Side*エリアス 1



「旦那様、未だ奥様にかけられた呪いの発動条件は掴めません」


 魔法が解けて、金色に染めていた髪が元の色、銀色に戻っていく。王宮の占星術師として活躍した先代が残した秘術だがこんな場面で役に立つとは思っても見なかった。


 ブルーノの報告に苛立ったエリアスは濡れた銀色の髪をタオルケットでゴシゴシと拭き、バスローブを羽織った。ボルドーグ公爵家別邸、エリアスは大きなため息をついた。


「ですが、これまでに確認できた『不運』は現在起こらず。奥様は穏やかに過ごされていました。旦那様」


「それは、僕が送ったあの手紙が彼女にとっての『不運』にカウントされたのでは? けれど、エリアスとして彼女に近づいて、なおわからなくなったよ」


 深いため息のあと、ヴェルズは窓から本邸を眺めた。灯りは消え、妻が寝静まっているようで彼は少しだけ安心する。


「旦那様。奥様の呪いは具体的にいつから?」


「あれは、彼女が中等部いた時じゃないだろうか。僕が彼女の兄ロビンと共に彼女に忘れ物を届けに行った時のこと。彼女の後ろには恐ろしい呪いの影がうつっていたんだ。悍ましい、言い表せないような禍々しい呪いさ」

「それで、その時旦那様は奥様に一目惚れを?」

「ブルーノ、揶揄わないでくれ」

「でも事実ではございませんか。それからさまざまな御令嬢たちとのお見合いをお断りになって。怒った相手型の貴族様たちをロビーで堰き止める私共はどんなに大変な思いをしたか」

「それは……悪かったよ。けれど、彼女は貴族という立場にありながら純粋で優しくて自分よりも他人を優先するような子なんだ」

 胸に手を当て、ヴェルズはルミティのことを想った。

「となると、呪いに関しては奥様の感情に左右されるものなのでしょうか。現状、彼女に以前あったような不運が訪れないことを鑑みると……」


 ブルーノは話題を戻すと片眼鏡を直し、じっとヴェルズを見据えた。ヴェルズは真剣な顔で


「もしも、彼女がエリアスを愛し始めたら不運は起きると思うか?」

「呪いがどこまで正確か……によるのでしょうけれどもしも奥様にエリアス=旦那様だと勘付かれなければもしかすると……」

「なるほど」

「旦那様、いさかか詰めが甘いかと」

「どういう意味だよ」

「奥様にばれかけています」

「えっ! 僕の変装は完璧だろ」

「変装は、でございます。初日から言葉の節々におかしなことが。本日も、あのヘアパック。まるで自分が送ったとでもいうように感想をおっしゃってましたよ」

 ヴェルズは、昼間に起きたことを想像して耳を真っ赤にした。妻に変装がばれかけていることではなく、彼の脳裏には妻の美しい髪や愛らしい笑顔、色っぽい耳の裏や頸が浮かんだからだ。

「綺麗……だったなぁ」

「旦那様。奥様の呪いの原因を探し彼女がこれ以上悲しまないために呪いを解いてから本物の夫婦となる。だから身を隠して彼女を守るのでは? 鼻の下を伸ばしていては本末転倒ですよ」

「ブルーノは厳しいなぁ。けれど、その通りだ」


 呪いというのは恐ろしいものだ。

 というのも、本人が「呪われていることを自覚」するとその力が強くなり、以前の発動条件を超えて対象者を苦しめることがある。だから、ルミティ本人に「呪いを解くために動く」ことを伝えることはできない上、彼女に不運が降りかかる条件が不明確すぎるので「愛のない契約結婚」という体にするほかなかったのである。


「愛されることは条件ではない」

「左様に思われます。旦那様はヴェルズとしてもエリアスとしても奥様を愛していらっしゃいますが奥様は転んだり肥溜めに落ちたりしておりませんから」

「では、やはり彼女が誰かを将来を共にする相手として愛そうとすることが発動条件なのでは? お見合いのたび不運に見舞われるということだからな。親兄弟には発動してないわけだし」

「そのためのエリアスという変装でございましょう?」

「あぁ、そうだが……。そういえば、『おし』がなんとかとか。そもそもルミティはいい子だから愛のない契約結婚だとしてもエリアスに靡くかどうか」

「旦那様それはエリアスとしての旦那様の努力次第かと。おし……について私にはよくわかりませんが……もう一つ呪いを解く手かがりが」

「言ってみろ」

「呪いがかかっているということは、かけている・またはかけた人間がいるのです。彼女の周りを捜査してみるのはいかがでしょうか。呪いをかけられるような強い魔力と知識を持った人間はそう多くはないはず」

「確かに、一理ある。エリアスとして彼女を守りつつそれとなく聞いてみるか」

「旦那様、それから」

「なんだよ」


「奥様は私たち使用人にもクッキーを焼いてくださるようなお優しい方。絶対に、救ってください。先代の守ったこのボルドーグ公爵家の夫人になるべきお方だとブルーノは思います」

「食ったのか」

「はい?」

「ルミティが焼いたクッキーを食ったのか」

「旦那様、こちらを」


 ブルーノはテーブルの上に小さな紙包みを置いた。ヴェルズはそれを引っ掴んで開く。中には可愛らしい猫の形のプレーンクッキー。


「旦那様は、エリアスとして奥様と一緒にいる時に忘れているように思います」

「んなっ」

「呪いに関する調査にございます。旦那様、本来であれば奥様の幸せはこのボルドーグ公爵家のヴェルズに愛されること。呪いがとければ全てを話すとはいえ……少々鼻の下を伸ばしすぎですよ。その上、我慢できずにヴェルズとして贈り物を送りすぎでございます」

「それは、そうだな。気をつけるよ。とにかく、エリアスとして彼女の呪いの発動条件と発生源を探すよ」



 部屋を出ようとするブルーノにヴェルズは


「じいや。ありがとう、クッキー」


 と感謝を伝えた。

 ヴェルズの次も目標は「エリアスとしてルミティに将来を誓える相手として愛してもらい、それによって彼女に不運の呪いが発動するか」を確かめることである。無論、不運から彼女を守るつもりでいるヴェルズだったが……


 ルミティの中でエリアスは『推し』なのである。



「はぁ……早く呪いをといて君と一緒に暮らしたいよ。ルミティ」


 猫型のクッキーを愛おしそうに見つめ、ヴェルズはポツリとつぶやいた。


 

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