第8話

 水着には着替え終わったものの、別荘から出るにはどうしてもリビングを通らなければならず、颯翔は二階に誰かが呼びに来るのを待っていた。

 しかし、数十分しても誰も呼びに来ることは無く、もしかすれば自分のことなど忘れて既に泳ぎに行ってるのではと、颯翔はリビングへと向かった。

「待てよ。ラノベ的にはここでドアを開けると、実はまだ着替えている途中で散々な目に遭うとかそういう展開になるんだよな。いや、俺は何を言ってるんだ、ここは現実だぞ?」

 二階から降りてきて直ぐの所にあるリビングのドアの前で颯翔は一人で突っ立って、ボソボソと呟く。

「先輩はさっきから何を言ってるんですか? 暑さに頭でもやられちゃいました?」

「うわっ! なんだ鶉野か、ビックリさせるなよ……」

「ビックリさせるなはこっちのセリフです、先輩。先輩が全然泳ぎに来ないので、呼びに戻ってみれば、ドアの前で一人ブツブツ言ってるんですよ?」

「それはお前たちが誰も着替え終わったって言いに来ないからだろ。こっちは外出るためにリビング通らないといけないから、ずっと待ってたのに先泳ぎに行ってるって酷くないか?」

「酷くないです。ちょっと頭使って考えれば、バルコニーから外を確認するとか、リビングのドアをノックするとか、どうとでもなりましたよね? やっぱり暑さで頭やれてますね、これ」

 美桜はやれやれといったふうに両腕を広げる。

「今日ずっとエアコンの効いた場所にいたんだけどな、俺」

「じゃあその残念な頭は元々というわけですか」

 美桜は哀れみの目で颯翔を見つめる。

「残念な頭で悪かったな」

「まあ、先輩の頭のことはこの際どうでもいいので、早く行きますよ。皆待ってますから」

 そう言って、美桜は颯翔の右手首を掴み、強引に引っ張って行く。

「待ってるんだったら、もうちょっと早く呼びに来てくれても良かったんじゃないですかね……」

 颯翔は引っ張られながら、覇気のない声で呟いた。

 玄関を出て、砂浜に到着すると美桜は急に手を離し、されるがままの状態だった颯翔はその勢いのまま砂浜に倒れた。

「大丈夫ですか、先輩?」

「手離すなら先言えよ……」

 颯翔は砂塗れの体を起き上がらせながら、美桜を睨み付ける。

「次からはそうしますね」

「俺も次からは一人で歩くから大丈夫……」

 颯翔は身体中について砂を手で払い落としながら、辺りを見回す。

 砂浜には衣月たちによって、既にビーチパラソルやレジャーシート、飲み物が入ったクーラーボックスなどが準備されていた。

「あっ! やっと来たんだ颯翔。遅かったね」

 颯翔に気づいた天がビーチボールを持って近づいてくる。

「あれ? お前らまだ泳いでなかったのか?」

 天の姿を見て、颯翔は髪や水着が濡れていないことに気づく。

「そうだよ。私たち颯翔が来るまで泳がずにまってたんだよ。ねー、衣月」

「そゆこと。泳ぐ時は皆揃ってからがいいかなって思って、天ちゃんとビーチバレーしてたんだよ。ラリー続けようって言ってるのにスマッシュ打ってくるのはどうかと思ったけど」

「頭ではラリーしないといけないって分かってたんだけど、バレー部の血が騒いじゃったんだよ。こんな感じにね!」

 天はビーチボールを高く打ち上げるとそのまま砂浜にスマッシュを放つ。

 打ちつけられた砂浜が少し凹み、ビーチボールはそのままどこか遠くの方へと転がっていってしまった。

「後で取ってこいよ」

「うん、後でね」

 絶対取ってこないやつだと分かりつつも颯翔は特に何も言わなかった。

「所で琴音はどこにいるんだ?」

「さぁ……?」

「どこ行ったんだろうね……?」

 天と衣月は顔を見合わせ、首を傾げる。

「一緒に居たんじゃなかったのか?」

「さっきまでは居たんだけどね。私がスマッシュ打ち始めた時くらいまで」

「ねぇ鴉羽くん、あれじゃない?」

 衣月が指差す方を見ると湖から上がって、こちらに向かってくるシュノーケルをつけたスク水姿の琴音があった。

「泳ぐ時は皆揃ってからとか言ってなかったけ?」

「琴音ちゃんはノーカンで、私に制御できるレベルを越えちゃってるから……」

「なら仕方ないな……」

 シンプルな理由だったが一番納得できる理由でもあった。

「部長、やっと来た……」

「待たせてごめんな、琴音。ていうかその髪型どうしたんだ?」

 琴音の長く伸びきった水色の髪が左右に大きなお団子になってまとめられていた。

「ツインお団子、衣月さんがしてくれた……」

「そうか。ちゃんとお礼言ったか?」

 颯翔の言葉に琴音はコクリと頷いて、また湖の方へと戻って行った。

「これで全員揃ったことだし、早速泳ぎに行くか!」

 普段引きこもっているとはいえ、こんな綺麗な湖を目の前にしたら、さすがの颯翔でも泳ぎたくてウズウズしていた。

「その前に先輩? 私に何か言うことありませんか?」

「そうだよ、颯翔。私にも何か言うことあるだろ!」

 そう言いながら、二人は颯翔に迫ってくる。

「言うこと? 別にないけど」

「先輩、察し悪すぎです」

「だから颯翔は万年ぼっちなんだよ」

 しかし、察しの悪い颯翔は二人に罵られ、困惑の様子を隠せないでいた。

「俺、なんかしたか?」

「分かってないねー鴉羽くん。女の子二人の水着姿だよ? ちょっとくらい感想とかあるでしょ」

「感想って言われてもだなぁ……」

 言われて始めて気づいたのか、颯翔は二人の水着姿を観察するように眺める。

 美桜は露出の少なめな白いワンピースタイプの水着で、天はヒラヒラとしたフリルがたっぷりな黒色の水着だった。

「そこまでじろじろ見られるとちょっと恥ずかしい、です……」

 美桜は頬を赤らめながら、視線を逸らす。

「それで颯翔。なんか感想とか無いの?」

「私も早く聞きたいです……!」

 二人は颯翔にさらにぐいぐいと詰め寄っていく。

「水着の女の子二人に迫られるなんて、鴉羽くん役得だね。私も参加しようか?」

 衣月はからかうよにニヤニヤとしながら颯翔に笑いかける。

 そういう衣月はビキニの上からパーカーを羽織っており、さらには麦わら帽子を被っていた。

「参加しなくていいし、鶯さんそんなキャラじゃないだろ……」

「そうだけど、こんなラノベみたいなシュチュエーション滅多にないから記念にいいかなって」

「そんな記念に俺を使わないでくれ……」

 女子たちに振り回され、泳いでもいないのに既に疲れてきた颯翔。

「で、まだなの颯翔?」

「先輩? いい加減早くしてください!」

 頑張って感想を先延ばしにする颯翔だが、さすがにそろそろ言わないと二人が何をしでかすか分からなくなってきた。

「あー、もう分かったよ……! かわいいかわいい……! 二人ともかわいいから、さっさと泳ぎに行こうぜ!」

 颯翔はそう言い捨てると、逃げるようにして湖へと走っていった。

「先輩が……」「颯翔が……」

「かわいいって言ってくれた……!」

 そんな颯翔の後ろ姿を見ながら、二人の女子は頬を完全に緩めきっており、幸せに満ち溢れた顔をしていた。

「やっぱり二人ともそういう感じなんだー。この表情はいいネタになりそう……!」

 そんな二人を見ながら、メモ帳を手に衣月は悪い笑みを浮かべる。

「ち、違う……! 私はそういうのじゃないから! って衣月もメモしないの!」

「私も全然そういうのじゃありませんからね!? 勘違いしないでくださいよ、衣月先輩!」

「仕方ないからそういうことにしておいてあげるよ」

 顔を耳まで真っ赤に染めた二人は衣月の言葉を聞きすらせず、湖の方へと大慌てで走っていった。

「私も一泳ぎするとしますかね」

 メモを取り終わった衣月は大きく伸びをした後、麦わら帽子をレジャーシートの上に置き、浮輪を持って湖の方へと歩いていった。

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