しており、少し珍しい材質だ。用を足し、手洗い場で花瓶に気付いた曇天が動きを止める。ベラドンナの花畑がプリントされた布の上に人魚の形を摸した花瓶だ。


 活けてある花は活き活きとしており、取り替える必要性は感じない。人魚の花瓶へと目線を合わせ、鏡越しにヨウムへと視線を送る。


「この風景似てませんか?」

「ん? 何処にだ?」


 難しい顔をするヨウムへと呆れたような視線を送って、彼は続けた。


「貴方が撮った写真を見せてください」

「あっ! これ、人魚の夢の像?」

「ええ。そして鏡越しに個室の装飾を見てください」

「山の中に……青い屋根……か?」

「ここの支配人は何か大きな隠し事をしていそうです。それこそ、誰にもバレてはいけない秘密を……」


 手洗いを出ると、支配人の親子がフロントを通り過ぎ、裏口から出て行くのが見える。


「尾けますよ」

「お、おう?」


 暫く尾行すると、人魚の夢の像のある花畑付近で二人が消える。


「やっべぇ。逃げられたか?」

「いえ。気付かれたわけでは無さそうです」


 従業員の言った通り、花畑付近で消えた二人の人影をオロオロしながら探すヨウム。曇天は花畑を調べ始め、二周ほどしてから立ち止まった。


「ここ、歪んでます」


 曇天がその箇所を両手で押すと、鈍い金属音を立てながら景色が切り取られる。鏡だ。鏡扉の奥には、地下へと続く階段が見える。


 曇天は躊躇せず階段を下り始め、ビクビクしながらヨウムが後に続く。時折水の音がする石造りの階段は所々湿っており、先に住居があるとは思えない。


 バタムッ!


 数段下りたところで扉がバタンと閉まり、どうやら閉じ込められてしまったようだ。水の音が少しずつ近づき、大きくなって来る。気温も突然下がり、不気味な呻き声が聞こえ、ヨウムは羽に嘴を埋めながら歩く。


「な、なあ。ちょっとまずくないか? も、戻ろうぜ? オレにはあの呻き声が恐ろしくてしょうがねぇや」

「ただの石鳴りですよ。古い石造りの建物は年月と共に少しずつ隙間が出来たりして、そこを空気が通る度に呻き声のような音が鳴るんです」

「で、でもよ……」

「本来貴方は畏怖される側なんでしょ? 高位悪魔のピィちゃんさん」

「だからちげぇって! オレの名前はビンカマジョール・ペリウィンクル・ボイニクス・ラウム……うぶっ!」


 突然立ち止まった曇天とぶつかり、翼で鼻先を抑えながら、ヨウムも同じ方向を見る。


「一体どうし……って、これ、なんだよ!」


 目の前には透明の液体で満たされた大きな水槽。水槽の縁から液体が溢れ出し、床一面を真っ赤に濡らしており、とても滑りやすい。錆びついた管が何かの機械に繋がっており、管の先には貯水タンクのようなものもある。


「錆? あるいは血液か。どちらでしょう? この液体は温かいですね」


 水槽に近付き、流れ出す液体に触れる曇天。少女の悲鳴に気付き、振り返ろうとした瞬間。頭に激痛が走り、憑いていることで痛みの感覚を共有しているヨウムと同時に石床へと倒れ伏した。


 支配人親子と、鈍器のようなものを持つ、チーフ従業員の潮。会話はもう聞こえない。今にも泣きだしそうな瞳で、ベルがこちらを見つめている。そのまま二人の意識は途切れた。


 目覚めたのは地下牢だった。奥には病室のような空間があり、大き目のブルーシートが掛かっている。曇天とヨウムはその物体へとゆっくりと近付いた。


 そこに居たのは横たわる細腰の女性。逆襟の着物を身に着けている。首には少女と同じペンダントをしており、うなじにはオパール色の鱗が浮き上がる。柔らかそうな肌のあちらこちらは抉れて臓腑が見えているものの腐敗はなく、つぶさに見れば僅かに息があるのも分かる。


 女性が寝返りを打ち、ゆっくりと目を開く。ベルと同じアメジスト色の瞳が印象的だ。彼女の肌に傷の一つもなければ、その容姿は男共を虜にするのに充分過ぎるだろう。


「それ、痛くねぇのか? 生きてるのが不思議なくれぇに傷だらけだな」

「痛いわよ。薬がなければね。でも私は魔女だから大丈夫。若返りの薬から、不老の薬まで作れるわよ」


 頭上のヨウムから、視線を落とし、彼女は曇天へと向き直る。


「あの時はありがとう。どうかもう一度助けてくださらない?」

「知り合いか?」

「いえ。人違いだと思いますが……」

「そうね……これなら分かるかしら?」


 足元の鎖をじゃらと鳴らし、艶やかな黒髪を左へと肩掛けして、うなじの鱗を見せる。女性の足首にも鱗が。ハッとした表情をする曇天。


「この姉さん。商店街の幽霊じゃねぇか? 悪霊になりかけてた」


 ヨウムの言葉を聞いても尚、曇天は応えず、その場を離れようとする。


「時間がないの。どうかあの子を……ベルを助けて? 次の満月に私の薬の効果は切れて、あの子の身体は大人になってしまう。あの人から酷い目に遭わされてしまう前に……お願い……お願い……します……」

「あの人って支配人だろ? このホテルの。おしどり夫婦の旦那じゃねぇのか?」


 俯き、応えない女性。更に口を開こうとしたヨウムだが、物音にはたと動きを止める。


「逃げて! 私のベッドの下。海に繋がるトンネルがあるの。私はもう動けない……あの子をお願い……」


 自分のペンダントを外した女性が曇天の首にそれを掛ける。


「そんな身勝手な……」

「いいから行くぞ!」

「一つ聞かせてください。これは貴方ですか?」


 取り出したスマホの録音された音声を曇天は流し出した。あの、祠の前に居た女の声だ。


『……村……八十……八十b……八十b九十二……魔女……呪イ……八百……二十九……人魚……八百』

 

 女性は目を見開き、大きく頷いた。物音が足音へと変わり、近付いて来るのが分かる。


 「曇天! 急げっ!」



 ――――6――――

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