愛のない契約結婚ですが、推しができたので問題ありません!〜不運令嬢は推しに溺愛される〜

小狐ミナト@ダンキャン〜10月発売!

プロローグ 


「どうして、そんなに泥まみれなんだい? 匂いもひどいし……我がルードリク家への侮辱だろうか」


 ルミティ・アルバンカ伯爵令嬢は、泥まみれの顔を拭い頭を下げた。アルバンカ伯爵家の次女である彼女とルードリク伯爵家次男・ミドとの婚約に向けた顔合わせの日。一時間弱の遅刻をして姿を現した婚約者候補にミドは呆れてため息をついた。


「申し訳ありません。肥溜めに落ちてしまって」

「肥溜め? 確かにアルバンカ伯爵家の邸宅はクラス王国の中でも広い農村地域を領地としているが……貴女はこの大事な日に肥溜めのそばで何を?」

「そ、それは……イヤリングを道に落としてしまって拾おうと屈んだらそのまま。連絡をとお願いもしたのですけど、馬車の馬が動かなかったみたいでお待たせしてしまって」

 まるで童話でも聞いているかのようにミドとその両親は呆れた表情を見せる。ルミティは真実を話しているが、あまりにも不運すぎるその出来事は信じてはもらえないようだった。


「我がルードリク家のミドは次男で後継ぎでもない。貴女にとって納得のいかない婚約だからこのような嘘をついてまで断らせようとなさったんでしょう? 実際、アルバンカ伯爵はこられていないですしね」

「そんなつもりは……父は公爵様にお呼び出しをされたと」

「僕たちにご縁はなさそうですね、申し訳ありません」


 ミドの言葉にルミティは「またか」と肩を落とした。ルミティは幼い頃から恋愛をしようとすると不運に見舞われる特異体質であった。


「初等部で好きになったカール。仲良くしていただいていたのに、たまたまお母様におねしょのことで怒られているところを見られてしまって失恋。それからしばらく私のあだ名はおねしょ令嬢」

 馬車に乗り込み、ルミティは独り言を続ける。

「中等部で好きになったハートク。同じ伯爵家で婚約もなんてお話が進むほどだったのに、突然、第五王女様が彼を婚約者に指名。王宮の学園に転校」

 御者のリックが馬車を動かした。蹄の心地よい音と共にゆっくりと体が揺れる。綺麗な街並みを見ながらルミティは息を深く吐いた。

「それからはこうして、ご婚約のお顔合わせのたびに事故に見舞われてお断り三昧。けれど、お相手に何もなかっただけよかったわ」


 ルミティは前々回のお見合い相手がお顔合わせ当日に収賄容疑で逮捕されたことを思い出してゾッとした。


「やっぱり、家族の中で私だけが劣等生だからこうなってしまうのかしら」


 アルバンカ伯爵家は、優秀な人間が多い。父は王宮からも信頼が熱い学者でその功績によってさまざまな機関を任されている。母は王家の遠縁の出身でまさに良妻賢母という言葉がふさわしいような女性だ。兄・長男ロビンは父譲りの賢さと、寄宿学校を主席で卒業し精鋭騎士となるほどの武の才能を持っている。姉・長女のニナは、聡明で美しく、公爵家に嫁いだあとも王宮で学者として働いている。末妹・三女のマロンは、幼い頃から愛嬌たっぷりで誰にでも愛され、広いアルバンカ伯爵家の領地で一番美しい女性だと言われるほどの美女。


 ルミティは乾いた泥で汚れた薄灰色の髪を手櫛で解きほぐしながらため息をついた。勉強もだめ、運動もだめ、愛嬌はあっても相手を好きになって仕舞えば不運に見舞われて相手から嫌われる結果になってしまう。そんな彼女は「不運令嬢」と噂されるようになっていた。



***


「お姉さまったら、またお見合いだめにしたの?」


 美しい金色の髪に丸くて大きくて可愛らしい緑の瞳。白いレースを繊細にあしらったパープルのドレスをきたマロンは、哀れみを浮かべた表情で向かい側に座っているルミティに言った。

 アルバンカ家の晩餐は、家族揃って。父と母、兄のロビンとその婚約者であるリリー義姉。そして末妹のマロン。


「えぇ、また我が家の顔に泥を塗るようなこと……申し訳ありません」


 マロンは眉を段違いにしてそれから口の端で笑うと


「この際、出家でもなさったら?」


 と言い放った。そこに、長男のロビンが割って入る。


「マロン、言い過ぎだぞ。ルミティのことだ、いつも通り不運に見舞われてしまったんだろう。それに、度量のない殿方だったのだろう。顔合わせに遅れたくらい」


「ロビンお兄様、冗談ですわ。マロンのことを怒らないで」


 ルミティを庇ったロビンにマロンがきゅるきゅると可愛らしい視線を向けた。ロビンは呆れたようにため息をつくとそれ以上マロンを叱ることも、ルミティを擁護することもせず話題を変えるように婚約者のリリーに食事の感想を聞いた。


「とはいえ、そろそろルミティも生涯を共にする相手を見つけなければならない歳。昔からの不運は仕方ないとしても……貴方、何か良いお話はないのかしら?」


 アルバンカ伯爵夫人は深刻そうに首を捻る。そんな妻をアルバンカ伯爵は愛おしそうに見つめたあと、出来の悪い娘・ルミティも同じように優しく見つめた。


「お父様、申し訳ございません」

「いいや、ルミティ。君はお嫁に行きたいかい?」

「はい。わがままは言いません。お兄様やお姉様のように我がアルバンカ家のお役に立てるように……」

「ルミティ、お父さんに任せない。ほら、せっかくのシチューが冷めてしまうよ」


 アルバンカ伯爵は優しくそういうと、テーブルの上のパンをちぎってシチューにつけて食べる。「まぁあなた」とマナーの悪さを妻に注意され、伯爵はおどけてみせる。暗い雰囲気だった食卓が少しだけ和やかになって、ルミティもやっと食事に口をつけた。

 

「実はね、お父さんがずっと断っていたお見合い話があってね」


「あら、あなた。そんな話してくださらなかったじゃない。どこのお家の方なのかしら?」


 伯爵夫人は手を止めて興味深そうに少し前屈みになる。しかし、ルミティは伯爵が少し苦い顔をしていたのでその話があまり良いものでないことを察していた。


「ボルドーグ公爵家のご長男・ヴィルズ殿とのご婚約の話だ」


 ボルドーグの名前が出た途端、ロビンとリリーが顔を見合わせた。そして、ロビンが


「お父様、今ヴィルズと言いましたか?」


「あぁ。そうだよ。君と同じ寄宿学校に通っていたお方だ」


「あら、話が見えないわ。ロビン、お母様に説明して」


「ヴィルズは……あまり評判がよくない男でした。数々の御令嬢との婚約をだめにしているとか。僕も何度か話したことがありますがかなり気難しい人で。ルミティとうまくいくかどうか」


 伯爵夫人はそれを聞いた上で首を傾げた。


「でも、どうして数々の御令嬢とのご婚約をお断りした公爵がルミティに?」


「それが、理由はわからない。ただ、随分前にお話をいただいてね。本人の意思に任せるから返事は急がないなんておっしゃるんだ。不思議だろう? 社交界にもほとんど参加されないし、同級生のロビンに聞けばあまり良い話が聞けなかったから返事を先延ばしにしていたんだよ」


 出来損ないだとしても娘を愛している伯爵は「どうしようか」と困ったように眉を下げる。年頃なのに婚約すらできない娘を救ってあげたい気持ちと、評判の悪い男になんて娘をやりたくない気持ちが拮抗しているんだろう。


「でも、お姉さまったらまたお顔合わせでだめにするんじゃなくて? 公爵様だなんてとてもお偉い立場の殿方に失礼なことをしてしまったらと考えると……。お父様、マロンはまだご婚約者のいない身。お姉さまのせいで我がアルバンカ家に傷かついてもしもと考えたら……」


 マロンがルミティに失礼な発言をしたが、ルミティの不運体質でこれまで辛酸を舐めさせられてきた家族たちは否定をしなかった。それを見て、ルミティは涙をこらえる。しかし、伯爵はマロンに反論してみせた。


「それがね、このご婚約はね。『お顔合わせなし、即結婚可』というのが前提条件なんだ。今まで、ルミティは不運にもお顔合わせをまともにできたことがなかっただろう? けれど、これに限ってはお顔合わせがなく、相手方はルミティが良い言えば良いと。そうおっしゃっているんだ」


 まるで、年老いた上級貴族が若い後妻を探すときのような条件だ。とルミティは思った。この国で暮らす多くの御令嬢たちにとって「恋愛結婚」に近い結婚が憧れとなっている。爵位の近いご婚約などはお顔合わせから逢瀬を重ねて相性を確かめたりもする。もちろん、昔から主流である家同士での政略結婚や生まれてすぐに許婚となるような例もあるが。

 何よりもこのような条件は爵位の高い方が低い方へ出す条件では考えられない。普通は逆である。となれば、ボルドーグ公爵は訳ありと考えるのが妥当なのだ。

 


「ルミティ、どうなの?」


 伯爵夫人のその質問は「はい」と答えるほかないようにルミティは思った。お顔合わせがうまくいかない彼女にとって『お顔合わせなし、即結婚可』というのはあまりにも好条件であったし、何よりも公爵という格上の家に嫁げるのは名誉なことだからだ。

 ルミティは食卓につく自身の家族を見た。かわいそうな人を見るような目でルミティを見つめる兄夫妻と哀れみの中に嘲笑の混ざったような表情の末妹。母である伯爵夫人は少しの威圧感と娘に対する厳しさを含んだ視線を、父である伯爵はルミティの解答を待っていた。


(あぁ、やっぱり私を厄介払いしたいんだわ。お父様もお優しいけれど断らずに持っていたということは私を追い出す最後の手段としてとっておいただわ)


「……ます」


「え? ルミティ、どうするんだい?」


 伯爵が優しく聞きなおした。


「お受け……します」


 こうして、ルミティは大きな不安を抱えながらも『お顔合わせなし、即結婚可』の条件でボルドーグ家に嫁ぐことになったのだった。


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