第3話

「ん~♪」

 幼い少女が幸せそうに杏仁豆腐を豆腐を食べている。

 うちの定食メニューについているデザートで、初めて食べた時からのお気に入り。

「そればっかり食べて飽きないのか?」

「? 美味しいですよ?」

「俺だったら毎日同じご飯が続くとか嫌だけどなぁ」

 こいつは杏仁豆腐がついているからという理由で毎日チャーハン定食を頼んでいる。

 父ちゃんのチャーハンは確かに美味いけど、うちの料理はどれも美味しいから他の料理を頼んでみればいいのに。

「家でなに食ってんの?」

「ママが作ってくれるご飯は全部美味しいです。……でも最近は同じご飯が多いです」

「ふーん」

 うちは『余った食材の処分』とか『新作料理の研究』とか言って父ちゃんが変わった料理を出してくることがよくある。だから同じ料理が毎日続くってことはほとんどない。ただカレーは三日くらい続いても飽きない。

「じゃあ好きな料理は? 俺は父ちゃんのカレー」

「私はこの杏仁豆腐です!」

「そればっかりだな」

 そんな感じでとりとめもない会話を続けていると、入口のガラス戸を開いて派手な服装のおばさんが入ってきた。

「凛、帰るわよ」

「あ、ママ!」

 凛が慌てて席を立った。ごちそうさまでした、と五百円玉を取り出して母ちゃんに渡すと、父ちゃんにも頭を下げて店を出ていく。

「またなー」

「うん、また明日」

 凛は明日もチャーハン定食を食べに来る。昨日も一昨日もその前も、ずっとそうだったから。

 凛と凛の母ちゃんが帰ったあと、父ちゃんと母ちゃんは複雑な顔でお話をしていることがある。

「あのお母さん、うちを託児所代わりにしているよね。どうしたらいいんだろう」

「どうやら角のパチンコに通ってるみたいなんだけどね……。凛ちゃんは大人しい良い子なんだけど……」

「でもこの前のニュースがあっただろう? 車の中に閉じ込められて熱中症で――」

「児童相談所に連絡しても――」

 父ちゃんたちの話はよくわからない。

「父ちゃん、母ちゃん。あっちでテレビ見てるから」

「わかったよ。大人しくしてるんだよ、達也」

「この前みたく興暴れていたらゲンコツじゃすまさないからね?」

 拳を握ってニッコリと笑う母ちゃんから逃げるように家に入った。うちは父ちゃんよりも母ちゃんの方が怖いんだ。


 *


 夜中に目が覚めた。

(ああ、夢か……。三時、まだ深夜だな)

 俺の隣では凛が静かに寝息を立てていたので、起こさないように気をつける。

 さっき見ていたのは凛と出会った頃の夢だ。まだ小学校に上がる前、凛は一人でうちにご飯を食べに来て、母親が迎えに来るまで何時間も店内で待ち続けていた。

(出会った頃は物静かで大人しい女の子だったんだけどなぁ……。それが今じゃすっかり捻くれちゃって。まあ、気持ちもわかるけど)

 あの家庭じゃ凛がこうなるのも仕方ない。父さんたちも理解してくれているから、こうして凛が泊まり続けているのを認めてくれている。

 凛の父親は海外に女を作ってあちらで生活している。十年以上音沙汰なしで一度も会っていないそうだ。そして母親は母親で、夫に逃げられた事実を認められず毎日パチンコ通いをしていた。

(凛が『美味しい』って言っていた料理も実は全部冷凍食品で、手料理なんか何年も作っていなかったんだよな)

 今まであったことを思い出す度に、どうして凛がこんな辛い思いをしないといけないのかと理不尽さを感じてしまう。

 そして、そんな状態の凛につけこんで肉体関係を結び、そのままずるずると関係を続けている自分に嫌になる。

 委員長にイジメられているのかと心配されたけど、実際は俺が行き場のない凛の弱みに付け込んでいるだけだ。こんなこと言えるわけがない。

 俺がもっと我慢強ければ……と思うけど、今更凛と繋がった時の快感を忘れることもできなかった。

(本当に俺って最低だ……)

 自己嫌悪は止まらないけど、それでも俺の隣で凛が眠っていてくれるこの瞬間に幸せを感じてしまうあたり、どうしようもない。

 すぐ隣の温もりを感じながら、朝までもう一眠りしようと目を瞑った。


 *


「あれ、凛は?」

 昼休み。駅前のカフェで買ってきたドリンクが大量に入ったビニール袋を手に教室に戻ってきたら、いつもの女子グループがなぜか廊下にたむろしていた。そして凛の姿がなかった。

「あ、達也くん、ありがと~。凛ちゃんならさっき隣のクラスの鷲塚くんに呼ばれたよ」

「鷲塚?」

 隣のクラスの男子とかよく知らないので名前を言われてもピンと来ない。

「凛たちがどこに行ったかわかる?」

 ビニール袋を渡して、凛の行き先を訪ねる。

「凛ちゃん愛されてるぅ。二人ならあそこにいるよ~」

 ケラケラと笑いながら窓の下を指さすと、凛と見知らぬ男子が向き合っているのが見えた。

「ありがとう。これお釣りね」

「はいはい。がんばってね~」

 レシートと小銭を渡し、背後からやる気のない声援を受けながら、急いで階段を降りて現場に向かった。というか応援するくらいなら最初から止めてくれよ。

「はぁ……」

 凛が駅前のカフェのドリンクを飲みたいっていうから、ついでに他の女子の分まで頼まれて買ってきたんだけど。

 こんなことになるなら断ればよかった。


 *


「た、高瀬さん! つき合ってください!」

 隣のクラスの鷲塚? っていう男子に呼ばれて校舎裏にやってきた。そしたら周囲に人気がないことを確認した鷲塚に告白された。

「ごめん、彼氏作る気ないから」

 今までも何度も告白されたけど、いつもこれで断っている。鷲塚もそれで納得するかと思ったけど違った。

「お、お金ならあります!」

「……はぁ?」

「ぼ、僕の家はお金持ちなんで、毎月小遣いをたっぷりもらえるんです!」

 そう言って財布から札束を取り出した。たぶん二十万くらい。

「これ全部、高瀬さんにあげます! だから付き合ってください!」

「……いや、いらないけど」

 そもそもまともに顔を合わせたことも会話したこともないのに、いきなりお金出すからつき合ってくれっていう性格がキモイ。無理。

 私がドン引きしていると、なぜか鷲塚が怒り出した。

「さ、佐藤からはお金を受け取っていたのに、なんで僕はダメなんだ! 僕の方が金持ちなのに! なんでだよ!!」

「……なんで達也? 今は関係なくない?」

「関係ある!!」

 大声で喚き散らす様子にどんどん冷めていく。もう今後一生関りになりたくないんだけど、鷲塚には伝わらないみたいだ。

「ぼ、僕は見たぞ! 知ってるんだ! 佐藤から金を貰っていることも、あいつと二人で駅前を歩いていたことも! だ、だったら僕でもいいだろう! 僕も金を払うって言ってるんだ!」

「いや、だからそれとこれと関係ないでしょ? 何言ってんの?」

 言っていることが支離滅裂すぎてわけがわからない。

 どうやってこのヤバい奴から逃げようかと思っていると、聞きなれた声が聞こえた。

「凛! どうした!?」

「達也、ちょうどいいところに」

 お使いを頼んでいたはずの達也がなぜかいいタイミングで現れた。達也を壁にして逃げようとしたところで、なぜか鷲塚の矛先が達也に向かった。

「お、お前! おい、お前からも言ってくれよ!」

「は? いきなりなんだよ。何だ、お前?」

「お前、高瀬さんに金を払って抱いてるんだろ! 僕も金も出すから僕の相手もするように言ってくれよ!!」

「……は?」

「……ああ、そういうこと」

 なるほどね。私がウリ――売春してると思ったんだ。達也から金を受け取って抱かれていると。だから鷲塚も金を出せば私を抱けると考えたってわけね。

 私がそう理解したのと同時に達也も同じ考えに辿り着いたみたいだ。

「お、お前、ふざけるなよ! 凛は――!!」

「達也」

 真っ赤な顔で食ってかかった達也の腕を引く。

 鷲塚がそういう風に考えているなら別にそれでいい。あながち間違いじゃないし。

「ちょっとこっち来て。かがんで」

「な、なんだよ……!?」

 達也の制服のネクタイを引っ張って、無理やりかがませた。


 そして、鷲塚の目の前で達也とキスをした。

「「――――ッ?!?!?!」」


「……ん」

 一分くらいかな。絡ませていた舌をほどき、唇と離すとツーっと銀色のアーチがかかって、すぐに切れた。

「これでわかった? 達也ならいいけど、あんたとはいくら貰っても絶対嫌だって言ってんの」

 目を見開いて固まっている鷲塚を一瞥して、同じく固まっていた達也の腕を取る。

「もういいわね? じゃあね」

 そう言って校舎裏を後にしようとした時、上から声が降ってきた。

「きゃー!」

「凛ちゃんったら大胆ー!」

「すごーい、漫画みたいじゃん!」

「あいつら……」

 頭上を見上げると、廊下の窓からみんながこっちを見降ろしていた。

 あそこで一部始終を覗き見していたらしい。鷲塚と一緒に送り出した時にニヤニヤ笑っていたのもそのせいか。

「はぁ……。行こう、達也」

「あ、ああ……」

 きゃあきゃあと騒ぐ友人たちや黙りこくってしまった鷲塚を無視して、達也と一緒にさっさと去ることにした。

「そういえば私が頼んだ飲み物は?」

「……あ。凛の友達に渡してそのままだ」

「はぁ……」

 それなら教室に戻るしかない。でも絶対にさっきのことでからかわれるとわかっているから気が重い。

「ねえ、このまま午後の授業さぼっちゃう?」

「え!?」

 半分くらい本気で聞いてみると、達也の顔がみるみるうちに赤くなった。何を想像してるんだか。

「り、凛がいいなら、俺は構わないけど……」

「冗談に決まってんじゃん。達也に買ってきてもらったやつ、ぬるくなる前に飲みたいし」

「……あ、ああ、そうだよな。うん。わかった」

 残念そう顔をして丸わかりだ。その様子が面白くて思わず笑ってしまった。

「スケベ」

「え、ち、ちが――!」

 必死に言い訳しようとする達也を置いて、私はさっさと階段に足を向けた。

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