5 不運令嬢、推しに褒められる



「奥様、本日もエリアス様は麗しかったですねぇ」


 猫足のバスタブの中、泡風呂に浸かっているルミティはメイドのルナに洗髪してもらっていた。ルナはうっとりしたような声でエリアスのどこが良かったとか、仕草が素敵だとか話した。


「そうねぇ、同感よ」

「えっ、奥様。もしかして、奥様もエリアス様を推しに⁈」

「うふふ、実はね。エリアスは私が幼い頃によく読んでいた童話のヒーローに似ていると思って。彼はここに職務で来ているから不快な想いをさせないようにこっそりね」

「もしかして、『華麗なる王子』のエリート様ではありませんか?」

「そう、ルナも知っていたのね」

「知っていたも何も! 彼は初恋。今でもずっと推しです。奥様、私たちとっても気が合いますね。そうだ、今日は旦那様から蜂蜜をたっぷり使ったヘアパックが送られてきたのです。失礼しますよっと」

 

 ルナがビンの中から黄金色の蜜のようなものをたっぷりと手づかみすると、ルミティの髪に優しく塗った。甘い蜂蜜とハーブの香りが広がって、ルミティの肩の力が抜ける。


「旦那様が?」

「えぇ、奥様のためにって。奥様の御髪はお美しいですからね。奥様の儚い雰囲気によく似合っていて……今日も中庭の薔薇のアーチの下で読書をする奥様はとてもお美しかったです」

「ルナは褒め上手ね」

「めっそうもございません。奥様こそ、幼い頃から言われ慣れてらっしゃるのでしょう?」

 

(幼い頃から、髪の色がおばあさんみたいだとマロンにバカにされていたわね)


「私は、美しい金色の髪に憧れたものよ。それこそ、『華麗なる王子』のヒロイン・プリンセスアテネみたいにね」

「奥様、私たちとことん気が合いますわね。あの日の光に輝く金髪。見惚れてしまいますわ」

「私は、ルナの黒髪も凛としていて素敵だと思うわよ。それに、真っ直ぐでツヤツヤしていて羨ましいわ」

「えへへ、それだけが取り柄なんですよ。寝癖も付きにくいし、雨の日でもくねくねしないんです」

「あら、羨ましい」


(旦那様が私の髪のために……?)


 外商への口利きや今回のヘアパック、「愛のない契約結婚だ」と手紙を置いて顔を見せないヴィルズ。当初、ルミティは彼が「女性には興味がないが世間体のために結婚をしている」「本来婚約できないような女性を愛しているためお飾りの妻を立てる必要がある」など公表できないような事情を持っているものだと思っていた。

 しかし、蓋を開けてみると姿こそ現さないものの彼がルミティにさまざまな贈り物をしかも「ルミティの容姿や好みを把握しているような形」で送ってくださるのだ。まるで、遠距離で暮らす愛しい妻にするように……。


(このことを知っているのは夫婦と彼の親友であるエリアスだけ。カモフラージュ……? ダメよ、悪い方に考えては。ご好意を素直に受け取りましょう)



***



「奥様、本日は残念ならお天気が優れませんね」


 窓の外は雷雨、朝だと言うのに夕方のように暗い。ルミティは残念そうにカーテンを閉めるとため息をついた。今日は都市部にお出かけし、本屋でじっくり読みたいものを探す予定を立てていたからだ。ブルーノたちは外商を呼ぶことを提案してくれたが、ルミティとしては都市部にある大きな本屋に赴き、自ら本を探すという行為が重要で、家の中で上げ膳据え膳して欲しいわけではない。


「残念だわ。楽しみにしていたのだけれど。エリアス、ここへ来る道中、濡れなかった?」

「僕は大丈夫、ところで……」

「……?」


 自室のソファーに腰掛けているルミティーをじっと見つめ、エリアスは手をのはず。彼女の胸元まで伸びた薄灰色の柔らかい髪に触れ、唇を近づける。


「っ……? エリアス?」


 驚いて顔を真っ赤にする彼女に、エリアスは


「とても、美しい髪だ。こんな天気なのに、シルクのように滑らかで」

「エリアス、ち、近いわ」

「失礼しました。あまりにも奥様の髪が綺麗でつい」


 彼は一歩下がると少し頬を赤らめながら視線を落とす。


「髪といえば、私は貴方の金髪が羨ましいくらいよ。プラチナブロンド、繊細でいてそれから程よい高級感と希少な美しさ。子供の頃はよく憧れたものだわ」

「そうでしょうか? 僕は、奥様の薄灰色の髪がとても美しいと思います。それに、その甘い香りは?」

「昨晩のヘアパックのことかしら。旦那様からハチミツとハーブのヘアパックが。そう言われてみると、今日は生憎のお天気だけれど、髪の毛のご機嫌がいいわね」

「それはよかった。髪の毛の……ご機嫌?」


 エリアスは不思議そうに首を傾げた。


「そう。私の髪はね。猫っ毛だからお天気が悪い日はふわふわ色んな方向にくねってしまうの。頭の上の方が膨らんだり、毛先が色んな方向に跳ねてしまったりね」

「あはは、奥様の表現はとてもユニークだね」

 エリアスは目を細め、肩を揺らして笑った。普段、クールな印象で笑顔というと優しい微笑みを浮かべているようなイメージだが、今ルミティの目の前にいる彼は年相応の青年らしい表情をしている。


(笑顔も素敵だわ)


「髪の毛のご機嫌がいいと奥様は嬉しいかい?」

「えぇ、そうね」

「ヴィルズに伝えておくよ」

「ありがとう。エリアスは頻繁に旦那様にお会いになるの?」

「まぁ、毎日ではないけれど忙しい合間を縫って報告はするようにしている、という感じかな」

「たとえ、愛がなかったとしてもこんなにも良くしていただいているのだから、一度くらいお礼を言われていただきたいの。ダメかしら」

「聞いてみよう。今は忙しいようだが、ゆくゆくは結婚披露宴なんかもしないとならないだろうから。全く……」

「でも、無理を言わなくていいわ。旦那様の邪魔になるようなことだけはしたくないから。もしも、突然不運なことがまた起きて旦那様の身に何かあったら……」


 最悪の事態を想像して不安げな表情になるルミティをみてエリアスは話題を戻す。


「奥様、もう一度髪に触れても?」

「いいけれど……後ろからね」

「かしこまりました」


 エリアスは立ち上がってソファーの後ろ側に回り、ルミティの背後に立った。そして、「失礼」と言ってから優しくルミティの髪を手櫛でとかしていく。一本一本が細くて繊細、指の間をつるつると逃げるように芯のある毛先。ふわっと広がるのは甘くて爽やかな香り。

 エリアスの指が少し首筋に触れると彼女はヒクンと肩をかすかに震わせる。ルミティの耳が真っ赤になっている。


(推しに髪を褒められるなんて……変わった騎士様だわ)


 ルミティは、彼が満足するまでじっと耐えた。男性に髪を触られるというのは彼女にとって初めての経験だからだ。ふと、ルミティが視線を上げる。

 彼女の目の前にあるアンティークの戸棚、そのガラス窓にエリアスの姿が写っていた。彼はまるで愛おしい人を愛でるような優しい表情でルミティの髪をそっと撫でている。

 

(あぁ、彼は何を思って……けれど、人に褒めてもらうのがこんなにも幸せだなんて)


「あの、エリアス……?」

「どうされましたか?」

「そろそろ、良いかしら。その、旦那様がいる身。貴方自身にとってもあまり距離が近いのは良くないことよ」

「失礼しました……」


 彼はそっと髪にキスをしてからルミティのそばから離れ、


「奥様、少し席を外しても?」

「えぇ、私はこの部屋にいるわ」

「すぐに戻ります」


 エリアスが部屋から出ていくと、一気に緊張から解放され力が抜けてソファにうなだれる。彼女の胸はまだドキドキと高鳴っていて、治る気配がない。


「推しとの距離が近いのは心臓に悪いわ……。それにしても、なんだか違和感があったわ。どうしてエリアスは急に髪のことを言い出したのでしょう?」


——それは良かった。


 ヘアパックの効果が良かったことをルミティが話した時、彼はそう言ったのだ。


「とにかく、推しと近づきすぎるのはやめましょう。程よい距離で拝ませていただこうっと」


 ルミティの中で、エリアスに対する気持ちがどんどん「推し」に変化していく。一方で、扉の前この独り言を聞いていたエリアスは「推し」という言葉に首を傾げ、戻るタイミングを失っていたのであった。



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