綴り書き 壱ノ伍

 夕食は新鮮な刺身や涼し気な色の鍋、吸い物や漬物のよくある旅館の和定食だが、真ん中に置いてある花玉子は鮮やかなブルーで美しく、大理石のようにも見える。きっとこれがこのホテル名物の人魚の夢たまごなのだろう。


「ああ。この村の違和感はそういうことなんですね。なんでそれを僕に頼むんでしょうか……巻き込まれる前に帰りたいです」

「あー。お前がそうなるって事はやっぱそっち案件なんだな。怪異のプリンス様」

「不名誉な二つ名つけないでもらえます」


 人魚の夢たまごにはしゃぎ、写真を撮る観光客。花玉子と観光客を曇天は冷めた目で見ている。曇天の帰りたいオーラに微苦笑を浮かべ花玉子を翼で掴み眺めるヨウム。


「これ、どうやって作ってあるんだろうな? 人魚のたまごって本当にこんな色なのかもな。これ食ったら人魚肉の効果出たりしてな」

「ただのゆで卵ですよ」

「言葉遊びの一環だろう。そこはノれよ! もっとオレとコミュニケーションとろうぜ」

「分かりかねます」

「おぉいっ!」


 食事には手を付けず、席を立つ曇天を見上げてヨウムは不思議そうな顔をする。


「食わないのか?」

「お手洗いです。僕は要りません。黄泉の岩戸へ閉じ込められるのはまだ遠慮したいので」

「黄泉の岩戸?」


 立ち上がった振動で懐からベラドンナオイルの小瓶が転がり落ち、曇天は花玉子と瓶を見比べる。突然、注いだレモン水のグラスに花玉子を投げ込む。

 

「何してんだそれ?」


 投げ込まれた花玉子は沈み、ブルーからピンクへと色を変える。


「バタフライピーを使った花玉子ですね。酸性のレモン水で色が変わりました」


 確認すると、小瓶を振って空のグラスに中身を注いだ。小瓶の中身はシュワシュワと小さく音を立てながら泡立ち、グラスに注がれていく。レモン水から瓶の中身のグラスにうつされた花玉子。そちらはグラスの水に浮かんでいた。


「塩水ならゆで玉子は浮くので、確かにこっちは海水のようです。シュワシュワと音もしますしね」

「だから、何してるんだよ?」

「瓶の中身を確認しようと思いました」

「なんでそれを確認しようと思ったんだ?」

「あのヒトの言ったことを確かめただけです。人間の体液が海水と同じ濃度だという説もあるので、本当に液化した人間の可能性もありますが」


 平然と言ってのける曇天。毎回のことではあるが、人間界に馴染み始めた悪魔にとって他の人間と感覚の違う彼の言葉は、時々肌が粟立ってしまうのだ。


「黄泉の……死者の国への入り口……ってことか?」

「ええ。黄泉の食物を口にすると、黄泉の国への永住権を贈られてしまうんです。悪魔ならば当然ご存知ですよね? ピィちゃんはごゆっくり食事をどうぞ?」

「いやいやいや! そんなの聞いて食えるわけねぇだろっ!」


 先に廊下へ出る曇天をそそくさと追い掛けて、ヨウムはいつもの頭上へと腰を下ろす。


「いつ気付いた?」

「この村に着いて直ぐですね。海と太陽以外からは温度や香りを全く感じないんです。あんなに料理が並んで、人も沢山いるのに」

「は、早く言えよっ!」


 少しビビってしまったのか、両足で鳥の巣頭の毛をしっかりと掴むピィちゃんなのだった。

 

「青鬼さんいないからイヤ!」

「いい子だからパパの言うことを聞いてね?」


 少し歩くと、廊下で大声をあげる支配人親子へと出くわした。


「なんか揉めてんな?」


 涙目で嫌がり、父親の手から何度も逃れようとするベル。疲れてしまったのか、声を掛けている父親の瞳は冷たい。


「あのぉ。お取込み中すみません。お手洗いはどちらでしょうか?」

「ああ。佐藤様。お見苦しいところをお見せしてすみません。お手洗いはそちらの角を曲がって右です」

「なあ、嬢ちゃん。何をそんなに嫌がってるんだ?」

「この子はいつもこうなんですよ。子どもの風呂嫌いには困ったものです。ほら、ベル行くよ」


 答えようとした娘の言葉を遮り、強引に手を引いて行く父親。少女は掌を4にして握り込み、俯く。


「ベルさん。僕が青鬼さんを連れて行きますから、お風呂頑張れますか?」


 コクンと頷き、少女は父親と去って行く。


「青鬼のぬいぐるみ、今お前持ってるよな? なんで渡さなかった?」

「ちょっと中身に用があるので」

「中身……って、綿じゃねぇのか?」

「この裏を見てください。短いチャックのポケットには薬紙が入っています。けれど、こちらの長めのチャックは何故か縫い付けてあるんです。それも、かなり丈夫そうな糸で」


 ぬいぐるみを裏返すと、赤い糸で魔法陣の刺繍を施してある。小円と大円の間にはV.E.P.A.Rと五角形の対角線上に刺繍してあるようだ。


「これ、アイツの魔法陣じゃねぇか」

「知り合いですか?」

「まあな。序列も近いし。つーかこの女、マジで食えねぇから気ぃ付けた方がいい」

「……やっぱり明日帰ります」

「おぉいっ! 嬢ちゃんはどうすんだよ」


 微妙な間を開け、帰宅の意を示す曇天に思わず声が大きくなる。


「怪異に悪魔も絡んできたら面倒くさいことこの上ないじゃないですか」

「ああ。お前はそういうヤツだったよ。あの嬢ちゃん。どう見ても何か困ってるだろ」

「貴方って本当、悪魔らしくないですよね。お節介というかなんというか」

「オレはオレだからいいんだよ。お前こそ、もうちょい自信持って周り見ろよ。意外と敵ばっかじゃねぇと思うぞ」

「余計なお世話です。この世で一番煩わしいのは人間関係ですから」


 聞く耳持たず。といったところで答えると、曇天の興味は別にうつってしまったようだった。フロントロビーで若い従業員の女性たちが噂話をしている。


「ねぇ。やっぱり支配人最近おかしいわよね? 前は私たちのこと、下の名前で呼んでたのに」

「それもだけど、前は奥様に娘のお風呂は任せっきりで、奥様が忙しい時は私達にさせてたよね」

「私も思ったー。最近ベルちゃんとの距離近すぎ! まるで監視してるみたいじゃない?」

「奥様が亡くなったって本当なのかしら? 奥様の目撃情報が多発してるんですって」

「やだぁ。幽霊騒ぎ? 勘弁してよ~」


 曇天はピィちゃんへとアイコンタクトを送る。はいよっと言わんばかりに、ヨウムは従業員の元へと飛んで行った。


「よぉ。綺麗なお姉さん方。ここの奥さん相当美人らしいな。一度拝んでみてぇんだが、顔を出すことはねぇのか?」

「やだあ♡ 何このインコ? ぶさかわ~♡」


 黄色い声と共にむにられ、もふられるヨウム。


「綺麗なお姉さん方に愛でてもらうのはやぶさかではねぇんだが、幽霊騒ぎについて話を聞かせてくれよ」

「綺麗なお姉さんだなんて。うれしいな。えっと、奥様が亡くなられたのは数年前って話なんだけどお葬式も内々で行われていて、誰も奥様の遺体を見てないんだ」

「ありがと~♡ インコ君も可愛いよー。ここだけの話、実は旦那様が殺したんじゃないかって噂もあるみたいだよー。おしどり夫婦って有名だったのに、奥様が亡くなる数ヶ月前から夫婦の仲が冷めきってたってー」

「ここ数か月で女性の幽霊の目撃情報が相次いでいて、私もお使いで遅くなった帰りに見かけたんだけど……夢人魚の像の花畑で消えたの! もう、びっくり! インコちゃんはどう思う?」


 女性達のお喋りを遮るように大きく手を叩く音が響き、現れたチーフ従業員の潮に女性たちの表情が強張る。


「私はお葬式に参列させて頂きましたよ。まるで眠っていらっしゃるかのように美しいお顔でした。滅多なことを言うものじゃありません。片付けが滞っているから、早く持ち場に戻ってちょうだい」


 女性達はまたねぇ~とヨウムに手を振って、いそいそと戻って行く。


 

 ――――5――――

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