2 不運令嬢、買い物をする
午後、外商がやってくるまでルミティは邸宅の中を散策していた。地下一階から地上三階建てで隅々まで掃除の行き届いた建物には数えきれないほどの部屋があった。
(小さい頃、お父様と訪れた美術館のようですわ)
ボルドーグ家の先代公爵がアート作品をコレクションするのが趣味だったとは聞かされていたがこれほどまでとは思っていなかった。隣国で有名な画家の作品から歴史的価値の高そうな骨董品まで。その中でも一際目立っているのは、応接室に置かれた壺だった。大きさはルミティの腰の高さほどあり、繊細な金をあしらい、曲線が見事な白い壺。
ルミティが壺に見入っていると、どこからともなくブルーノがやってきて彼女に声をかけた。
「そちらがお気に召されましたか? 奥様」
「ひゃっ」
「おや、驚かせてしまいましたね。ご無礼をお許しください」
「いえ、ごめんなさいね。あのこの壺は?」
「こちらは、先代公爵が王家から贈呈された壺でございます。歴史的価値も高いものですが、先代の功績を讃えられ贈られたものだそうで。なんでもその価値はこの邸宅3つ分とか」
「まぁ……」
ルミティがその壺から一歩離れるとブルーノが優しく笑い「冗談です、邸宅ひとつ分です」と付け加え、彼女は顔を真っ赤にした。
「とても高いのには変わりがないのね」
「えぇ、我々もお手入れをするのに緊張をしてしまいますね」
「本当に……」
「奥様、外商がもうじき到着するかと。試着も兼ねるので2階の奥のお部屋にご移動を」
「応接室ではなくて?」
「はい、2階の一番奥は衣裳部屋を兼ねたお部屋になっておりまして……外商を呼んで買い物をするための部屋でございます。この邸宅には週に数度、呼べばすぐに外商が参りますので専用のお部屋と奥様用の衣裳部屋をつなげているのです」
ブルーノに案内されながら、衣裳部屋に向かいルミティは実家である田舎の伯爵家と都市部に邸宅を構える公爵家の違いに驚いていた。実家では外商が来るのは月に1度。家族が多かったこともあって応接室で一気にドレスを選んだり試着したりしていた。もっぱら、ルミティは姉のお下がりを着ることが多く外商から買い物をするのは末妹のマロンが中心だった。
「あの……とっても広いですね」
「そうでしょうか。旦那様はこれでも狭いのではとおっしゃっていましたが」
通された部屋は見渡すほどの広さであった。ルミティは邸宅の図面を想像してハッとする。この場所は1階奥にある食堂の真上なのだ。何十人もを招待して晩餐会を開けるような広い食堂と同じ広さ。手前は床から天井までの大きな姿見があり、外商が商品を広げるようなスペース、一人が腰掛けるようのソファ。そして、間仕切りの奥は全てウォークインクローゼット。中身は空だが、何百着というドレスを収納できそうだった。
「ブルーノ。私、ドレスは数着しか持っていないの。こんなに……広すぎるかもしれないわ」
「奥様、旦那様からは奥様の気のすむまでドレスを買い、場合によってはオーダーしろと命を受けておりますゆえ、心配ございませんよ」
ドアの向こう、廊下がざわざわと騒がしくなりしばらくするとメイドの「ご到着でございます」という声が響いた。ルミティはブルーノに目配せをして、ドアを開けてもらう。
「奥様! 初めてお目にかかります。私はこのボルドーグ公爵家を担当されていただいておりますジョエンヌと申します。あぁ、旦那様から伺った通り。美しい薄灰色の髪に薄灰色の瞳。真っ白な肌と華奢なお体……本日百着ほどのドレスを仕立ててまいりました。それから、アクセサリーに靴、小物……」
ジョエンヌと自己紹介をした中年の女性はルミティの手を握ったまま捲し立てるように言った。彼女の後ろには部下の女性たちがドレスを手にずらっと並んでいる。
あまりのことに圧倒されるルミティは
「私、ドレスにあまりこだわりはなくてですね。えっと……普段は姉のお下がりばかりでしたから」
と謙遜する。しかし、ジョエンヌはそんなことお構いなしに
「奥様、好きなお色はございますか? それと、普段着になさるドレスの着心地にお好みは?」
ルミティは少し考えるが、好きな色と言われても思い浮かばない。ただ、ひとつ言えるのであればドレスの窮屈さが少し苦手であった。だからこそ、姉のお古を着るのに抵抗がないどころか、誰かが着古して柔らかくなった服の方がむしろ心地よかったのかもしれない。
(とはいえ、お飾りでも公爵夫人として恥ずかしいことは言えないわよね)
「着心地は……座って本を読むことが多いのでゆったりとしたものが好みかもしれませんわ。お色はこだわりはありませんわ」
ジョエンヌは、メモをとりその後後ろにいた部下の人たちに何やら伝える。その間、何度かルミティを見て彼女はメモをとった。
「奥様、早速試着に参りましょうか。みんな、準備を」
「はいっ! ジョエンヌ様」
「えっ、あっ、えぇっ!」
ジョエンヌに肩を掴まれてぐいぐいと間仕切りの奥に押しやられ、瞬く間に身につけていたドレスを脱がされてしまった。
「まずは、旦那様一押しの桜色」
「旦那様が?」
「えぇ、薄灰色にはよく似合うと言われているお色味です。桜というのは極東に原種を持つ薄い桃色の花でございます。はい、少しきゅっとしますよ」
少しどころではなく腰を絞められ、ルミティは「くっ」と声にならない声で苦しさを表現する。しかし、そのドレスを着てしまえば、自然と苦しさはなくなった。
「まぁ、とってもよくお似合いですわ。ささ、姿見の前へ」
間仕切りの奥から姿見のある場所まで移動すると、ブルーノやジョエンヌの部下の女性たちが「おぉ」と声を上げる。そして彼女たちは口々に「美しいわ」「さすがはヴェルズ公爵のお見立てだわ」と噂する。ルミティは少しだけ嬉しい気持ちになりつつ、姿見に映った自分を見つめた。
桜色、薄い桃色のドレスは何枚もの生地を重ねて作られた繊細なドレス。プリンセスラインでふんわりしたスカートには小さなダイヤモンドがあしらわれていたし、露出を抑えるために胸元から首にかけては白いレースで仕立てられている。
「さ、靴をこちらへ! それからアクセサリーもよ」
それからは、社交界用のドレスから普段着までルミティは数十着を着たり脱いだり。ブルーノがお茶を持ってくる頃には、彼女は目が回りそうなほど疲れていた。テーブルに並んだ紅茶とクッキー、ジョエンヌはお茶休憩の間も部下の女性たちに何やら指示を出したり、ルミティをじっと見てはメモを取ったりを繰り返している。
(とっても、パワフルなのね)
「奥様、お買い物はいかがですか?」
「私には勿体無いくらいのものばかりで緊張をしていたところよ。どれをいただくが、まだ迷ってしまって」
ブルーノは少しだけ考えてから
「奥様は慎ましいお方なのですね」
と言いつつ、彼はまだルミティに売り込みをしようとするジョエンヌを視線で抑えた。普段は物腰穏やかな老紳士のブルーノだが、その瞬間見せた威圧感はまるで主人を守る番犬のよう。ジョエンヌは手に持っていた煌びやかなブレスレットを箱に戻すと用意された紅茶を一口飲んだ。
「ジョエンヌさん、もし宜しかったら一番最初に試着させていただいた桜色のドレスと、ゆったりとした普段着を何着かいただいても……?」
「まぁ、かしこまりましたわ。奥様、それではドレスに合うヒールをいくつかとアクセサリーをお見せしますね」
「あぁ、アクセサリーはあまり身につけませんので靴だけで構いません。イヤリングって耳がすぐに痛くなってしまうので」
ルミティがクスッと笑うと場の空気が少し和んで、ジョエンヌがルミティーの耳にそっと触れる。
「奥様はお耳が小さくていらっしゃるから、強く締め付けないとイヤリングが落ちてしまわれるのでは?」
「はい、なのでつけないことが多いかもしれないですわ」
「オーダーで作らせてみてはいかがでしょうか? ウチのお付きのアクセサリー職人に作らせますわ。採寸を……よし。次の訪問の際にお持ちしますわ」
「嬉しいです」
やっと笑顔になったルミティを見てジョエンヌはほっと胸を撫で下ろし、虎視眈々と売上アップのために営業を続ける。とはいえ、生まれながら質素で物欲のないルミティの牙城を崩すのは容易ではない。彼女は目の前に魅力的な商品があっても実際に使うかどうかを想像して「勿体無いわ」「またの機会にするわ」と口にするのである。
(旦那様のお飾りの妻として最低限のものだけあれば十分だわね。たくさん着てあげないとドレスの方も可哀想だわ)
「全部買ったらいいんじゃないか?」
見知らぬ声にルミティが振り返ると、そこには見慣れない男の姿があった。騎士服を身に纏った彼はスラっと手足が長く、絵に描いたような美しい顔は少し軽薄そうな笑みを浮かべている。
「おや、エリアス殿。お早かったですな」
「ブルーノ爺。そりゃそうさ、ヴィルズから美人な奥さんの騎士になるように命じられたんだからね。あぁ、申し遅れました奥様。僕はエリアス。ヴィルズ家に仕える騎士でございます」
エリアスが立膝をつく最敬礼をすると、サラサラした金色の髪が揺れる。彼は顔を上げると、シルバーの瞳でじっとルミティを見つめた。
「はじめまして、ルミティと申します」
「やっぱり、ヴィルズから聞いた通りだ。僕は彼と寄宿学校の同級生で……」
(ということはロビン兄様のこともご存知かしら)
「それでは、我が兄もお世話になったかと」
ルミティの言葉を聞いて、エリアスは驚いたように小さく息を吸ってそれから一瞬だけ目を泳がせた。そこでブルーノが咳払いをし
「エリアス殿。奥様はお買い物中でございます。騎士として仕えるのであれば、ご挨拶もほどほどに部屋の外で待機するのがマナーでは?」
「あ、あぁ。そうだね。お買い物が終わったら、ゆっくりと自己紹介をさせていただけると。あはは〜、失礼しました」
エリアスが部屋を出ていくとブルーノはすぐにフォローするように
「彼は旦那様の幼馴染にございます。ボルドーグ家の騎士として奥様を守るように明示されておりますので後ほどお話を」
とルミティに言った。
「騎士様が? 私に?」
「奥様、奥様はボルドーグ家の公爵夫人となられた身。専属の騎士があなたをお守りすることは当然でございます。彼は少々軽薄なところもございますが……何かあればこのブルーノにお申し付けを」
紅茶を飲み終えると、ルミティは読書時のブランケットと入浴時のバスローブを注文し本日の買い物を終えたのだった。
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