第2話

 自転車に乗って夕暮れの街を進む。

 帰宅途中の通行人を避けながら駅前の繁華街を走ると、カラオケ店前にたむろしている女子グループが見えた。

「おーい、迎えに来たぞー」

「あ、来たの。それじゃまたね」

「凛ちゃんまたねー」

 目の前で自転車を止めると、凛はすぐに友達に別れを告げ、手に持っていた荷物を俺の自転車の荷台に置いた。

「達也くんもまた学校でねー」

「……うん、また。帰り道気をつけてね。さようなら」

 駅に向かう集団と別れて自転車を押しながら歩きだす。隣を歩く凛が不満そうに言った。

「達也、後ろに乗せなさいよ」

「見つかったら補導されるからダメ」

 交番が近くにあるし、通行人も多いので二人乗りなんて危なくてできやしない。

「ケチ」

「なんと言われてもダメ」

 ブツブツと文句を言う凛と並んで家路についた。

「カラオケ楽しかった?」

「まあまあ」

「何歌ったの?」

「昨日動画サイトで見つけた曲。初めて聞いたけどいい曲だなって」

「へー。気になるな、俺にも聞かせてよ」

「練習中だから嫌」

 ぽつりぽつりと取り留めもない会話を続けながら、赤く染まった街並みを歩いていく。生まれた頃から暮らしている街の光景だ。周りを見渡してもいつも通り。何一つ変わったところはない。そのことに安心する。

 そうして歩いて十五分。我が家に到着した。

「ただいまー」

「おじゃまします」

 自転車を片付け、『中華料理・山林亭』と書かれたのれんを潜り、ガラス戸を開け、昔ながらの町中華という風体の店の中へ入る。

「二人ともおかえり」

 父さんが鍋を振るいながら返事をする。これから夕飯時を迎えるところだけど、すでに店内の席の三分の一が埋まっていた。

「達也! 混んできたからさっさと着替えて厨房に入りな!」

「へーい」

 ビールとつまみを持った母さんが言うので店の奥に入ってエプロンを手に取る。

「じゃ、部屋にいってるから」

「おう。飯ができたら言うわ」

 凛はそのまま店舗スペースを通り抜けて、奥の住居スペースへ向かった。二階の俺の部屋でパソコンを使って動画でも見るんだろう。

 手早くエプロンと手拭いを身に着けると父さんと並んで厨房の中に入った。


 *


「おーい、りーん!!」

 二階にある達也の部屋で動画を見ていたところ、階下から私を呼ぶ声が聞こえた。

「なーにー?」

「お客さん多いから手伝ってー!」

「わかったー!」

 時計を見ると七時過ぎ。一番混雑している時間帯だ。

 急こう配の狭い階段を下りて、店舗スペースに顔を出すと、いつもの位置に置いてあるエプロンを取って手早く身に着けた。

「ホール? 洗い場?」

「両方! とりあえずホールから!」

「はいはい」

 ざっと伝票を確認して出来上がった料理を運んでいく。おじさんと達也が次々に作るから、おばさんと一緒に厨房と客席を何度も往復する。

「お待たせしました。あ、追加の注文ですね。三番さん、味噌ととんこつ一つ、お願いします!」

 注文を受けたりドリンクを出したりしながら、合間を見て洗い場に溜まっていた食器を洗っていく。この店に食器洗浄機なんてものはないので全部手で洗うしかない。

「凛、揚げ物できた! 2番さんと5番さんに持っててくれ! 次は8番さんの注文、すぐできるから!!」

「わかった」

 仕事が次から次に舞い込んできて休む暇もない。

 そのまま九時前まで大忙しで、あっという間に時間が飛んでいった。こういう忙しさは嫌いじゃない。


 *


 俺と凛、父さんと母さんの四人で必死に注文をさばいていくとようやく少し落ち着いてきた。

「ふう、もう大丈夫だ。賄い作るから凛はもう上がっちゃっていいよ」

「ん。わかった」

 夕食のピークを過ぎて客が帰り始める。とは言っても満席から半分くらいに減っただけで、お酒を一杯ひっかけてきたお客が『〆のラーメン』を食べに来るなんてこともあるけど。

「今日の味はどう?」

「おじさんのチャーハンの方が美味しい」

「がくっ」

 父さんが作るチャーハンと同じ味を出すのはまだまだ修行が足りないようだ。父さんから教わって一生懸命練習しているんだけど、何か違うんだよなぁ……。

 二人で賄いを食べたあとは凛を先に上がらせて、片付けられるものを片付けておく。明日の仕込みとかもちょっとだけ。

 それが終わると俺も上がりだ。父さんと母さんは閉店まで店舗から離れない。

 居住スペースと店舗スペースを隔てているドアを潜り、狭くて古臭い愛する我が家に入る。お風呂のスイッチ入れてかた階段を上がって自分の部屋に入る。俺のベッドの中に凛がいた。

「……ん。達也、お疲れ」

「ごめん、起こしちゃったか?」

「んー。ベッドに入ってゴロゴロしていただけだから、別に。……ん」

 ベッドの縁に座りなおした凛が足でチョンチョンと突いてくる。

「今風呂沸かしているから。凛も入るだろ」

「うん」

 タンスから俺の着替えを取り出すと、凛もクローゼットから自分の着替えを取り出した。クローゼットの中には凛の制服や寝間着、下着などが仕舞われていてすっかり凛専用になっている。

 まあ俺の持っている服なんてそんなに多くないし、別にいいんだけどな。タンス一つで十分だ。


 お風呂が沸いた。凛と一緒に入る。

「髪洗いまーす」

「うん」

 凛の長い髪を手に取り、シャンプーやリンスで丁寧に洗っていく。サラサラした滑らかな感触が好きなので細心の注意を払ってお手入れをする。

「体洗いまーす」

「……うん」

 凛専用の柔らかなスポンジを使って体を洗っていく。男と違ってなんで女の体はこんなに柔らかいんだろう。まさに人体の神秘だ。丁寧さを心がけてじっくりと隅々まで洗った。

「体洗ってもらいまーす」

「バカじゃないの?」

 ジャブジャブ、ザバザバと手荒く洗われていく俺。それでもいい。こうやって洗いっこするだけで嬉しい。


 そして――。


 ベッドの上で、生まれたままの姿の凛が眠っている。俺も同じだ。心地よい倦怠感に包まれながら、凛が風邪をひかないように布団をかけてやる。

 父さんたちはそろそろ店を閉めて店内の片づけをしている頃だろう。悪いが俺も先に寝させてもらうことにした。

 肌を寄せ合う凛からは甘いミルクのような香りがする。今日はいい夢を見れそうだ。

 目を瞑ろうとした瞬間、部屋に置いてある時計の日付が見えた。

「……もう半年か」

 凛が自分の家に帰れず、うちに泊まり始めてから半年が経っていた。

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