第7話

 旅行当日の土曜日。

 颯翔は集合時間の十五分前に、集合場所の駅に到着した。

「先輩、こっちです!」

 颯翔が声がする方に目を向けると美桜が笑顔で手を振っており、そこには琴音と衣月の姿もあった。

「おはようございます、先輩!」

「おはよう、鶉野。二人もおはよう」

「鴉羽くんおはよー」

「部長……おやすみ……」

 バカでかいキャリーバックにダラーともたれ掛かりながら今にも寝てしまいそうな琴音。

「そんなに持って来る物あったっけ? 俺なんてリュックとベースだけだぞ」

「先輩、安心してください。私もリュックとギターだけですから。琴ちゃんのことだから、きっとお菓子とか要らない物とかを大量に持って来ているだけですよ」

「そうなのか琴音?」

 颯翔は琴音に尋ねてみるが返事の代わりに小さな寝息が返ってくるだけだった。

「まあ時間が来るまでは寝かせてあげたらいいんじゃない?」

「それもそうだな」

会話を聞いていた衣月の意見に颯翔は同意を示す。

 それから数分が経った頃、サングラスをかけた天が集合場所にやってきた。

「皆お待たせー! 待ったー?」

「私は三十分も待ったよ」

「それは衣月が早く来すぎなんだよ!」

「あはは、なんか早く起き過ぎたんだよねー」

 衣月は快活に笑う。

「俺は今来たところだけど、その格好はなんだ?」

「あ、これ? これはノリだよ、ノリ! 琴音ちゃんなら分かってくれると思うけどって、もしかして寝てる?」

「割とぐっすり」

 寝ているにしてはやけにバランスが良く、キャリーバックはピクリとも動いていない。

「琴音、全員揃ったから行くぞ」

「琴ちゃん、起きてー」

 二人が声をかけたり、体をゆすったりするが返ってくるのはやはり小さな寝息だけだった。

「仕方ねーな。誰か少しだけ、これ持っててくれ」

「いいですけど、何するんですか?」

 颯翔は美桜と天に一旦荷物を預ける。

 そして、キャリーバックにダラーとしながら寝ている琴音に手を回して体を起こし、そのままおんぶする。

「サンキュー鶉野」

 鶉野に渡したリュックを受け取り、キャリーバックの上に乗せる。

「悪い天。琴音が起きるまでベース持っててくれ」

「いいけど、寝てる後輩背負うとか普通にセクハラだからね?」

「そうか、これでも琴音、女の子なのか……」

 颯翔の中では完全にペット枠として収まっており、そんなこと全く考えていなかった。

「電車もそろそろ来るし、とりあえず出発するか」

「「「おー!」」」



 それから五人はしばらく電車を乗り継ぎ、一時間半程で目的の駅に到着した。

 目的地では無く、目的の駅にだ。

 駅から出ると目の前には山に川という田舎な景色が広がっていた。

「うわっ、すっごい田舎!」

「天ちゃんはしゃぎ過ぎ」

「写真でも撮りますか? こういう看板とか旅行って感じがして良い背景になりそうですし」

 すっかり仲良くなった三人は旅行というのもあってかいつもよりもはしゃいでいた。

「この駅であってるんだよな?」

 もう既に目を覚まし、赤福を食べている琴音に颯翔は尋ねる。

「あってる……。十時過ぎにここ来るように言ってる……」

「琴音。もしかして、あの車か?」

 駅のすぐ目の前にある大きな駐車場に停まっている、異様に高級感を放っている白い車を颯翔は指差す。

「うん、あれ……」

「すげー高そうな車だけど、やっぱり琴音の家って金持ちなんだな」

 前から聞いてはいた颯翔だが、改めて琴音の家がお金持ちだと言うことを実感した。

「写真撮ってるとこ悪いが、もう出発するから全員集合して貰っていいか?」

 颯翔は琴音以外の三人を呼んで来るとそのまま琴音を先頭に車へと向かう。

 着くと車の中からスーツ姿の初老の男性が出てきて無言で颯翔たちにお辞儀をする。

「今日はよろしく……」

 琴音の挨拶に男性は爽やかな笑みを返し、琴音が持っているキャリーバッグを預かり、車のトランクへと丁寧に運び入れる。

「あの人って琴ちゃんのお父さん?」

「違う……。お父さんのお付きの人……?」

 美桜の問いに琴音は小首を傾げながら曖昧な返事をする。

「どうして琴ちゃんが知らないのよ!」

「だって、興味無いから……。でも、いつもお父さんといて、車運転したりしてくれてる……」

「琴ちゃんそれ、多分お付きの人で合ってると思うよ」

 美桜は琴音にそう言うと、お付きの人に今日はよろしくお願いします、と丁寧な挨拶をしてから荷物を預ける。

 それに続いて衣月、天と荷物を預け、颯翔もリュックとベースを預ける。

 それから、もう一度全員で今日はよろしくお願いします、と挨拶をしてから車へと乗り込んだ。

 お付きの人は全員が乗り込んだことを確認してから車に乗り込むと、すぐに出発した。

「ここから何分くらいかかるの琴音ちゃん?」

 天が博多通りもんを食べている琴音に尋ねる。

「だいたい、三十分くらい……」

「でしたらその間、音楽でも流しましょう! 曲はもちろん……」

 会話を聞いていた美桜はイタズラをする子供のような無邪気な顔をしながら、家から持ってきたスピーカーから曲を流す。

「おい、鶉野……!」

 美桜の言葉と表情から勘づいた颯翔がすぐさま止めようとするが、しかしワンテンポ遅く、車内にとある曲が流れ始める。

「どうしました、先輩? もしかしてヤタガラスさんの曲、お嫌いでしたか?」

美桜はにやけた顔で、わざとらしく尋ねる。

「別にそういう訳じゃないけど……」

 颯翔は自分が作った曲が嫌いな訳では無い。

 むしろ好きなのだが、自分が作った曲というのを知っている三人と自分の大ファン一人に目の前で聴かれるのはさすがに恥ずかしかった。

「そりゃ、嫌いなはず無いでしょ! なんて言ったって、鴉羽くんもヤタガラスさんのファンなんだし」

「えっ!? 俺、そんな事言ったっけ?」

 そんな発言をした覚えのない颯翔は思わず動揺する。

「この前の火曜に一緒に話したじゃんか! この曲が一番好きとか、この曲も良いよねとか」

「確かにそういった話はしたけど、曲が好きなのと作曲者が好きなのは別だろ」

「なら鴉羽くんはヤタガラスさんのこと嫌いなの?」

 そんな二人の会話を聞いていた美桜と天は必死に笑いを堪えていたが、琴音は東京ばななを食べていて会話なんて全く聞いていない様子だった。

「前も言ったけど、曲は好きだ。けど、本人はどういう人か詳しく知らないから何とも……」

 颯翔は恥ずかしそうに語尾をモニョモニョと濁す。

「ま、今日のところは許してあげるとしよう。あ、そうだ。ヤタガラスさんがどういう人か私なりの考察があるけど、聞きたい?」

「遠慮しておきます……」

 その後、颯翔は厄介なファンを作ってしまったと少しだけ後悔しつつ、勝手に天と美桜に考察を語り出した衣月の話をできるだけ耳に入れないようにするために琴音に話しかけた。

「ところでさっきからずっと、琴音は何を食べているんだ?」

「ご当地名物……」

 そう言って琴音はずんだ餅を口に入れる。

「そういう事じゃなくてだな。なんでそんなご当地名物ばっか食べてんだって話だよ」

「住所を特定されないように……。聖地巡礼阻止……」

「琴音は何を言ってるんだ?」

「富士山と厳島神社が見える……」

「ほんとに何を言ってるんだ……?」

 それでも、もう少し琴音と会話をしようと試みる颯翔だったが、キャッチボールどころか、ドッチボールにすらならなく、早々に諦めた。

 ボールを投げても、相手がキャッチしなかったり、変化球どころかボール以外の物が返って来たりするのだから、颯翔にはどうしようもない。

 諦めた颯翔は今度は景色でも眺めようと窓の外を見るが、颯翔の座っている方の席からは山しか見えず気を落とす。

 それから、永遠と続く衣月のヤタガラス語りがついに終わりを向かえ、美桜と天は笑いたいけど、衣月の手前、笑えないという拷問のような時間から解放されたのだった。

「みんな、そろそろ着く……」

 そう呟く琴音は今度はもみじ饅頭を食べていた。

「厳島神社と被ってるぞ……」

 思わず颯翔はツッコミを入れてしまい、さっきの話を聞いていない三人から、何を言ってるんだと変な目で見られる。

「見て見て! あれ、砂浜じゃない?」

「わっ、ほんとだ! 颯翔、ビーチだよ、ビーチ!」

 窓の外に砂浜が見え始め、二人は修学旅行に行く中学生のようにはしゃぎ始める。

「そう言われてもこっちの席からは見えにくいんだよなぁ……。ちょっと鶉野、邪魔だと思うけど、そっちの窓見して貰うぞ」

 颯翔は隣に座っている美桜の方へと身を乗り出して、窓を覗き込む。

「せ、先輩……! ちょっと近いです……!」

 急に近づいて来た颯翔にドキッとした美桜は鼓動が早くなるのを感じた。

「ちょっと、颯翔! 美桜ちゃん嫌がってるからやめなよそういうの」

「悪い悪い……。鶉野もごめんな」

「いえ、私は全然大丈夫です……。急に来られてびっくりしただけですので……」

 やけにしおらしい態度を見せる美桜を見て衣月は何かに気づいたようだった。

「なるほどねー。これはいいネタになりそう」

 ニヤリと笑いながら、意味深な発言する衣月に琴音と当人の美桜以外、不思議そうな顔を浮かべる。

 それから数分後、別荘に到着した五人は今日と明日使う食材を含め、全ての荷物を別荘に運び込んだ。

 そして、全員でお付きの人にお礼言うとお付きの人は無言でお辞儀だけをしてそのまま車で来た道を帰って行った。

「さて、まずはどうする?」

「とりあえず、お昼ご飯食べない? 私もうお腹ペコペコで動けそうもないよ」

 リビングのソファに寝転がりながら、天は自分のお腹をポンポンと軽く叩く。

「私もそれでいいよ」

「昼ご飯を食べるのは分かったが、誰か何か用意してるのか?」

 颯翔の発言にお腹を空かせた少女たちは顔を青ざめさせる。

「もしかして、誰も用意してないの? 私もう動けないよ……?」

「でしたら、私が何か作りましょうか?」

「みんな大丈夫……。昼食、サンドウィッチ用意してある……」

 琴音は重たそうにしながら、大きな保冷バッグをみんなが集まっている方に引きずる。

「もしかしてそれって、琴音ちゃんが作ったの!?」

 昼ご飯があると知り、天がソファから飛び起きる。

「朝からママと作った……」

「琴音ちゃん偉いねー!」

 今度は衣月に褒められ、琴音は今日初めてのドヤ顔を披露する。

「だからあんなに眠そうだったんだな。いや、眠そうというか寝てたな」

「そゆこと……。今もちょっと眠い……」

 そう言うと琴音は大きな欠伸をしてから、目に涙を浮かべる。

「琴ちゃん眠いなら寝ててもいいんだよ?」

「寝たらもったいないから、頑張って起きる……」

 今の言葉や朝早くからサンドウィッチを用意したりと、琴音が今回の旅行を楽しみにしていたということが分かり、颯翔はどこか安心する。

 それから、琴音はいつも以上にふわふわしながら、保冷バッグの中からサンドウィッチの入ったバスケットを取り出し、ソファに囲まれたテーブルの上に置く。

「それじゃ早速、琴音に感謝してサンドウィッチをいただくとするか」

「そうですね。早く食べないと遊ぶ時間少なくなっちゃいますし」

「いっただきまーす!」

 二人が話している間に、空は一足先にとサンドウィッチを取って、思いっきりかぶりつく。

「ほひいー!」

「ちょっと天ちゃん、食べながら喋らないの!」

「ほへん……」

「だから、喋らないのって!」

 衣月に怒られ、謝るもさらに怒られてしまい、天は悲しそうな顔でサンドウィッチを飲み込む。

「俺たちも食べるか……」

「そうですね……」

 二人は顔を見合わせ、小さい声でいただきます、と呟いてから、サンドウィッチを食べ始める。

「部長、おいしい……?」

 いつの間にか部室の時みたいに、颯翔の膝の上に座っていた琴音が颯翔を見上げるようにして問いかける。

「ああ、美味いぞ。ありがとな」

 そう言って颯翔が頭をポンポンと叩くと、琴音は嬉しそうに口角を少しだけ上げた。

 それから、五人はサンドウィッチを平らげた後、琴音からによる別荘の案内があり、ある程度の場所や物の位置などは把握できた。

「にしても広いな、この別荘。写真は見せてもらってたけど、写真で見ると実際に来るとじゃ迫力が全然違うな」

 三階建てで、三階部分に広々としたバルコニーがあり、外にはプールまで付いているという、これぞ別荘といった感じの建物だった。

「颯翔ん家の五倍くらいはあるんじゃない?」

「俺ん家そこまで狭くはねーよ」

「でも、ビーチも合わせたらもっとありそうだけど」

 別荘の前には広大な砂浜が広がっており、太陽の光を反射してキラキラと光っていた。

 さらにその砂浜の奥には海と見間違える程広大な湖が青く輝いていて、水平線がくっきりと見える。

「土地だけの大きさで言えば、そりゃ五倍どころじゃないな。学校は無理でも、公民館くらいなら建てられそう」

「こんな所に建てても誰も来ませんけどね。景色はいいですが、立地はそこまで良くありませんし」

 確かに最寄り駅から車で三十分も山道を走らなければいけないとなると、立地が良いとは言えない。

 しかし、それが別荘となると話は変わり、道中のワクワク感がプラスされるので、寧ろその方が良かったりもする。

「昼ご飯も食べ終わったし、次はどうする?」

 既に応えが分かっているのにも関わらず、颯翔は敢えて皆に聞く。

「もちろん泳ぐに決まってるでしょ! 泳がないなら颯翔は一体何のためにここに来たの?」

「そうですよ先輩! 泳がなくて、一体何をするって言うんですか?」

 二人は口を揃えて言う。

「いや、鶉野は何のために来たか知ってるだろ」

「知ってますが、それも自身で体感するのが一番良いと思いますよ!」

「まあ確かにそれもそうだな」

 美桜の言う通りだった。

 見たり聞いたりするだけなら、今の世の中ネットを使えばどうとでもなるが、自分自身で経験するとなればそうはいかない。

 そして、今回の旅行も普段家に引きこもっている颯翔が、夏というのを身をもって体験するということに意味があった。

「これってもしかして水着回? 色々と参考になりそー」

「水着回と言ば、つんでれの水着回――あれは良かった、本当に良かった……」

「えっ!? 鴉羽くんなんか泣いてない?」

 颯翔は『つんでれひろいんず!』の水着回を思い出し、感動の涙を流す。

「あのシーンで泣かない日本人なんていないだろ……! 本がここで泣くんですよ、今ですよ、って言ってきてたからマジで」

「あはは……。そこまでしたつもりはないんだけどなぁ……」

 饒舌に語る颯翔に若干引き気味の衣月は周りに聞こえないくらい小さな声でボソッと呟いた。

「じゃあ早速だけど、颯翔はリビングから出てって。女子たちリビングで着替えるから。当たり前だけど、覗いちゃダメだからね?」

「なんかその発言、フラグっぽいよ天ちゃん」

「お前に興味なんて無いし、言われなくても覗かねーよ」

 颯翔の発言に対して、ムカッとした天は颯翔の足を軽く蹴飛ばす。

「何すんだよ急に……! 」

「別になんでも。もう着替えるから――というかもう琴音ちゃん着替え始めてるから、水着持ってとっとと部屋から出ろ!」

 天にリュックを顔面にブン投げられ、颯翔はそのまま物理的に部屋から追い出される。

「今のは俺より琴音が悪いだろ……」

 痴漢冤罪もこうして起きるんだなと颯翔は身に染みて感じた。

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