第2話
暖炉の火は、少しずつ部屋を温めていた。炎の揺らぎが壁に映り、部屋の中を柔らかい光で満たす。その光が、家族それぞれの顔に当たり、時折、表情を変えて見せる。何も言わずに座っていた父親が、やがて低い声で口を開いた。
「もうすぐ、クリスマスだな。」
母親は少し驚いたように顔を上げると、目を細めて父親を見つめた。
「ええ、そうね。でも、電気が戻るのかしら。」
父親はちょっとした笑みを浮かべて、煙草を取り出し、手元で火を灯した。
「今夜は、もう戻らないだろうな。けど、こんな時こそ、家の中が落ち着くんだ。」
母親は少し考えるように黙っていた。煙草の火が淡い光を放ち、父親の顔を一瞬だけ照らした。
「そうね。」
彼女は柔らかく答えて、火の方に目を向けた。
子供が階段を下りてきたとき、暖炉の前に置かれたソファの上に座り込んだ。彼は少し寒そうに身をすくめながら、顔を父親の方に向けて言った。
「寒いけど、なんだかここにいると、気分がいい。」
父親は静かにうなずき、子供の肩に手を置いた。
「ここが一番温かいからな。」
母親は少し首をかしげて、軽く笑った。
「そうなの?」
父親は少し照れくさそうに肩をすくめた。
「まあな。でも、この火の温もりがあるうちは、何も怖くはない。」
彼女はそれに答えることなく、静かに目を閉じた。火の音が心地よく響き、時間がゆっくりと過ぎていく。
ソファの上に寝転がった子供が、ふと目を閉じて、言った。
「お母さん、お父さん、クリスマスの朝は何をするの?」
母親は少しだけ笑いながら答える。
「朝ごはんを作るわよ。でも、それだけ。」
「それだけ?」
「それだけ。」
子供はしばらく考えてから、少しだけ寂しげに言った。
「でも、なんかちょっと、特別な感じがする。」
母親はその言葉に、静かにうなずいた。
「それがクリスマスだ。」
父親が静かに言った。彼の声は、いつもよりも低く、穏やかだった。
「特別な感じって、きっとそのままでいいんだ。」
子供は黙っていた。その言葉を、じっと考えているようだった。
時間がさらにゆっくりと過ぎる中で、家族はそれぞれ静かに過ごした。電気が戻る気配もなく、外の雪はますます強くなり、家の中の温もりが唯一の救いのように感じられた。暖炉の火が弾ける音が、時折、部屋に響く。
父親が煙草を消し、再びソファの上に座った。家の中に響くのは、暖炉の音と、遠くで聞こえる雪の降る音だけだ。子供は目を閉じ、静かに横たわっている。
「寒いけれど、暖かいね。」
母親が言った。声が小さく、しかしその言葉には確かな温もりがあった。
「ああ。」
父親はただ短く答え、その後、何も言わなかった。二人の間には、言葉がなくても分かり合えるような、そんな静かな瞬間が流れていた。
暖炉の火がしばらく燃え続け、ソファの上で静かに眠る家族の姿が浮かび上がった。外の雪は降り続け、部屋の中は温かさを保ち、時が止まったように感じられた。電気が復旧するのは、まだ遠い未来のことのように思えたが、それでも、この瞬間の静けさが、何よりも大切なことのように思われた。
暖炉の火が燃え盛る音が、部屋の静けさを破って響く。木がぱちぱちと弾ける音に混じって、微かな煙の匂いが漂ってくる。煙突から上がる煙の匂いと、暖かい木の香りが交わり、部屋の中の空気を重く、けれど心地よく満たしていた。
父親は2本目の煙草を吸い終わると、ゆっくりと手を伸ばし、薪を一つ追加した。木が割れる音とともに、火の勢いが一瞬増し、光が部屋の隅々にまで届いた。その瞬間、母親が小さく身を震わせ、ソファに腰掛けたまま手を膝に置いた。
「温かいけれど、なんだか静かすぎるわ。」
母親の声は優しく、少しだけ寂しげだった。それでも、その静けさの中で、何か心地よいものを感じているのも確かだった。彼女はゆっくりとソファの背に背を預け、足を軽く組み合わせた。暖房の効いた空気と火の温もりが、全身を包み込んでいく。手のひらが膝の上に温かさを残し、ほんのり赤く染まっていた。
「それが、今の時間のいいところだろう。」
父親の声が響く。彼の目は、炎の揺らぎをじっと見つめながら、その温かさを感じ取っているようだった。静かな語り口の中に、家族の存在がしっかりと根付いていることが感じられた。
子供は、暖炉の前に置かれた手近なクッションを抱え込み、目を閉じていた。小さな息が静かに漏れ、彼の肩がやや上下している。眠っているのだろうか。それとも、ただぼんやりと時間の流れを感じているだけだろうか。彼の足元には、あたたかな毛布が丸く巻かれていて、火の光がその上を揺らめいて照らしている。
「こんな時って、普段感じられないようなことを感じるよね。」
母親がぽつりとつぶやいた。彼女の言葉は、まるで空気に溶け込むように軽やかだったが、その中には確かな感慨が込められていた。
「うん。」
父親が少し間をおいて答え、煙草をポケットに戻しながら軽く笑った。「でも、こうやって、みんなでいると、それだけで心が落ち着く。」
その言葉が、温かさをさらに増すように感じられた。部屋の中の温度はどんどん上がっていくが、その中で、外の冷たい空気がどんどん遠ざかっていくようだった。冷たい風が窓を打つ音さえも、今は心地よい静けさの一部として存在している。
外から聞こえる雪の降る音が、家の中の静けさと重なり、家族全員が一瞬にして同じ時を過ごしているように感じた。雪が積もり、外が白く覆われていくその景色が、家の中の温もりに対比されるように浮かんでいる。冷たい空気と温かい部屋、それが一つになって、家族のまわりを包み込んでいるようだった。
母親はしばらく黙って、目を閉じていた。暖炉の火を見つめる父親の横顔を、そっと見守っているように感じた。外の世界から切り離されたこの小さな家の中で、彼女はほんの少しだけ、自分を解放しているのだろうか。心の中で何かが静かにほぐれていくような感覚があった。
「明日の朝、雪がもっと積もるといいわね。」
彼女の声は静かだったが、その中に未来を見つめるような温かさが感じられた。
「うん。」
父親が、ただ一言そう答える。その言葉には、家族がこの瞬間をどう感じているかが全て込められているように思えた。
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