綴り書き 壱ノ参

「どうしてエンディングなんだろうな? ここ、観光客が最初に立ち寄るところだろ?」

「人魚姫になぞらえているのでは? 王子に一目惚れした彼女は、愛する王子に裏切られ、最期は海の泡になり、そのまま風の精霊になったんです」

「へー。人間ってのは悲劇に惹かれるもんか?」

「まあ、人に寄りますが、みんな不幸話が好きなのでは?」


 ズリッ。ズリリッ。ズルッ――。


「人魚の呪い……だから言っているのに……みんな呪われて滅びるんだわ……だって人魚は……魔……ベラドンナ……は……化け物……だ、から……」

「あの人、貴方にも見えてます?」

「ん? おう。祠の前に居た女だな」

「そうですか」


 何かに納得したように頷いた曇天。頭上のヨウムは翼を広げて欠伸をした。


「お騒がせしました。では向かいましょうか? うちはあの岬の上に見える灯台なんです。朝と夕方は絶景ですよ。名物の人魚のたまごも美しいですからぜひ味わってみてくださいね」

「案内してほしいなんて頼んでませ……むぐっ」

「ああもうっ! お前はちょっと黙れって。支配人に失礼だろうが!」


 翼で口元を押さえられ、きょとんと瞬いた曇天に全く悪気は無さそうだった。微苦笑を浮かべた支配人は、そのやり取りに可笑しそうに目を細める。


「その液体。気味悪くありませんか? 饒舌なインコさんと……」

「僕は、趣味がオカルトの変人なのでほっといてください」

「……面白い方達ですね」

「この液体がなんなのか支配人は知ってんのか?」

「ただの海水だと思いますが。昔祖父が言っていました。何か気になるところでも?」


 立ち消えた男に触れることなく、支配人の矢尾は仕事を全うするつもりのようだ。


「美しいでしょう? ここはこの村の撮影スポットなんです。あちらの花畑の中心に座る人魚像は私の祖父が作ったもので、瞳には本物のアメジストが使われているんです。[夢人魚の像]というんですよ。佐藤様も記念に一枚どうですか? お撮りしますよ」


 岬の灯台へ行く途中のベラドンナの花畑で足を止めて、支配人の矢尾が振り返った。花畑は頑丈そうな柵で囲まれ、その中心に座る大理石の人魚像は確かに美しいが、哀しそうな表情をしているように見える。


「周りが毒花だらけでは、立ち入ろうとする賊も現れないでしょうね」

「ええ。あの柵には入り口もありませんからほぼ不可能だと思いますよ」

「ベラドンナの危険性は認識されているんですか? ならばなぜ、あの花のオイルを名産品に?」

「もちろんです。お客様達の身を危険に晒すわけにはいかないでしょう? うちのホテルには優秀な薬師がいるんですよ」


 微笑む支配人の瞳や言動には絶対の自信があるようだ。


「おぉ~! 本当だ。すっげぇ綺麗だな。よし、曇天。撮るぞ」

「いえ、僕は……」

「いいから、いいから。んなら、お願いします」


 支配人にスマホを渡し、曇天の頭上で、既にピィちゃんはポーズをとっている。


「もう少し左へ寄ってください。こちら側が海も一緒に入るのでオススメなんです。はい、チーズ。もう一枚。視線くださーい。表情固いですよー」


 カシャ。カシャ。パシャ。


 返されたスマホの写真を確認して、ヨウムは美しい風景もカメラに収めた。満足そうに膨らんで、曇天の頭の定位置へと戻る。


「そろそろ夕景を見られます。私の娘も帰って来る頃です。妻に似て可愛らしい容姿をしているんですよ。後でご紹介しますね。妻も本当に美しかった……」


 どこか懐かしむように目を細めて、支配人は西側の空を見上げる。


「もしかして支配人の嫁さんは……」

 

「ええ。数年前に未知の奇病を患ったんです。この村では魔女の病と言われています。体の先端から鱗状に皮膚が変色して剥がれてしまう病です。発症すると二年と一月ほど高熱と酷い痒み、腹痛や風邪症状が続いて、幻覚症状に悩まされます。体力と精神を削られ、最終的にはなくなってしまうんです。主に患者は男性で、重症化しやすいのも男性なのですが、低確率で女性にも発症します。なぜかこの村の村人たちばかりが……治療の甲斐なく、残念ながら妻も他界してしまいました」


 撮影を終えた三人は、また灯台のある岬へと向かって歩き始めた。


「私と妻は、皆が羨む大恋愛でして、月を見ながらプロポーズをした時に、今夜は星も綺麗ですね。月が青かったならばもっと嬉しかったのに。と、恥ずかしそうに応えてくれたんです。愛し愛されるって本当に素晴らしい奇跡ですよね」


 支配人は灯台を目指し、どんどんと先へ進んで行く。


「……思いっきり断り文句ですが。気付かないのってあり得るんでしょうか……怖っ……」

「そうなのか!?」

「ええ。有名な文豪のエピソードです。月が綺麗ですねの返答と調べると色々と出て来ます」


 曇天は頷く。暫く歩き続けると蝶豆のグリーンカーテンが目に鮮やかなホテルが見えて来る。


「へぇ~。見事なもんだなあ」

「バタフライピーですか? 珍しいですね」

「ええ。驚きも提供出来ますし、若いお客様に評判なんですよ。オンスタに載せるそうです」

「オン……スタ?」

「流行ってるSNSだよ。簡単に趣味や興味を共有出来るやつ。興味の無いお前には全く馴染みがないだろうけどな。オレのオンスタ、結構フォロワー付いてんだぜ?」

「微塵もありません」

「知ってたよ! おっと」


 ドンッ――!

 

 不意に体に衝撃が走り、頭上のヨウムが揺れる。アメジスト色の大きな瞳に柔らかそうな唇。不安げな表情を浮かべる黒いワンピースの少女が、二人を見上げていた。二人は少女に魅入り、一瞬息を飲む。


 その手に大切そうに抱える青鬼のぬいぐるみとスケッチブック。千切れてしまったのか、ぬいぐるみの胸元には大きなボタン跡がある。


「お帰りベル。そんなに慌ててどうしたんだい?」


 少女が一瞬、身を竦めて後退り、何か物を拾う仕草をする。少女の癖なのだろうか。四の指を作ってそのまま親指を握り込む。


「嬢ちゃん。もしかして落とし物か?」


 少女は一度コクリと頷いた。少女の横に並び、軽く少女の両肩へと手を置いた支配人が申し訳なさそうに頭を下げる。


「すみません。妻が亡くなってからショックで声が出なくなってしまったようで……何を落としたの? ここへ描いてごらん」


 支配人が少女の抱えていたスケッチブックを引き取り、ペンと共に左手で差し出す。ふとした拍子に手が滑り、スケッチブックが開かれて落ちた。


 そのページには、真っ赤に目が血走った赤鬼。その赤鬼が大きな魚に噛みつく絵が描かれている。足元には砕けた青い小石と、美しく咲き誇るベラドンナの花畑。アメジスト色のその瞳から、魚は涙を流している。


「これはまた……個性的な絵だなあ」

「この子のお気に入りの絵本のワンシーンなんです。妻が娘のために描いたものなんですよ。その古いぬいぐるみもその絵本のキャラクターで、妻の手作りなんです。大好きな絵本の色々なシーンをいつもこれに描いているんです」


 右手でスケッチブックを拾い上げた支配人が白いページを開いて渡すと、少女はベラドンナのペンダントの絵を描く。


「ああ。これ、貴方の落とし物だったんですか? 消波ブロックに挟まっていたのを見つけました。どうぞ?」


 曇天からペンダントを受け取った少女の目が輝く。嬉しそうに手を引いてその場で一度くるりと回り、彼をホテルへと引っ張っていこうとしているようだ。



 ――――3――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る