第2話
家に着いた颯翔は、喜び勇んで一つ年下の妹である未来に色紙を自慢した。
「ふーん、よかったね」
リビングでアイスを食べていた未来の返事はあまりにも淡白だった。
「なんか冷たくね? もっとこう一緒に喜んでくれたりとか無いのかよ」
「だったら、わーい、お兄ちゃんおめでとう! 今日の晩御飯は赤飯だね! みたいな反応の方がよかった?」
「やっぱり冷たい方がいいや……」
妹の大袈裟な演技を見て、颯翔はなんだかいたたまれない気持ちになった。
「じゃあ、お兄ちゃん。夜ご飯できたらまた呼んでね」
食べ終えたアイスのカップをゴミ箱に捨て、未来はドタドタと足音を立てながら、部屋へと戻って行った。
「そういや今日の夜ご飯、俺の当番だったか。なんも買ってきてないけど、なんか家あったっけ? いや、その前に色紙置いてくるか」
鴉羽家では颯翔が小学生の時、癌で他界した母親の代わりに二人が交代で晩御飯を作ることになっている。
父親は当たり前のように休日出勤をこなすエリート社畜なので、日曜日で休日であるはずの今日ももちろん不在だった。
自身の部屋へと戻った颯翔は買ってきたばかりの『つんでれひろいんず!』を本棚にしまい、スマホに充電器を差し込む。
と、そこで颯翔はふと新曲の宣伝をしていないことを思い出す。
「あー、めんどくさいし、もうこんなんでいっか……」
早く本を読みたいのに、まだ晩御飯すら作っていない状況だ。
そんな状況でいちいちこんなことに時間を掛けていられない颯翔は『今日死んでも後悔がないことがありました。ついでに新曲投稿したので良かったら聞いてください』という、なんの脈絡もない宣伝文をツイートした。
「よし、完璧」
しかし、サイン色紙を手に入れたことによって浮かれきった状態である今の颯翔には、そんな文章でさえ完璧に思えてしまっていた。
「サイン色紙は後でアクリルフレームに入れて飾るとして、とりあえず机にでも置いとくか」
颯翔は慎重な手つきで色紙を机に置き、夜ご飯を作るためにリビングへと戻る。
「なんかあったけ?」
メニューを考えるために冷蔵庫の中を確認する。
「野菜は無し、肉類はベーコンがあって、牛乳、納豆、卵、プリン八つにヨーグルト……カルボナーラならギリいけるか。にしてもプリンが多いな」
必要な材料とプリンを一つ取り出して、颯翔は早速調理に取り掛かる。
鍋にお湯を沸かし、ベーコンを切り、卵と粉チーズを混ぜ、二人分のパスタを茹でる。
父親はいつも何か食べてくるので二人分で特に問題はない。
茹で上がりを待つ間におそらく妹のであろうプリンを食べ、慣れた手つきで調理を進めていく。
それから数分後。
割と美味しそうなカルボナーラが完成した。
最悪の場合、夜ご飯がプリンになっていた可能性まであったと考えると、豪華な部類だと思う。
何はともあれ、夜ご飯が完成したので、颯翔は未来を呼びに向かった。
「夜ご飯できたぞ」
颯翔の呼びかけに、部屋の中から何の反応も無い。
仕方ないので、扉を開けて部屋に入ると、姿見の前でイヤホンを付けて踊っている未来の姿があった。
「何してんだ?」
踊っている未来の肩をポンと叩きながら、颯翔は尋ねる。
「何? お兄ちゃん?」
踊りを中断して、イヤホンを外した未来が聞き返す。
「だから、何してんだって」
「あーこれ? 見ての通り、ダンスの練習だよ。今度部活で踊ることになったんだー」
「なったんだーって、未来お前、書道部だろ?」
颯翔の知っている限り、書道とダンスは何がどうあっても結びつかない。
軽音部がサッカーをしているようなものである。
「そうだよ? で、お兄ちゃん何しに来たの?」
おかしいなと疑問を抱く暇すら与えらず、今度は未来から質問が投げかけられる。
「何って、ご飯できたら呼びに来て、って言ったのお前だろ」
「そうだっけ?」
小首を傾げながらも、妹はトテトテと足音を立てながらリビングへと向かっていった。
「書道部でダンスってなんだ?」
一人未来の部屋に取り残された颯翔はさっきの疑問を口にするが、結局その日は疑問に対する答えを得ることはできなかった。
☆
翌々日。
時刻は七時五十分。
眠い目を擦りながら、颯翔は私立時雨高校の職員室へ向かっていた。
日直の仕事の中に朝の教室の鍵開け、というのがあるため、いつもより少し早く登校しなければならなかったのである。
「こんなん朝練がある連中にやらせればいいだろ……」
本音を漏らしながらも、職員室に着いた颯翔は先生から鍵を受け取ろうとしたが、どうやら先に誰かが受け取りに来ていたらしい。
眠い上に無駄足を踏まされた颯翔は少しだけイライラしつつも仕事だからと割り切って教室へと向かった。
教室に着くと、もちろん鍵は開いていて、扉を開けると中には今どき珍しいコード付きのイヤホンをしながら、机に突っ伏して寝ている人がいた。
いつもの颯翔なら気にすることも無く、荷物をロッカーに置いてから、ヘッドホンを付けて自分の席で時間を潰すのだが、今日ばかりはそういうわけにもいかなかった。
「なんで日直でもないのに鶯さんがいるんだ?」
颯翔は小さい声で言ったつもりだったが、誰もいない朝の教室では予想以上に声が響いた。
しかし、イヤホンをしている衣月が起きる様子は無い。
とりあえず颯翔は荷物をロッカーに置き、衣月の席の右隣にある自分の席に座った。
隣を見ると小さく寝息を立てながら気持ちよさそうに眠っている衣月の寝顔が見える。
他人にあまり興味の無い颯翔も、この時だけはクラスの男子たちが騒いでいた理由が少しだけ分かった気がした。
颯翔がじっと見ていると、ちょうどそのタイミングで机に突っ伏していた衣月が目を覚まし、ゆっくりと体を起こす。
突っ伏していたせいか、いつもよりもアホ毛が目立っていた。
「ん、鴉羽くんだ……。おはよう…………朝ごはんできた……?」
「おはよう、鶯さん……。もしかして寝ぼけてる……?」
目が完全に覚めきっていない衣月は教室を家と勘違いしているようだった。
「そんなことないよ……。朝ごはんは、ごはん…………」
そこでギリギリで耐えていた意識が再び落ち、重力によって机に頭を打ち付ける。
ゴンッ、という鈍い音が二人だけの教室に響き渡った。
「…………」
「だ、大丈夫か……?」
何も言わない衣月に颯翔は心配の声をかける。
「い、いたい……」
衣月は赤くなった額を両手で抑えながら、ゆっくりと顔を上げる。
幸か不幸か痛みと引き換えに意識はハッキリとしたようだった。
それから、寝ぼけていた時のことを思い出していき、衣月の頬は赤く染まっていく。
「さっきまでの話は聞いてなかったことにしてくれないかな……!」
「朝ごはんできた? ってやつ?」
「い、言わないでよ!」
小声でそう言うと、衣月は恥ずかしそうに顔を腕にうずめた。
それを見た颯翔は仕方ないなといったふうに話を変える。
「そういえば鶯さん。さっきからずっと聞きたかったんだけど、どうしてこんな早くから学校来てるんだ? 朝練が早く終わったとか?」
颯翔の問いに対して、衣月は顔を上げて答える。
「違うよ。私そもそも部活入ってないし」
「だったら、なおさら気になるんだけど……」
「別に大した理由は無いよ。私、この早朝の学校の空気感が好きで、たまにこうやって早くに登校してるんだ。人が誰もいない朝の教室ってなんだかワクワクしない?」
衣月はまるで子供のような無邪気な笑顔を見せながら言う。
「なんかそれちょっと分かるかも。屋上に入ってみたりするのと割と近い感じ」
普通に生活しているだけでは味わえないちょっとした非日常感。
そういったものに少しだけ期待していたのかもしれない。
「そうそれそれ! まあでも、この学校の屋上立ち入り禁止なんだけどね……」
「今どき、どこの学校もそんなもんだろ」
颯翔の言葉を最後に会話が途切れる。
そもそも颯翔は人と話すのが得意な方では無い。
さっきまでは聞きたいことがあったから、何とか会話できていたが、話題が無くなると残るのは沈黙だけである。
この気まずい空気に耐えられなくなった颯翔は、いつもみたいに音楽を聴こうと、首に掛けているヘッドホンに触れる。
それと同時に衣月が口を開いた。
「君っていつもどんな曲聴いてるの? 私も割と音楽聴くし、実は前からちょっとだけ気になってたんだよねー」
「特にこれ、っていうのは無いかな。流行りの曲から昔の曲まで色々聴いてるし。まあでもやっぱり一番聴いてるのはボカロ曲かな……」
趣味であり、颯翔の職業でもあるボカロプロデューサー――いわゆるボカロPとも深く関係しているボカロ曲。
これもラノベと同じくらい世間では理解されにくい趣味だと颯翔は思っていた。
そのため、颯翔の言葉にはどこか後暗さが感じられた。
「えっ、ボカロ!?」
(やっぱりか)
衣月の驚いた声を聞いた時、颯翔はこうなるなら言うべきではなかったと少し後悔した。
しかし、衣月の反応は颯翔の予想とは大きく違っていた。
「君もボカロ聴くんだ! 私もボカロ好きだから、良く聴くんだよねー! たとえば、この曲とか」
そう言って衣月は机を近づけると、颯翔の耳にイヤホンの片耳を勝手に付ける。
急に肩と肩が触れそうな距離まで近づいてきた衣月に颯翔は少し戸惑いながらも曲に耳を傾ける。
「この曲知ってる。月並みな感想だけど、これぞ青春って感じの良い曲だよな」
うんうん、分かる分かる、と素早く首を縦に振り、衣月は大袈裟な相槌を打つ。
「次はこれ」
「考察が捗ることで有名な曲だな」
「そしてこの曲」
「独特な世界観がたまらないんだよな」
「ここで懐かしの曲」
「世代じゃないことだけが悔やまれる……!」
次々に勧められる曲に様々な思いを馳せていたら、朝練の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「もうそんな時間? そろそろ人も来るし、これで最後にしよっか。私が一番好きなボカロPで、推しでもあるヤタガラスさんの新曲なんだけど……」
「…………ん?」
颯翔は見覚えのありすぎる名前に逆に反応が遅れてしまった。
そして、聞き覚えのありすぎる曲が颯翔の耳に流し込まれていく。
「どう?」
サビに差し掛かった辺りで、衣月からの悪気の無いキラーパスが颯翔へと飛んで来る。
「こ、この新曲は今日初めて聞いたけど……」
「けど……?」
「イイキョクダナー」
思いっきり棒読みだった。
「でしょ! ヤタガラスさんの曲ってどれも本当に素晴らしいの! 最初に投稿された曲を聴いた時からこの人天才だ! ってなって、その時からずっと最推しなんだ」
自分のことのように喜ぶ衣月を見て、颯翔は何とも言えない気持ちになる。
推していると言われるのは嬉しいし、天才だと言われるの光栄である。
しかし、それ以上の羞恥心が颯翔を襲う。
その羞恥心を隠すために、颯翔は『つんでれひろいんず!』を買う時のために鍛えに鍛えた表情筋を酷使して無表情を装う。
「キミはヤタガラスさんの曲の中だったらどの曲が一番好き?」
「…………やっぱり、初投稿の曲かな」
中学生の時に初めて完成させた曲で、颯翔にとっては特別思い入れのある曲でもあった。
初投稿の曲にしてはかなりの再生数があり、そのおかげで今の颯翔――ヤタガラスというチャンネルがあると言ってもいい。
「鶯さんはどの曲が一番好きなんだ?」
颯翔は興味本位で聞いてみる。
「推しの曲にあんまり優劣はつけたくないけど、どうしても一つに絞らないとだめなら――かな。落ち込んだ時とか、上手くいかなかった時とか、ずっと聴いてて……」
「そうなんだ……」
少しだけ哀しそうな表情を浮かべた衣月に対して、颯翔は当たり障りのない言葉を返すことしかできなかった。
それから、階段を上ってくる朝練終わりの生徒の話し声が聞こえてきたのを合図に、颯翔は急いでイヤホンを耳から外し、衣月へと返した。
「そんなに慌ててどうしたの? あれ、もしかして恥ずかしかった? それなら、最初からそう言えばよかったのに」
衣月はそう言って、いたずらっぽく笑う。
「別にそういうわけじゃ……! クラスの連中に見られでもしたら大変だろ……!」
「大変って?」
「もういいだろ……!」
からかってくる衣月に対して、何を言っても無駄だと判断した颯翔は会話を無理やり終わらせる。
そんな颯翔を見ながら、仕方ないなといった様子で衣月は机を元の位置に戻した。
朝礼の時間が近づくにつれ、静かだった教室がいつものように騒がしくなっていく。
そんな騒がしさを鬱陶しがるように颯翔は耳にヘッドホンを当てて適当に曲を流す。
しかし、隣の席の美少女が自分のことを推しているという事実を思い出しては、嬉しさと恥ずかしさで悶絶し、曲には全く集中できなかった。
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