1 不運令嬢、お飾りの妻になる



 ボルドーグ家の邸宅はクラス王国の都市部に位置し、アルバンカ家の領地とは馬車で数時間の距離であった。貴族街の中でも一際大きく豪華な邸宅に、ルミティは驚いていた。


(私、何事もなく無事に辿り着いたんだわ)


 馬車を降りて、玄関ロビーへと案内される。執事のブルーノはシックなシルバーブロンドをオールバックに整えた老紳士。何人かのメイドを紹介したのち、ルミティのために用意された部屋へと彼女を案内した。豪華な赤絨毯が敷かれたロビー、大理石の廊下には額縁に入った絵画や高そうなアンティークが並んでいた。ブルーノによると、先代のボルドーグ公爵のコレクションで価値をつけるのが難しいほど貴重なものが並んでいるらしい。


「あの、ブルーノさん」


「奥様、ブルーノで構いません」


「ブルーノ。旦那様はどちらに? ご挨拶をと……」


 ルミティがそういうとブルーノは胸の内ポケットから手紙を取り出してルミティに渡した。


「旦那様から、こちらを奥様に渡すようにと。それでは失礼いたします。何かございましたら私か使用人をお呼びください」


 ブルーノが部屋の扉をゆっくりと閉めた。案内された部屋は可愛らしい小鳥のアンティークや小花柄の陶磁器が飾られている。星をあしらった小さなハープや木彫りの妖精がたたずむサイドデスク、本棚には童話やラブストーリーメインでずらっと本が揃えられている。桃色のレースをあしらった天蓋付きの大きなベッドには、肌触りの良さそうな寝具が並び、奥には煌びやかなドレッサー。


(まるで、お一人で眠るような部屋だわ)


 ルミティは部屋に疑問を抱きながらも、猫足のチェアに腰掛けて受け取った手紙を読み始めた。


『ミルティ嬢へ。このような挨拶となり大変申し訳ない。ただ、君に伝えるべきことはただ一つ。我々の結婚は愛のない契約結婚として受け入れてほしい。僕が大きな問題を解決するまでは、君に会うことも叶わないだろう。君がいるその邸宅は好きに使ってくれて構わないし、僕との婚姻を続けてくれるのであれば何をしてくれてもいい。それではお元気で ヴィルズ・ボルドーグ』


 手紙の最後の方は走り書きになっていた。封筒の中にはダイヤモンドをあしらった指輪が入れられていて、それはルミティにぴったりのサイズ。お飾りの妻として左手の薬指にしておけということなのだろう。

 ルミティはガックリと肩を落とす。無事この家に着いて執事のブルーノも使用人たちも優しくて、もしかしたら「不運」なんて嘘だったのかもしれないと彼女は思っていたのに、この手紙を読んだ彼女は自分が自惚れていたのだと強く思った。


「公爵様は愛などに興味のないお方だったんだわ。名前だけの妻が欲しかったんだわ。私はここで誰にも愛されることなく、朽ちていくのね」


 ルミティの瞳から涙が溢れる。今までに経験したどんな「不運」よりも辛い結婚初夜を一人きりで過ごすことになった。



*** Side ??? ***


「無事、到着されました」

「様子は?」

「……——で、以上ありませんでした」

「なるほど、こちらの推測は正しかったと」

「おそらく。……様の計画を遂行しても問題ないかと」

「わかった。明日から計画開始だ」

「では……」



*** *** *** ***



「奥様 朝食のご準備が整いました」


 朝、部屋の前で声がして眠れなかったルミティは目を擦った。いつも眠っていた実家のベッドとは風景が違って脳がおかしな感覚になる。横になっていたのに体の疲れは取れていないし、泣いていたせいか目元が少し赤く腫れていた。


「今日はお部屋でいただいてもいいでしょうか」


「かしこまりました。お持ちいたしますね」


 ブルーノの優しい声に安心して、それからルミティはベッドから起き上がるとバルコニーにつながるお大きな窓を開け、朝の光を浴びた。都市部にある大きな時計塔の鐘の音。庭にある大きな噴水からは爽やかな水が跳ねる音が響き、バルコニーの欄干では小鳥が羽を休めていた。

 朝日に照らされた景色がとても綺麗で見入っていると、部屋に入ってきたブルーノに「冷えてしまいますよ」と声をかけられた。


「あぁ、ブルーノ。朝食をありがとう」

「奥様、ご体調に不安が?」

「いえ、新しい場所で……まだよく眠れなかっただけ。ごめんなさい、本来なら食堂で……」

「ご体調は? 医師をお呼びしましょうか」

「大丈夫よ。朝食を頂いたら少し横になって休むわ」

「何かあれば私にお申し付けください。旦那様より奥様のことは蝶よりも花よりも大事にするようにと……」

 ルミティがあまりにも悲しそうに俯いたので、ブルーノは言葉に詰まった。

「奥様……?」

「いいえ、ごめんなさい。旦那様にそう思っていただけて嬉しくて」

 作り笑いを浮かべ、ルミティはテーブルに並んだ朝食に手をつける。搾りたてのオレンジジュースにふわふわのオムレツ、甘くてカリカリしたクロワッサン。


(あぁ、旦那様に愛されているフリをしないといけないなんて辛いものね。けれど、大丈夫。立派に妻としての立場をいただけたのだもの。もっと前向きに考えてここでその仕事を全うすればいいのだわ。お父様やお母様のためにも)


「奥様、ご体調が戻りましたら本日は旦那様のご手配で外商が参ります。日々お召しになられるドレスやアクセサリー、日用品などをお選びください」


「ありがとう。午後にはきっとよくなると思うからお願いするわ」


 テーブルの下でルミティは強く手を拳に握った。爪が手のひらに食い込むほどに強く、強く。しばらくしてゆっくりと拳を開くとじんわりと痺れて血が腕全体にめぐる感覚がした。


(大丈夫、幸せに不自由なく暮らしていけるんだもの。恋愛に縁のなかった私にとっては最高の結婚なのだわ)


 数多くの「不運」を受け乗り越えてきた彼女は悲しみと向き合い、愛されることを諦めた。そして、愛されたいという願いを手放して仕舞えば少しだけ気持ちが楽になった。

 まだ朝食を食べている最中なのに腹がなって、ブルーノが優しく微笑んだ。


「クロワッサンをもう一つと、暖かくて甘いラテをいただいても?」

「ええ、奥様。すぐに」






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