6 不運令嬢、買い物に行く



「奥様、よくお似合いでございます」


 ルナは胸の前で小さく手を叩いた。いくつか見繕ってもらった中の薄水色のドレスをルミティは美しく着こなしていた。薄灰色の髪をポニーテールに結い上げて、リボンはドレスと同じ薄水色だ。胸には青い宝石をあしらった小鳥のブローチをつけている。


「今日は待ちに待ったおでかけですもの」


 ルミティはハンドバッグをぎゅっと抱きしめた。「都市部の本屋で買い物がしたい」という彼女の願いが叶う日なのだ。


「でもどうしてご自身で? 旦那様はきっと奥様のためたら敷地内に図書館を作ってくださいますよ」

「それはダメよ。本というのは、自分の手で選ぶのが楽しいの。ふと目に入ったものや手に取ったもの、最初は興味なんてなかったかもしれないけれどいざ買ってみれば物語に引き込まれる……素敵じゃない?」

「ルナは難し本なんて読む学力がないですから、羨ましいです。幼い頃からメイドになるためにお仕事をしてきましたので、童話の絵本くらいしか」

「今度、一緒に読んでみる?」

「いいんですか?!」

「もちろん、そうね……恋愛小説をご一緒しましょう」

「ありがとうございます!」

「ルナ、ひとつ聞いてもいいかしら?」

「はい、なんでも」

「旦那様にお会いしたことはある?」

 

 ルナは少し首を傾げ宙を見上げてから


「旦那様はあまりこの本邸にはいらっしゃらないんですよね。あれ、言われてみると……旦那様。エリアス様にそっくりかもです。でも、旦那様は先代公爵様と同じ銀髪なんです」

「銀髪?」

「はい。ボルドーグ公爵家は代々王宮の占星術師として仕えているんですがその才を持ったものは生まれつき銀髪に。奥様の薄灰色の髪にもう少し輝きを足したような神秘的なお色ですわ。きっとお二人が並んだらそれはそれは美しいんでしょうね」

「エリアスに似ているの?」

「えぇ、旦那様のオーラが凄くてあまりマジマジとは見たことがないのですが……彫刻のような美しいお顔立ちはそっくりです。エリアス様の方はいつもふにゃりとした優しい笑顔で、旦那様はこうクールで威厳のような表情でしたから。もしかして、実は実はの兄弟とか?」

「ルナには愛憎劇たっぷりの小説がいいかも」

「奥様、エリアス様の馬車がお見えになりましたわ。ささ、ロビーまで参りましょう。お忘れ物は……なさそうですね」



***



「わぁ……すごい」


 ルミティがやってきた書店は、クラス王国で存在する中で一番大きな書店。古い魔術書から最新の恋愛小説まで品揃えは王国一。

 普段であれば、多くの人たちでごった返しているのだが、今日はシンと静かでルミティは不思議に思う。


「ボルドーグ公爵夫人。ようこそいらっしゃいました。クラス書房へ。本日は婦人がいらっしゃるとのことで貸切営業とさせていただいております」

「か、貸切?」

 ルミティがエリアスの方を向くと

「さ、奥様はどんな本を?」

 と優しく聞いた。


(公爵家にもなると、一般のお店に入るのはお忍び以外こうなってしまうのね。これからは気をつけないと。これじゃ他のお客様に迷惑だし……)


「私は、恋愛小説をいくつか」

「見に行こうか」


 エリアスに連れられて、大衆小説・恋愛の本棚の前に立ち止まる。数百年前の古い童話から最新のものまで流石の品揃えにルミティは目を輝かせる。まだ女学生だった頃、同級生たちと話題にだした本がたくさん並んでいるのだ。

「これ、学生の時に話題になっていたのだわ。『海岸沿いの愛』賢いヒロインと身分違いの青年の恋物語で……ずっと読みたかったの」

 エリアスはそんな彼女を優しく見つめつつ、本を受け取る。魅惑的な本棚に夢中になっているルミティの横顔はいつも屋敷の中にいる時の彼女とは違ってイキイキと輝いていた。

「メイドのルナにはこの甘々の小説がいいわね。あら、エリアスは読書は?」

「僕はそうだな……。古い魔術の本を読むかな。ボルドーグ公爵家の騎士ですから、そういった類の知識は持っていないと」

「お城の占星術師……。もうこの王国に魔術なんかはほとんどないと思っていたけれど」

「もちろん、昔話の童話のように魔法を使える騎士なんていないさ。けれど、実際には星読の術やさまざまな秘術、それから……」

「それから?」

「呪いの類。そういう魔術は存在するんだ。だから、ヴェルズは城の中で占星術師として日々王宮に尽くしているんだ」

 呪いの話をしている時、彼の瞳が真剣になったような気がしてルミティの表情からも笑みが消える。エリアスは彼女の楽しい時間を邪魔してしまったかと心配し、一歩近づいた。

「呪い……王族ともなればそういった危機にもさらされてしまう。旦那様は日々危険なお仕事をされているのね。もしかしたら、こうなっている理由もあるのかも。なんてね」

 一瞬だけ悲しげな表情をしたが、ルミティはすぐに本棚と向き合うと手に取っては吟味し、本の中身を想像して幸せそうな顔をすることを繰り返した。

 紙と黒インクの香り、埃の香り。二人の距離は少しだけ遠く、エリアスにはルミティが今どんな気持ちでいるのか想像ができなかった。


「えっと……あとはこれ」

 ルミティが手を伸ばし、背伸びをする。ご婦人には少し高い位置にある本棚の最上段。細い指がかすかに本の背中にかかる。

「お取りしますよ」

 エリアスは持っていた本を店主に渡すと、ルミティの後ろからさっと手を伸ばして彼女が触れていた本を楽々と手に取った。その際に二人の手が触れ合って、ルミティは耳が熱くなるのを感じた。

 彼は、一見中性的にも見えるような美しい顔をしているが、触れた手首は男性らしくゴツゴツとしていて、手のひらはルミティのそれを包み込んでしまえるくらい大きい。

 彼の男らしさを肌で感じ、ルミティはまた心臓が高鳴った。彼を「推し」として一線引いたはずなのにどうしても意識が向いてしまう。


「どうぞ」

「あ、ありがとう」

「高い場所にあるものは僕に。奥様は小さいですから」

「あら、余計よ。でもありがとう」


 ルミティは赤くなった顔を見られないように背を向けると、


***


「奥様、お選びになったものをこちらへ」


 六冊ほどの本をエリアスは受け取り、ルミティは「このくらいかしら」とつぶやいた。


「もうよろしいのですか?」

「えぇ、次からは外商さんを通してお願いしようかしら」

「奥様、この度はご贔屓にしていただきありがとうございました」



 馬車の中、購入した小説を見ながらルミティは少しだけ反省していた。というのも、「公爵婦人」という自分の立場をもう少し重んじるべきだと考えていた。

 彼女が浮かない表情をしているのでエリアスが心配そうに話しかける。


「奥様? ご気分が?」

「いいえ、少し反省しているの」

「反省?」

「私、ほんの少し本屋さんにいって素敵な本を買うくらいに思っていたの。けれど、貸切にまでしてもらって、これからは外商さんを通してお願いすることにするわ」

「でも、自ら店にいって選びたいと何か不満なことが?」

「いいえ、私が貸切にしたことで市民の皆様や子どもたちがもしかしたら今日この日しか来られないのに我慢をさせてしまったかもと思ったら申し訳なくて……」

 エリアスは、彼女の発言に少し驚き、はっとしてそれからそっと彼女の手を取った。

「お優しいことは奥様のとても素敵な部分だと僕は思います。けど……もう少しわがままを言ってもいいんじゃないかな?」

「わがまま? 十分言われてもらっているわ」

「僕はヴェルズを知っているけど、彼はもっとわがままだし他の公爵様や婦人方もこんなに慎ましい人はいないよ。傲慢にはなる必要はないけれど、自分が享受できる幸せや特権は受け取ったっていいと思う」

「そうかしら」

「あぁ、だって貴女は……奥様は特別なのだから」


 そう言ってエリアスは彼女の手の甲にキスをして微笑んだ。優しく手の甲を撫で、ゆっくりと彼女の膝の上に戻す。そして、ルミティが顔を真っ赤にするとエリアスは満足げにゆっくりと瞬きをする。


「わがまま……ね」

「たとえば、今日の夕食はこれじゃなきゃ嫌。とかそういう小さいことからでも。もっとボルドーグ家に甘えればいいんだ。貴女はこの家の婦人なんだから」

「なかなかなれないわ。実家ではわがままを聞く側で慣れてしまったから」

「そうなのかい? 確か、ロビンの他にお姉様と妹君がいたね」

「えぇ、妹のマロン。領地一の美貌をもつ賢い子よ。愛らしい子だからなんでも聞いてあげたくなってしまって。わがままというと彼女が思い浮かぶわ」

「そう……たとえば?」

「たとえば……そうね。私がお祖父様からいただいたブレスレットが欲しいとねだってきたり、学園の休暇の宿題を手伝ってとか?」

「妹……か」

「エリアス?」

 ほんの笑い話のつもりだったルミティは真剣な表情のエリアスに違和感を感じ声をかける。すると彼はすぐにいつもの軽薄そうな笑顔に戻った。


「さて、奥様。目の前には貴女だけの騎士がいます」

「そ、そうね?」

「初めてのわがままを僕に言ってみては?」


 ルミティは控えめに微笑んで口を開いた。

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