3 不運令嬢、騎士と出会う


「ハーブティーとスコーンでございます」


 ルミティは自室に戻り、騎士エリアスと二人きり。彼は相変わらず笑みを浮かべていて、あまりに美しい造形の顔に見惚れてしまいそうになった。

 夕食までの短い間、お付きの騎士となる彼との挨拶の時間である。トレイを持ったブルーノが部屋を出て扉が閉まると、エリアスが先に口を開いた。


「大丈夫、ブルーノ爺にはこっそり人払いを頼んだから」

「人払いですか……?」


 ルミティが首を傾げる。猫足のテーブルセット、ルミティと向かい合って座っているエリアスは立ち上がってぐっと近づいてくる。テーブルの上のハーブティーが揺れ、あまりの至近距離にルミティは身を引く。しかし、背もたれに邪魔されて逃げきれなかった。

 すぐ耳元に彼の唇がせまり、


「契約結婚のことだ」


 と言われた。ルミティは、こんなにも至近距離での会話が初めてなことと、契約結婚を他に知っている人間がいた両方の驚きで心臓が飛び出そうになった。

 エリアスが離れてからゆっくりと声を出す。


「それをご存知なんですか」

「僕はヴェルズの親友です。知っていますよ奥様。それと、もう少し気軽な関係で良いかと。とにかく敬語はやめていただけると嬉しいな」


 ルミティは動揺しつつ「えぇ」と答えた。エリアスは「よし」と笑顔になると椅子に腰掛けてハーブティーを一口飲んだ。


「ヴェルズは気難しいやつでね。僕から謝らせてくれ」

「いえ、私は……」

「不運令嬢だから十分だって?」

「それも、ご存知でしたか」

「敬語」

「知っていたのね」

「あぁ、ヴェルズもね。けれど、ここへきてから不運なことは起こったかい?」

「そう言われてみると、旦那様に『愛のない契約結婚だ』とお手紙をいただいたこと以外は何も」

「だから、君は今の状況を受け入れていると?」

 ルミティは少し諦めたような笑みを浮かべ、俯いてから

「そうかもしれない。私の不運はお相手に移ることもあるから。愛がない契約結婚の方がうまくいくのかもしれない。なんて思っているの。旦那様はお会いしたこともないけれど、私の不運体質を知ってそう言ってくださったのかも」

「僕は納得いかないけどな。こんなに綺麗で優しい奥さんを邸宅に閉じ込めておくなんて」

「ありがとう。でも私は満足よ」


 エリアスが真剣な表情になる。ルミティは見つめられていることに気がついて目を泳がせた。


(契約結婚とはいえ私は夫のいる身。他の男性にドキドキしては……彼はとても素敵な男性だけど、こんなに良くしてくださる旦那様を裏切るわけにはいかないわ)


 ルミティの心が少し揺れてしまったのには理由がある。目の前にいるエリアスという男は、彼女が幼い頃から憧れていた『華麗なる王子』という童話のエリート王子にそっくりなのである。


(まるでエリート王子が絵本の中から出てきたみたいだわ)


「お優しい人だ。奥様、こちらお近づきの印に」


 ルミティは手渡された小さな箱を開けてみると、そこにはブルーの宝石があしらわれた小鳥のブローチだった。手に取ってみると不思議なほど軽くて、彼女は驚く。


「幸運の青い小鳥をモチーフに、魔除け効果のあるラピスラズリを使ったブローチです。僕の魔力を込めているので、奥様に危機が迫った時すぐに気がつくことができる。だから、僕がそばにいないときは身につけおくか持ち運んでおいてもらえると」


「わかりました、ありがとう」


 そう声堪えるのが精一杯で、ルミティはごまかすようにハーブティーを飲んだ。目の前にいる男があまりにも美しすぎるのだ。何よりも、生まれて初めてと言って良いほどの幸運に体も心も慣れておらず落ち着かない。


(だめよ。私は既婚者。彼はお仕事で騎士をやってくださっているだけ。素敵な方だけれど童話と同じく眺めるだけにしましょう)


「奥様? 少しお顔色が悪いようだが……」

「いえ、えっと……」

 ルミティは体調が悪い訳ではなかったが、本日自身に訪れた幸運のラッシュに気疲れしてしまっているのを感じた。『愛のない契約結婚』のはずが、夫は妻のためにドレスを注文していたり騎士まで手配してくれていた。誰一人としてルミティに意地悪をする人やプレッシャーをかける人は存在しないし、大事な場面で小鳥のフンが顔に掛かるとか、熱々の紅茶をこぼしてしまうとかそういう今まで起きてきたような不運も起きない。

 彼女にとっての日常が非日常になって、幸せなことに慣れていないからだろう。


「もう休んだ方がいい。奥様、失礼しますよっと」

 

 エリアスはツカツカとルミティの方へ歩み寄るとさっと彼女を横抱きにした。小さな声で「掴まってください」と彼女の手を首元に誘導し、優しい視線を落とす。そのまま、ゆっくりと歩いてベッドまで移動し、彼女を下ろした。


「夕食になったらブルーノ爺が呼びに来てくれるように手配しておこう。無理をさせて申し訳なかった」

「いえ、あの旦那様には?」

「ヴィルズ?」

「ええ、本日お会いしたりするのかしら」

「無論、屋敷の施錠が終わったら彼に今日の報告をするが……」

「外商さんにドレスをお願いしてくださっていたこと……桜色のドレスのことお礼を伝えていただける?」

 エリアスが眉間に皺を寄せる。

「君にこんな仕打ちをしているあいつに?」

「仕打ちだなんて……きっとご事情あってのこと。とにかく、お会いできたら『ルミティは幸せです』と伝えてほしいの」

「わかった」


 エリアスは不満そうに、何度か瞬きをしたあと横になっているルミティの手の甲にキスをしてそっと部屋を出ていった。





***  Side ??? ***



「では……の条件……?」

「いや、見られませんでした」

「……様、……し、注意……です」

「すまなかった。つい」

「引き続き、……の発動……を操作……よ」


 男はゆっくりと息を吐いた。月明かりの中、彼は王宮のバルコニーからボルドーグ公爵家の屋敷を眺める。


「よくお似合いですよ」

「お世辞はいらん」

「まさか、けれどなかなかうまくいかないものですな」

「うるさい、笑うなよ」

「いえ、不器用だとそう思った次第です」

「ふんっ」


 二人の男は背を向けるようにして歩き出した。


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