第4話 今日は文字を覚えたい
母さんは両手を広げ、まるで宝物を包み込むような仕草で、そっと俺をベッドから抱き上げてくれた。
金髪が窓からの光を受けて美しく輝いている。
抱きしめられると、母さんの服からは森の香りがした。
やっぱりエルフだから自然の香りを身にまとうことを好きなんだろうか。
最近は母さんの仕事が終わったあとなら、一緒にベッドの外に出られるようになった。
もう2歳も過ぎているのに、まだ母さんの目の届くところじゃないと部屋の中も歩けないなんて、と思うが、過保護な母さんにとっては当たり前のことらしい。
それとも、俺が運動しすぎてやんちゃすぎることが、かえって心配させてしまったのだろうか。
しかたないか。
まずは母さんがいるリビングを探検しよう。
リビングといっても、日本にいた頃の俺の家とは大違いで、かなり広い。
リビングというか、ちょっとした会議室くらいの広さはある。
テーブルなどはすべて木製で、ベッドの柵と同じ不思議な模様が刻まれている。
赤ちゃんの俺が当たっても危なくないように、安全用の魔法がかけられているみたいだった。
「お母さん、このとびらあけて」
俺はリビングの壁にある、閉じた扉を指さした。
この程度の簡単な会話なら今の俺にも話せるようになってきた。
毎日話しているから上達も早い。
でも母さんは、いつもの優しい笑顔で首を振った。
「ダメよ。お部屋の外は危ないんだから」
「むう」
俺は思わず不満そうな顔をしてしまう。
リビングも外の部屋も変わらないだろうに、なんでそんなに危険だなんて言うんだろうか。
まさかこの家には秘密が……なんてこともあるわけないし。
母さんはやっぱりちょっと過保護すぎる。
それだけ愛してくれてるってことなんだろうから、あまり強く文句も言えないけど……。
「ごめんねレイちゃん」
俺の不満を察したのか、母さんが頭を撫でてくれる。
その指先は柔らかく、赤ちゃんの頭を撫でる時だけの特別な優しさがあった。
「これもレイちゃんのためなの。あと20年くらいして大きくなったら一緒にお部屋の外に出ましょうね」
さすがにそんな待ってられないよ!?
優しいなんて言ってる場合じゃない。
早く俺が平気だということをアピールしないと。
しばらくしたある日のこと。
「お母さん、これよんで」
俺は新しい絵本を持って母さんのところに行った。
母さんが仕事の手を止めて俺を振り返った。
「あら、また新しい絵本なの? 前に読んでたやつはどうしたの。気に入って何度も読んでたじゃない」
「おぼえちゃった」
俺はその場で、暗記した絵本の内容を話した。
「あら、まあ」
母さんが驚きながらそれを聞いていた。
文字を覚えるために、俺は同じ絵本を何度も繰り返し読んでいたんだ。
言葉はだいぶ覚えたけど、文字は初めてだったからな。
それにリビングから出してもらえないから暇でもある。時間だけはいっぱいあるんだ。
なのでひとつの絵本を繰り返し読んで書かれてる内容と文字を暗記すると、つぎの絵本に進む、という事を繰り返していた。
それになにより、エルフの絵本は不思議で美しい。
ページをめくると、絵が立体的に浮かび上がったり、絵の中で小さな光の生き物たちが踊り出したりするんだ。
音がしたり、匂いがしてきたりすることもある。
本当に面白いんだよな。
それに、そういうギミックを見ると、ゲーム会社で働いていた時のことを思い出して、こんなゲームを作りたいな、と想像してしまう。
そのおかげで何度も読むことも全然苦じゃなかったんだ。
「やっぱりレイちゃんは頭がいいのね。そろそろ家の絵本がなくなっちゃいそうだわ」
そう言って俺の頭を撫でてくれる。
母さんに褒められると、不思議と力が湧いてくるんだよな。
それに、母さんが嬉しそうに微笑む姿を見ると、もっと頑張りたくなる。
やっぱりほめて伸ばしてもらう方がいい。
やる気も出てくるし。
母さんに新しい絵本を用意してもらい、俺はさっそく読み始めた。
「えるふの、ちょうろうは、とても……お母さん、これなんて読むの?」
「偉大な、よ」
「とても、いだいな、ひとでした」
母さんに教わりながら、一文字ずつ、丁寧に読んでいく。
時折、指先で文字をなぞり、エルフ特有の流麗な文字の形を覚えていくのも忘れない。
将来的には読むだけじゃなく、書けるようにもなりたいからな。
「そうよ、すごいわね。もうそんなに読めるなんて」
「えへへ」
話せるようになったが、文字はまだまだだ。
母さんに教えてもらいながら少しづつ覚えていく。
とはいえ一つずつ読み方を教えてもらっているから、上達は早い。
リビングの本棚には読み終わった絵本が入れられている。
もう50冊を超えていた。もちろん全部暗記している。
こういったのを見ると小さな達成感の積み重ねというか、俺も結構頑張ったんだなと思えてうれしくなってくる。
「もっとむずかしいほんがいい」
絵本で覚えられることは大体マスターしたはずだ。
「レイちゃんが大きくなったらね」
母さんが笑顔で答える。
母さんから見た「大きくなった」は何十年後なんだろうか。
「レイは今日も頑張ってるな」
父さんがリビングに入ってきた。
俺がリビングで絵本を読んでいると、こうやってよく顔を出してくる。
どうでもいいけど父さんは普段何やってるんだろう。仕事とかあるのかな。
普段はいないけど、昼間でもこうして普通にやってくるし。
平日、というのがエルフの世界にあるかは分からないけど。
家の中で仕事をしてるのだろうか。
リモートワークという奴かな。
会社に泊まり込むくらいブラックだった俺の会社ではそんな物はなかったけど、魔法がある世界ならそれくらい簡単にできそうだ。
そもそもうちの両親はエルフの中でも偉いっぽいし、仕事とかないのかもしれないけど。
だとしたら普段は何をやってるのか、まずます謎だ……。
俺が絵本を読むようになってからは、父さんは少し寂しそうにしていた。
ずっと読み込んでると日が暮れて一日が終わってるなんてこともよくあったから、そのぶん筋トレをあまりしなくなったからだろうか。
どうやら子供と一緒に筋トレをするのが好きらしい。
今も何となくしょんぼりとしている。
やれやれ。まったく、しかたないな。
俺は絵本を置いて立ち上がった。
「お父さん」
「お、おお。なんだ?」
「いっしょにあそぼ」
ぱあああっ!と音が聞こえるくらい父さんの顔が明るくなった。電球みたいだ。
父さんの御機嫌を取るのも俺の大事な仕事だからな。
「よし! 今日もトレーニングをするか!」
俺は遊ぼうって言ったんだけど。
このエルフは脳筋過ぎないか。
父さんがその場で腕立てを始めたので、俺は父さんの背中に上って、そこで腕立てを始めた。
親子で一体何をやってるんだという感じだが、動く父さんの背中で腕立てをするのは意外にバランスが難しく、腕だけじゃなく全身の筋肉をバランスよく鍛えられてる感じがするんだよな。
案外いい筋トレ道具……じゃなかった、愛すべき父さんだ。
そんな俺たちを見て、母さんが「やっぱりうちの子供たちは可愛いわね」なんて微笑んでいた。
父さんも俺と同じ子供扱いに入ってるけど、それでもいいんだろうか。
その後は3人でご飯を食べた。
エルフのご飯は野菜が中心で、それはそれで美味しいんだが、やっぱり肉はたまにしか出ない。
だけどそれがめちゃくちゃ美味いんだ。
最近思ったんだが、もしかして料理をするときに、魔法を使ってるんじゃないだろうか。エルフの母さんならそれくらいできる気がする。
そう思って野菜とかを見てみると、神秘的な輝きを放っているような気がしてきた。
肉なんて神々しく輝いてる。子供用に柔らかく、小さく煮たお肉なので、最高級の霜降り肉みたいに見える。
「お母さんのごはん、おいしい。おかわり!」
「ふふふ。いっぱい作ったから、いっぱい食べてね」
もちろん俺だって早く成長したいから、もりもり食べた。
筋トレだって欠かさない。
部屋中を探検して走り回り、父さんと筋トレをし、疲れたらベッドまで運ばれてその場で眠る。
そうして3歳になった。
それはもう盛大な誕生日パーティーをしてもらった。
そして誕生日プレゼントは本だった。それも絵本じゃない。文字がたくさん詰まった本だった。
「やったー!!」
これでさらに難しい文章を覚えられるぞ!
大喜びしてさっそく読み始める俺を、父さんと母さんが揃って微笑ましそうに見つめていた。
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