第8話 革命の夜明け

 ラシードの話を聞き終えたファジュルは、外壁に背を預けて腕組みしていた。

 みんな、ファジュルにかける言葉が見つからず口を閉ざしている。

 安易な慰めの言葉を、ファジュルは望んでいないだろう。かといって何も聞かなかったような態度を取ることもできない。

 重苦しい空気があった。


「…………少しの間、一人にしてくれ」


 ファジュルは普段と変わらない冷めた表情で呟き、仲間の輪から離れた。




 ルゥルアはすぐに立ち上がり、ファジュルの背を追おうとした。そんなルゥルアを、サーディクが止める。


「ルゥルア、しばらくほっといてやったほうがいいんでない? ファジュルは強いし、オレたちがいないほうが一人で気持ちの整理をつけられるんじゃ……」

「わたしが、ファジュルを一人にしておきたくないの」


 そっとしておくのが優しさだと言うサーディクに、ルゥルアは首を振る。


「サーディク。ファジュルはわたしたちとほとんど年が変わらないんだよ。そう簡単に大人みたいに割り切って、平気な顔をするなんてできるわけないじゃない」

「……そ、そうだよな。すまねぇ。あいつ、何があっても平気そうな顔してるから、つい。引き止めて悪かった。ファジュルのとこに行ってやってくれ」


 ルゥルアは頷いて、そこら辺にあった長い棒を拾い、左側に障害物がないか突いて確認しながら歩き出す。

 今ルゥルアがすべきなのは、ここでファジュルを待つことでなく追いかけることだと思った。

 


 

 ファジュルは、ルゥルアと二人で暮らしている小屋で、膝を抱えて座り込んでいた。

 ルゥルアがそっと戸を開けると、ファジュルは軋む木の音に反応し、肩をはねさせた。

 音の主がルゥルアだと気づいて肩の力を抜く。


「ごめんね、ファジュル。一人にしてくれって言ってたのに」

「……別にいい」


 短く答えると、ファジュルはまた額を膝につけて沈黙した。

 ルゥルアはファジュルの右側に座る。

 触れ合う肩から、体温と鼓動が伝わってくる。火傷を負っていることもあってか、ファジュルはいつもより少しだけ熱が高い。


 ルゥルアはファジュルの横顔を見つめる。

 荒野でファジュルを待つ間、ずっと心配でたまらなかった。

 火が消えなかったらどうしよう、ファジュルや消火に向かったみんなに何かあったらどうしようと不安ばかり頭の中を占めていた。

 今こうして無事に生きているのは、不幸中の幸い。

 逃げるときに怪我をした人、消火活動で怪我をした人は出たが、命を落とした人はいない。

 触れ合う箇所を通じて伝わってくる鼓動に耳を傾けていると、ファジュルがぽつりと言葉をこぼす。


「じいさん、本当は俺の祖父じゃなくて、臣下なんだって」

「うん」

「俺、ちっとも気づいていなかった。バカみたいだよな」

「ううん。わたしも、ずっとラシードおじいちゃんはファジュルのおじいちゃんなんだと思ってたもの」


 十八年。十八年だ。

 ラシードはすべてを伏せたまま、どんな気持ちでファジュルを育ててきたんだろう。

 ラシードを祖父だと信じて生きてきて、それが偽りだったと知ってしまったファジュルが受けた衝撃は計り知れない。


「…………王になれるのは直系の男だけで、それが今の国王か俺だけなんて…………あまりにも突然過ぎて実感がわかないな」

「うん」

「生きるためとはいえ、小さいときは盗みだってやってきたし、ゴミ捨て場のゴミをひっぱり出して売ったりもした。ホント、平民がドブネズミって揶揄するのも仕方ない生き方をしてきたんだ。そんな俺が、人の上に立つなんて、王なんかになれるわけないじゃないか」

「うん」

「でも、きっとスラムを離れ別のところに逃げても、生きている限りガーニムは俺を殺すために人を差し向けてくる。戦うしか道がないのは、わかっている」

「うん」


 酷い現実に、ファジュルの声は今にも泣き出しそうなほど揺らぎ、震えている。膝を抱える姿は、迷子になってしまった幼子のように頼りない。


 ルゥルアはそっと手を伸ばして、ファジュルの頭を抱き込んだ。   

 母が子をあやすように、静かに、ゆっくりとファジュルの背を撫でる。


「一人で背負わないで。ファジュルが背負わなきゃいけないもの、わたしも背負うわ。二人でも重いならみんなで分け合いましょう。みんなで力を合わせて火事を消せたんだもの。一人の力が弱くても、たくさんの力が合わさったらきっと、国だって変えられちゃうと思う」

「……ルゥ」


 張り詰めていたものが切れ、ファジュルは生まれてはじめて、声をあげて泣いた。

 ルゥルアを抱きしめてすがる。

 ここにいるのは、家族を失って泣くただの男の子だった。

 痛いくらい強い抱擁を受け、ルゥルアはファジュルの心の痛みを思った。




 どれくらい泣いただろう。

 ファジュルは恥ずかしさで、ルゥルアから顔を背ける。


「かっこ悪い…………ルゥには、こんな弱いところ見せたくなかったのに」

「かっこ悪くなんてないよ。わたし、ファジュルの優しいところも、強いところも、ときどき意地悪なところも、弱いところも、全部大好きだもの」


 ルゥルアは、珍しく逃げ腰なファジュルの頬を両手で挟んで、瞳を覗き込む。

 額をコツンと合わせて、ファジュルは呟く。


「ルゥ……俺は、どうしたらいい。王を、討たないといけないんだろうか」

「ファジュルがしたいように。ファジュルがこの国から逃げたいならわたしも逃げる。戦いたいなら、わたしも一緒に戦う。何があってもずっと一緒、そう約束したでしょう?」


 まだ自分の生まれを何も知らなかったときの約束。

 ファジュルはルゥルアに想いを告げた。

『俺がルゥの左目になるから、一生一緒にいよう』

 その想いは今も変わらない。


 全て捨てたらスラムのみんなから憎まれるだろう。

 けれど王と戦う道を選んでも、必ず誰かの命が失われるし恨まれる。

 誰も傷つかない道なんて、ファジュルの行く先にはない。

 それをわかっていても、ルゥルアはファジュルの隣を離れないと言う。


「……そうだったな。俺はひとりで生きているんじゃない。これまでも、これからも」

「うん」


 ファジュルはルゥルアの頬に触れて、唇を合わせる。ルゥルアの指先が、ファジュルの肩に触れる。


 ファジュルは自分で気づかない深いところで、ルゥルアに支えられ守られていた。みんなに力をもらっていた。これまでだって、一人の力で生きてきたわけじゃない。

 これまでのように、みんなと力を合わせて生きればいい、それだけのことだ。




 みんなのところに戻ると、夜が明けようとしているところだった。

 崩れた壁をラシードやユーニス、ヨハン、サーディク、シャムス……みんなが集まっていた。

 ラシードの隣で膝を抱え込んでいたユーニスが、走ってくる。


「兄ちゃん、大丈夫?」

「ごめんな、心配かけて。もう大丈夫だ」

「そっか」


 ラシードはファジュルの前で膝をついて、臣下として口を開く。 


「答えは決まりましたか、殿下」

「……ああ。ガーニムを倒すことでしか国を変えられないなら、俺は戦う」

「これをお持ちください。イズティハルの王に代々継がれてきた、護身の剣です。貴方が王になるときのために、アシュラフ陛下よりお預かりしておりました」


 そう言うと、ひとふりの剣を左手で掲げた。

 金の装飾が施された柄と鞘は古めかしく、造られてからそうとう長い年月が経っているのがわかる。

 ファジュルは父から受け継がれた国王の証……短剣ジャンビーヤを受け取った。

 鞘から抜くと、刀身が黎明の日を反射して輝く。


 ファジュルの瞳には、ガーニムの身勝手で焼かれてしまったスラムが映る。


「…………じいさん。俺がガーニムを討って王位を勝ち取れば、もう二度と、こんな理不尽な目に遭わされずに済むか?」

「左様にございます」

「なら、戦う。俺はルゥやみんなが安心して暮らせる未来が欲しい」

「我が主の御心のままに」



 この日、ファジュルを旗頭として、反乱軍が結成されることとなる。

 後に『ドブネズミの革命』と呼ばれる変革の始まりである。 

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