綴り書き 壱ノ弐
二人の住む天桜市から矢尾姫村まではフェリーを乗り継ぎ約3時間。観光地として振興開発された、青と白を基調とした港村からは白い砂浜も近く、灯台とその奥には
賑わう港村の波止場の端に苔むした石の祠があり、そこだけ異質な空気を孕んでいる。
ズルッ。ズリリッ。ズリッ――――。
「……村……八十……八十b……八十b九十二……魔女……呪イ……八百……二十九……人魚……八百」
ブツブツと何かを呟きながら、裸足の足を引きずる逆襟の着物を身に着ける女が祠へと向かっていく姿が見える。長い黒髪が海藻のように揺れる。裸足の足首からふくらはぎにかけて、肌が鱗状に剥げかけていて、その足は血塗れだ。
「なんて言ってんだろうな? 暗号?」
「記録しておきましょうか?」
いつも覇気の無い曇天の目が僅かに輝く。スマホを取り出した曇天は女の呟きを録音したようだ。
「お前の食指の矛先っていつもズレてんだよな」
「だって面白そうでしょう?」
怠惰な曇天の食指が動く矛先は限られているが、その目線でないとオカルトライターなどを仕事には出来ないのだろう。
「日差しに焼かれて溶けそうです……太陽が僕を殺しに来てます」
「夏なんだから暑くて当然だろ」
いつも外を出歩くことのない曇天には、この長旅が負担になったのかもしれない。あちこちで小鳥も囀っている。録音を終えた瞬間に、曇天はふらりとしゃがみ込んでしまった。
「あれは……?」
曇天の視線の先に光るコインのようなものが目に留まった。消波ブロックの隙間から拾い上げると、丁寧に磨き上げられている半円のペンダントだ。
恐らくベラドンナをモチーフにしてあるであろうそのペンダントの茎の装飾部分は凸凹と不自然に張り出している。
「って、おぉいっ! 大丈夫かよ。そこの土産物街に飲み物あるだろうから買いに行くぞ」
「おんぶしてください」
「アホ、今のオレはヨウムだぞ。潰れるわ」
船着場から土産物通りへ続く入り口の看板には大きな人魚の尾ひれと、ベラドンナの花がデザインされている。異国情緒あふれる看板の前では仲の良さそうなカップル観光客が記念写真を撮っていた。
「なら元の姿に……」
「いつもインコのふりしてろつってんのはお前だろうが……ったく手の掛かる……」
ヨウムのピィちゃんに引きずられ、促されて辿り着いた一番近い土産物ショップ[アンデルセン]の前には、通りの入り口看板と同じデザインの紫色の小瓶が光を反射しながら並び、まるで自分たちは宝石であるかのような顔をしていた。
「モーリー。いつものをくれる?」
「はいよ。毎度あり~」
「これを飲むと調子がいいのよ」
女村人が店主へと声を掛けて、小瓶を買って行く。行き交う人々は観光客を覗いて女性が八割といったところだ。沢山の屋台も出ており、小鳥たちが屋台の屋根で遊んでいる。観光客は各々に観光を楽しんでいるようだ。
「この村美人多いけど、女ばっかだな。鳥も。お、あの肉の屋台うまそー」
ピィちゃんは、目の前の小瓶よりも道行く女性達や屋台の方が気になったのか、アロハシャツの襟を整えてサングラスをくいっと持ち上げ、煙が上がる屋台を翼で指す。
「お兄さん。寝不足かい? 身体も細いし、ちゃんと食べてないんじゃないのかい? お兄さんもよく効くベラドンナの小瓶。一本どうだい?」
顔色の悪い客へと、真っ赤な口紅が印象的な赤髪で黄色い瞳の店主はターゲットを定めたようだ。
「このベラドンナオイルの小瓶は本当にすごいんだよ? ちょいと飲み物に垂らして飲めば睡眠促進。痛みや咳とも無縁になって、夫婦や恋人生活も安泰な元気ビンビン! 不老の薬って言われていてね。すごくいい夢が見られるんだ。村人だけに限らず、観光客にも大人気。うちでしか扱ってない一級品。今ならお安くしておくよ?」
どんっ! げしっ!
「おい、女! それをさっさと俺に寄越せっ!」
ガタイはいいが、目が座っており、歯列がぼろぼろの男だ。何かを蹴飛ばし、曇天達を押しのけて強引に小瓶を購入する。男は代金と飲み干した小瓶を店主へと投げ付けて立ち去っていった。
「毎度」
「おいおい。ありゃひでぇな。お嬢さん大丈夫か?」
「まあ。お嬢さんだなんて……伊達男だねインコちゃん。たまに居るんだ。ああいう客が。慣れてるから平気だよ。で、お兄さん。一本どうだい?」
曇天に向き直る店主から、一歩後退って、彼は目を逸らした。
「いえ。僕は遠慮します。そのオイル、本当に大丈夫なんですか? だってベラドンナは……」
「容量をちゃんと守れば大丈夫ですよ。この村の名産品なんです」
通りがかった人好きのする、若くて見目麗しい20代前半の長身男性が、2人へと微笑む。
「なんかアイツ、やたらとキラキラしてねぇか?」
「星と花が飛んでそうですね。相当自分に自信がおありなんじゃないんですか?」
ひそひそと噂をする二人には構わず、街中の女性達の視線と甘い吐息を男は一身に集めていた。
「あら。村長さん。今日も相変わらずのイケメンねぇ……眼福だわぁ♡ 今日も見回りかい?」
「ありがとうございます。アンデルセンの奥様もいつもお美しいですよ。今日はうちのお客様のお出迎えに参りました。そろそろご到着の時間なので」
「これのお陰よ。いつも村のためにありがとうねぇ」
店主は小瓶を掲げて男へと笑みを返した。男に一度視線を送るも、直ぐに曇天は目を逸らす。黒いワンピースの泥だらけの少女が、震えながら蹲っていた。足首には鱗が浮き上がり、顔は見えない。
「ホテルに向かいましょう。ここ、なんだか気持ち悪いです」
「すごく賑やかで流行ってるみてぇだけど?」
「ホテルでしたらうちですね。もしかしてご予約の佐藤様ですか? この村にホテルはうちだけしかありません。よければご案内しましょう。それとももう少し観光されてお戻りになられますか? 時間をお伝えいただければ、改めてお迎えに伺いますが」
無言で歩き出そうとする曇天を引き留め、村長と言われた男は右手を胸元にあてて一礼した。
「失礼いたしました。名前も名乗らないなんて不審者でしたね。私は[人魚の夢たまご]支配人の
――――きゃあぁぁぁぁあ!
「ぐっあっ……み、ず……水を……」
鱗の浮いた喉を掻きむしるようにして倒れた先ほどのガラの悪い男がしゅわしゅわと溶け出し、虹色の泡になって浮き上がって弾ける。男の立っていた位置には水溜まりが出来ていた。
「うっうわぁ~~!」
「ひ、人が……人がっ!」
右往左往する観光客を横目に、村人らしき女達がバケツとスクレーパーを持ち、何食わぬ顔でやって来た。
「あらぁ。またぁ? 本当に男ばっかり。不思議ねぇ~」
「いくら効いてもOD男はねぇわ」
「遊び人気取ってたからバチでも当たったんだよぉ~」
女達は手慣れた様子で男だった水分を掃除する。
「その小瓶。一本頂けます?」
「えっ? ま、毎度?」
全く小瓶に興味を示さなかった曇天の行動に面食らったかのように店主は小瓶を差し出した。瓶の中身をその場で捨てると、曇天は女達の元へと歩いて行く。
「お前。何するつもり……」
「その水、少しくれませんか?」
「まぁ。変わった人ねぇ……」
「こんなん欲しいの?」
「別にいいよぉ~」
その様子を眺めていたこの村の村長でホテル支配人の矢尾は、大きく手を叩き、恭しく一礼をした。
「皆様失礼しました。この村名物のエンディングショーです。虹色の泡の軌跡が美しかったでしょう? 引き続き矢尾姫村の観光をお楽しみくださいね」
観光客たちは口々に安堵を吐き出して、喧騒は波が引くように落ち着いていった。曇天は複雑な表情でその一幕を見つめている。
――――2――――
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