第8話 怒り

 俺の指さした袋を見て、爺さんの顔色が変わった。


 そりゃそうだ、だってあれは爺さんからもらった袋なんだから、爺さんだってあの袋が誰のものかなんてわかり切っている。


「あぁ? なんだソック。お前この小僧からスったのか?」

「い、いや……ち、違うんだよ、多分見間違いだよ。だから落ち着いてよウィリー爺」


 テーブルからゆらり、と立ち上がった爺さん。俺からは爺さんの背中しか見えないが、ソックと呼ばれた少年は額から汗をダラダラとかいてかなり焦っているようだ。


 そういえば、爺さんの名前ってウィリーっていうんだ、初めて聞いたな。なんて思っていると普段の爺さんからは考えられないようなドスの効いた声が出て来た。


「おいソックよぉ、テメェ前に言ってなかったか。ガキからスるなんて弱い物いじめは金輪際やらねぇってよ。これからは心を入れ替えて、真面目に働くんじゃなかったのか、アァッ!?」


 お、恐ろしい。とんでもない迫力だ。

 哀れなソック少年は、爺さんの迫力に気圧けおされてしまいじりじりと後退を続けていたが、ついに店の壁際まで追い詰められてしまった。


 顔を伏せてゆらりゆらりと、ソックに近付いていく爺さんの背中には、ユラユラと立ち上るオーラが見えてもおかしくない雰囲気だ。


(助けてくれ!)


 何やら視線を感じると思えば、ソックが必死に俺にアイコンタクトを送って来ていた。恐怖を多分に含んだ視線からは、助けを求める意思がハッキリと伝わってくる。


(頼む! 頼むよ、助けてくれよ!)


 だが、ダメだ。

 俺が首を振ると、ソックの顔に絶望した表情が浮かぶ。よっぽど、爺さんに怒られるのが嫌なのか、凄まじい形相で助けを求めてくる。


(助けてくれ! なんでもするから!)


「あ、あの――「なんじゃ小僧! 後で聞くから黙っとれ!!」――はい……」


 あまりに必死だったので、そろりと背後から声を掛けたのだが俺の話を聞く前に、爺さんにぶった切られてしまった。


 ごめんソック、アレは無理だ。

 爺さん、完全に頭に血が上ってる。下手にソックを庇って巻き込まれたくない。


 そうこうしているうちに、ソックは完全に壁の角に追い詰められてしまった。最終ラウンドでコーナーを背負ってしまったボクサーのようだ。


 これ以上の逃げ場は存在しない。

 ソックはここにきて全てを悟ってしまったのか、穏やかな笑みを浮かべて、爺さんに微笑んだ。爺さんが深々と息を吸っている間に、俺は両手で耳を塞いだ。南無。


「この、馬鹿者があああああああ!!」


 直後、本当に雷が落ちたんじゃないかと思うレベルで爺さんの怒鳴り声が響いた。棚に置かれていた小物が、カタカタと揺れている。


 爺さんが怒ると怖いんだ、と俺はしっかり心のメモ帳に書き留めておく。君の犠牲は無駄にしないからな……。


「おい、さっさと謝って盗った物を返さんか!」

「ぐすっ……ひっく……お金、盗ってぇ、ひっく。ご、ごめんなさいぃ」


 あの後さらに何発か雷が落ちて、加えて拳骨も落ちた。

 結果、拳一つ分くらい身長が伸びてしまったソックは、泣きながら俺に盗んだ袋を返して来た。


 爺さんの雷の余波で、キーンと耳鳴りがしているが何とか少年の言っていた事は聞き取れた。


「うーん、残ったのは銀貨二枚と銅貨十枚か。半分以下になってるね……」


 やけに袋が軽いと思い、中を確認してみるとかなりお金が減っていた。


 元々あった銀貨六枚と銅貨三十枚だから、この一日で銀貨四枚と銅貨二十枚を使ってしまったのか。一体何を買ったのやら……。


「小僧」

「ひゃいっ!」


 俺がテーブルの上にお金を並べて、数えていると爺さんから声を掛けられた。

 先ほどまでの様子をしっかりと見ているため、とばっちりが来るのかと思い声が上ずってしまった。


「ソックがすまなかった」

「え……?」


 なんと爺さんは、その場で深々と頭を下げて来たのだ。これには俺もソックもびっくりして咄嗟に口から言葉が出てこない。


「い、いいって! 爺さん、油断してた俺も悪いし頭上げてよ!」


 数舜の間があって、ようやく再起動した俺は慌てて立ち上がって爺さんに頭をあげるよう促す。

 盗んだのはそこにいるソックであって爺さんが謝る理由なんて無い。そう言うと、ようやく爺さんは頭をあげた。


「ところで、爺さんと少年――ソックって知り合いなの?」

「うぅむ……まあ知り合いといえば知り合い、なんじゃが……」


 ソックは爺さんの名前を知っていたし、爺さんもソックの事を思っていなかったらあんなに怒らないはずだ。俺が二人の関係について聞いてみたところ、爺さんは歯切れが悪そうに教えてくれた。


「この悪ガキはのぉ、元々は王都に捨てられていた子供じゃった。二、三年ほど前の事よ。カヴァル王国の西部の村が軒並み不作の年での、口減らしのために捨てられたのだとすぐに分かった。当時のワシは、あんまりにもやせ細ったソックが可哀想だったんでこの店に住まわせて、去年まで働かせていたんだがの――」


 爺さんは、そこで一旦言葉を切ってふぅ、とため息を吐いた。

 爺さんの後ろにいるソックは先ほど叱られた事もあって、「過去の話を他人に教えるな」とも言えずかなり気まずそうだ。


「去年まで、という事は今は店で働いていないんだ?」

「うむ。店を飛び出したと思ったらスリなんぞをやっていたので、その時にとっ捕まえてスリは金輪際辞めると誓わせたのだがなぁ……この馬鹿者がっ!」

「痛ぇ!!」


 思い出したら怒りが再燃したのか、爺さんはもう一度ソックに拳骨を落とした。うわぁ、痛そう。

 相当痛いのか、目に涙を浮かべたソックは頭を押さえてしゃがみこんでしまった。


「小僧、ソックのヤツが使った分はワシが立て替える。ちょっと待っとれ」

「待った待った! 爺さん、今回は俺が油断してのもあるから、勉強代って事にしておくよ!」


 店の奥に引っ込んでいきそうだった爺さんを慌てて呼び止める。爺さんから金を受け取る前に、目の前で頭を押さえているソックに聞いておきたい事があったのだ。


「なあ、ソック。銀貨四枚と銅貨二十枚、一体何に使ったんだ?」

「いてて……あぁ?」


 その返答次第では、爺さんにある事を手助けをして貰いたいと思っている。そのために現時点では、俺は爺さんに貸しを作っている状態で居てもらう方が良い。


 人の罪悪感に付け込んでいるみたいで詐欺師になった気分だが、もしも俺が思っている通りなら爺さんにも十分メリットのある話が出来るはずだ。


「ソック、教えてくれないか?」

「な、なんでお前に教えなきゃいけないんだよ!」

「ソックてめぇ、何言ってやが――「爺さん、俺達だけで話をさせてよ。お願いだ」――小僧、いいんだな……? 」


 明らかに挙動不審な態度で、金の使い道を誤魔化そうとするソック。

 ソックの態度を見て、爺さんがヒートアップしかけるが俺が手出し無用と割って入った事で、お願い通り静観を決め込んでくれた。


 爺さんも色々言いたい事もあるだろうが、ここはグッと堪えて欲しい。


「俺はあの金の持ち主だ。俺の稼いだ銀貨四枚と銅貨二十枚が、何に使われたかくらい気になってもおかしくないだろう?」

「あぁ……そんなの、アレだよアレ。そうだ、俺が食いまくったに決まってるだろ!?」


 さっきからソックと視線が合わない。自覚はないのだろうが、ソックの目はあっちこっちへせわしなく動き続けている。動揺しているのがバレバレである。


 ふむ、どうやったらソックは真実を語ってくれるだろうか。

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