綴り書き 壱ノ四
「ありがとうございます。それは妻の形見なんですよ。良かったね。ベル」
頷く少女はもう一度四を作って親指を握り込み、その後、支配人の父親から差し出された右手をとり歩き出す。少女の指先は僅かに強張っている。
「ベルって日本人にしては珍しい名前だな?」
「本当は鈴音といいます。妻は美女と野獣がお気に入りだったので愛称がベルなんですよ」
ホテルは、灯台を改装した珍しい造りになっており、内装は海中を模してある。写真映えしそうなおしゃれな雰囲気で、吹き抜けになっている螺旋階段が各階の廊下へと繋がっている。
「へぇ。灯台の箱がホテルになってんのか」
「妻の考案です。妻は海が大好きで、青を基調にした事で、白い灯台本体とのコントラストが際立つんだそうで……」
あまり見かけない造りのホテルに、ヨウムと曇天も、感心したように高い天井を揃って見上げる。
「それでは私は夕飯の準備がありますのでここで失礼しますね。こちら、西側八階。892号室の鍵です。お部屋にはこちらのチーフ
去り際に再度振り返った支配人が、少女へと声を掛ける。
「お風呂に入って着替えをしようか?」
首を振った少女は曇天の手を離さない。困ったように眉尻を下げて、支配人が曇天達へと視線を戻す。
「ベルは佐藤様を相当気に入ったようです。夕飯まで時間がありますので、申し訳ありませんが、少しこの子と遊んでやってはくれませんか? この村は女性が多く、年の近い子どもはあまりいないのでいつも退屈しているんです。少し遊べば気が済むと思いますから」
少女は大きく頷き、曇天をキッズスペースへと引っ張って行く。少女をアシストするようにヨウムも彼の鳥の巣頭を引く。眉間に皺を寄せながらもチェックインカウンターの端のキッズスペースへと向かう三人。
キッズスペースへ辿り着くとカラフルな本棚からベルは絵本を一冊持って来た。【孤独な鬼と人魚の夢たまご】というタイトルの絵本だ。
少女の期待の眼差しに曇天の眉間の皺が深くなる。
「あー。ごめんな嬢ちゃん。コイツ人見知り過ぎて絵本とか読んでやった経験ねぇから固まっちまってるんだ。オレが読むから許してやってくれねぇか?」
頷いた少女は絵本を開き、少し背伸びをして曇天の頭上のヨウムへと見せようとする。それに気づいたヨウムは頭上から下りて、二人の間へと腰を下ろした。
「むか~し、むかし、山と海が見える小さな村に、一人ぼっちの青鬼が――」
【孤独な鬼と人魚の夢たまご】
昔々、山と海が見える小さな島に、一人ぼっちの青鬼が住んでいました。青鬼は何百年も食べ物を口にしておらず、ある日空腹に耐えかねて、海の魚を乱獲して、すべて食べてしまいました。
久しぶりの食事に満足して、眠ろうとした青鬼でしたが、突然大地を転がり回るほどの腹痛に襲われ、二年と一月苦しみました。
反省した青鬼は、苦しんだ同じ月日分、海の女神へ謝罪と捧げものをして、許しを請い続けました。青鬼の願いが届き、海の女神はある日突然、青鬼の前へと現れました。
『わが名はヤオビクニ。許しを請い続けるお前の真摯な気持ちに免じ、魔女の花とたまごを授けよう。このたまごは持ち主の夢。深層心理を栄養として育つ。お前の心が邪ならば化け物と化しお前を食い殺すだろう。しかし、お前の心が善ならば、たまごは無事に育つだろう。育ち切ればお前を許す』
女神はそう青鬼に言い残し、花とたまごを青鬼へ授け、海へと帰っていきました。女神の慈悲に青鬼は深く感銘を受け、いつ孵るか分からないたまごを大切に世話をしました。
大事に育てたたまごからは世にも美しい人魚が孵り、青鬼はたちまち恋に落ちました。魔女の花は枯れ、青鬼は人間の若者となり、海の女神に許してもらうことが出来ました。
「――愛し合う二人は、永遠に幸せに暮らしました。めでたしめでたし」
最後のページの挿絵には、海辺で寄り添う青鬼と人魚を遠くから眺めている赤鬼が描いてある。
いつの間にか少女が曇天の膝の上で寝息を立てていた。抱えていたスケッチブックとぬいぐるみが落ち、来る途中に見たページが開く。
「この話で赤鬼は、背景としてしか出て来てねぇよな?」
「僕はどうしてこんなところで子守をさせられているのでしょうか……」
呟きながら、曇天は少女のぬいぐるみを拾い上げる。
「ぬいぐるみの鬼も赤くはないですね。ところでこの青鬼って、やたら長生きだと思いませんか?」
「異種だからそんなもんじゃねぇのか?」
「けど、人間になった後の年月の描写はありません。人魚も長命だったと記憶していますが、人間になった後から永遠を一緒に暮らせるものでしょうか?」
「青鬼が永遠の命でも得ていれば暮らせそうだけどな」
「では、その命を得る方法は?」
「悪魔か神と血の契約でもしたんじゃねぇか? 案外海の女神とかな」
「血の契約……ですか……」
二人が言葉遊びのようなやり取りをしているキッズスペースへと年配の従業員が近づいて来た。
「まあ。随分と仲良くなって。お嬢様のこんなに安らいだ表情は久しぶりだわ。あら、ごめんなさいねぇ。チーフ従業員の
二人の答えを待つことなく、年配の従業員は話し続ける。
「お嬢様の絵は、実はこの絵本の続き、めでたしのその先なんですよ」
【孤独な鬼と人魚の夢たまごの続き】
大事に育てたたまごからは世にも美しい人魚が孵り、青鬼はたちまち恋に落ちました。魔女の花は枯れ、青鬼は人間の若者となり、海の女神に許してもらうことが出来ました。愛し合う二人は子どもも授かり、幸せに暮らしていました。
ある日、海の向こうから、青鬼と瓜二つの赤鬼が三人の島へと流れ着きました。弱り切った赤鬼を可哀想に思った人魚と若者は赤鬼を看病し、赤鬼は元気を取り戻しました。
四人は仲良く暮らしていましたが、ある日赤鬼は年老いていく自分と違い、人魚と若者が出会った頃の姿のまま、幾年月を過ごしていることに気が付いてしまいました。
赤鬼は若者を宴席へと誘い、若者の秘密を尋ねました。若者の秘密を知った赤鬼は、その奇跡を自分のものにしようと、世話になった若者を殺し、海の魚を食い荒らして。あろうことか、長年恋焦がれていた人魚とその子どもまでも若者から奪って隠してしまったのです。
赤鬼は若さと美しさを取り戻しましたが、愛する人を奪われた人魚の嘆きが海の女神へと伝わり。魚を食べ続けないとたちまち朽ち果て、しかし、魚を食べる度に寿命は縮まる呪いが掛けられました。
女神の怒りで魔女の花は島中に咲き誇り、その毒花は赤鬼の子々孫々まで縛る毒をまき散らします。
島の人々は少しずつ壊れていき、みんな眠りについてしまいました。最期には花畑に座る人魚の夢に捕らえられて、800年後には、島の全員が海の泡となり消えてしまいました。
少女のスケッチブックの絵の最後は、花畑に座る人魚像とそっくりな人魚の絵が描いてある。
「このお話はね、奥様とお嬢様。ここに昔から務める奥様と仲の良い一部の従業員しか知らないのよ。あら。私ったらしゃべり過ぎちゃったわ。よっこいしょ。お夕食会場はこちらですよ」
従業員は寝てしまった少女を抱き上げ、二人を夕食会場へ案内した後、少女を連れて退室していった。
「これは……もしかして……」
少女が去った後に、彼女のお気に入りのぬいぐるみが落ちており、それを拾った曇天は、何かを確認してジャケットの裏ポケットへと仕舞った。
――――4――――
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