推しつ推されつ!

ぽん

第1話

 例年よりも早く梅雨が明けた七月九日の日曜日。

 待ちに待った日曜日でもあった。

 鴉羽颯翔は新曲のアップロードを済ませて、急いで家を飛び出す。

 それから自転車を漕ぐことわずか数分、近くにあるショッピングモールの書店に到着した。

 颯翔は鼓動が早くなるのを感じつつ、慣れた様子でラノベの新刊コーナーへと足を進める。

「あっ、忘れてた」

 向かいながら、ズボンのポケットからスマホを取り出し、Twitterを開いた。

「はぁ、新曲の宣伝って言われてもだな……」

 ついこの間、部活の後輩から言われた台詞を思い出し、颯翔は小言を言う。

 適当に『新曲投稿しました』とだけ、ツイートしておけばいいかとも考えた。

 しかし、それだと次に部活で会った時にグチグチと文句を言われるのが容易に想像できてしまい、颯翔はすぐにその考えを捨てた。

 とはいえ、真面目に宣伝文を考えるのも正直言って面倒くさい。

 そんなことを考えながらTwitterを眺めていると颯翔の推し作家であるうぐいすもち先生の新着ツイートが目に留まった。


『【お知らせ】『つんでれひろいんず!』四巻が本日七月九日発売です! 本編とてもハラハラドキドキな展開になっております……何卒〜!! さらにさらに一〜三巻の重版が決定しました! 皆様ありがとうございます!!』


 今まさに颯翔が買いに来ている『つんでれひろいんず!』の宣伝ツイートである。

 これを見た時、颯翔の中に一つの考えが思い浮かんだ。

 このツイートをコピーし、少しだけ手を加えて新曲の宣伝としてツイートすれば良いのではと。

「うぐいすもち先生には申し訳ないけど、背に腹は変えられん……!」

 罪悪感を押し殺し、颯翔は宣伝ツイートを長押ししようとする。

 その瞬間 ――


「ごめんなさーい!」


 十字になった通路の右側から飛び出してきた人物が勢いよく颯翔に衝突し、二人とも吹っ飛ぶようにして床に転がった。

「痛ってぇ……」

 少しして、颯翔は横腹の辺りを押さえながらよろよろと立ち上がると、先に立ち上がっていた少女が上目遣いで申し訳なさそうにしていた。

「ちょっと急いでて、ホントわざととかじゃなくって…………その、ごめんなさい!」

 そう言って、少女は深々と頭を下げる。

「いや、さっきのはこっちが歩きスマホしてて周り見てなかったからで、こちらこそすみません……」

 颯翔も少女と同じように深々と頭を下げ返した。

「いえいえ、こちらが書店の狭い通路で走っていたせいで――ってあれ? もしかしてだけど、鴉羽くん?」

「んん?」

 急に出てきた自分の名前に颯翔は思わず驚きの声を漏らし、すぐに相手の顔を確認する。

 知り合いではない。

 知り合いではないのにも関わらず、颯翔の名前を知っている人物となると、クラスメイトだろうか?

 颯翔は曖昧な記憶を頼りに急いで相手の名前を思い出す。

「えーっと、確か、鶯、衣月さんだっけ?」

「正解! クラスだと、他人に一切興味ありません! みたいなオーラ纏ってたけど、意外とそんなことないんだね!」

「えっ、俺って周りからそんな風に見られてんの?」

「そりゃ、休み時間中ずっと一人でヘッドホンしてたら、そう見られるよ」

「言われてみると確かに……」

 納得したようにも思えたが、颯翔はどこか釈然としない様子だった。

「だったらなおさら気になるんだけど、なんで俺のこと知ってるんだ?」

「なんでって、クラスメイトなんだから、それくらい普通じゃないの?」

「俺の中での普通が意図も容易く書き換えられた……」

 他人の名前は知り合いか有名人くらいしか覚えていない颯翔からすれば、それは普通ではなく軽く未知の領域だった。

「でも君だって、私の名前知ってたよね? それも下の名前まで。そっちの方こそなんで知ってるのって感じなんだけど?」

「それは――鶯さん、割と有名人だから。」

 颯翔は曖昧に言葉を濁す。

 鶯衣月。

 肩より伸びた灰色の髪に、吸い込まれそうになるエメラルド色の瞳。

 日焼けの跡など一切ない純白の肌が印象的で、見る人の目を一瞬で引き込んでしまうような魅力があった。

 端的に言ってしまえば美少女というやつだ。

 基本的に推しと曲作りくらいにしか興味のない颯翔にも、その噂は聞こえてくる。

「私ってそんな有名だっけ?」

「えーっと、テストの順位毎回張り出されるだろ? それで鶯さんいつも学年三位以内に入ってるから、それでさ……」

 とはいえ、本人に美少女で有名、なんてことは言えないので、颯翔は適当に誤魔化す。

 適当と言っても学年でもトップクラスの成績ということは事実なので、何も間違ってはいない。

「なるほど。確かにあれなら下の名前まで書いてるもんね」

 衣月はふむふむと納得した様子だったが、急に何か思い出したのか、途端に慌て始める。

「あ、そんなことより、これ! はい、君のスマホ!」

 衣月はポケットからスマホ取り出して、颯翔に差し出す。

「えっ、俺のスマホ? なんで?」

「さっきぶつかっちゃった時に私の方に飛んできたから、それで」

「そっか、ありがと。鶯さん」

 ところが今度は受け取ったスマホを見て、颯翔が慌て始める。

「……鶯さん、一つ聞いていい?」

「一つでも、二つでもいいけど、どうしたの?」

「もしかしてだけど、スマホの中身が見えたりしなかった? いや、別に見られて困るようなことは無いんだけどさ……」

 二人の間に沈黙が生まれる。

「…………見ました! ちょっとだけね。けど、わざとじゃなくて、たまたま飛んできた時に画面が上を向いてて、それでほんのちょっと見えちゃっただけで……」

「具体的には……?」

「えーっと、わた……じゃなくて、うぐいすもち、先生のツイートが見えたくらいで、その後すぐに電源切ったよ」

 衣月が答える具体的な内容を聞いて、目に見えて落ち込む颯翔。

 別に見られて何か困るようなことでも無いのだが、颯翔にとって、そこまで親しいとは言えない、ただのクラスメイトに趣味を知られるということはあまり喜ばしいことではなかった。

 それは世間的にあまり理解されない部類の趣味だと颯翔自身が思っていたからである。

「君って、うぐいすもち先生が好きなの?」

 衣月の言葉に一瞬ドキリとした颯翔だが、その言葉にどこか違和感を覚えた。

 衣月はうぐいすもち“先生”と言ったのだ。

 Twitterのユーザーネームを見たとして、普通だったら呼び捨てのうぐいすもちか、さんを付けて呼ぶかのどちらかの呼び方をするはずだ。

 仮に颯翔のスマホの画面を見て、作家だということを知ったとしても、ラノベや漫画を全く読まない人が作家のことを“先生”と呼ぶのだろうか?

 そこから考えるとすれば、つまり衣月はオタクとまではいかないが、どちらかと言えばこちら側に近い人間なのかもしれないということになる。

「好きっていうか、推しっていうか……」

「推しって、それもう好き通り越してない?」

 衣月は少し困惑しながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべる。

「でも鶯さんみたいな優等生もうぐいすもち先生のこと知ってるんだな。こういうのあんまり興味ないようなイメージだったからちょっと意外」

「そうかな? 私アニメとか、マンガとか割と好きだよ? そもそも、そうじゃなかったらここのコーナーなんか来ないでしょ」

 衣月はそう言いながら、辺りの本棚を見渡す。

「確かにそれもそうだな」

 颯翔も衣月に釣られて周りの本棚を眺める。

 漫画の新刊から、ラノベの新刊まで、ずらりと並んでおり、うぐいすもち先生の『つんでれひろいんず!』も十万部突破! というポップと一緒になって並んでいた。

「ちょっとに気になったというか、聞いておきたいというか、君はうぐいすもち先生のどういう所が好きなの?」

 なぜだか照れくさそうにしながら、衣月は尋ねる。

「全部好きなんだけど、それじゃダメか?」

「ダメ! 絶対!」

 颯翔の想定よりも強めに反対されたが、想定通りの返答ではあった。

「まずだな。文章が綺麗、美しいんだよ。俺が言うとものすごく安っぽく聞こえるかもしれないが、言葉の選び方一つとってもこの人天才かよって思わせられてさ。けど、Twitterとかだと天才ってよりも、可愛らしいポップな感じで、近づきやすそうな人に見えるんだよなぁ。まあ実際、リプを送れるかと言われたら恐れ多くて無理なんだけどな。それから、一作目にして、ここまで売れてるってのが純粋にすごい。『つんでれひろいんず!』が大賞を取った時に受賞してた他の作品も全部面白かったけど、やっぱり頭一つ抜けてるなって――鶯さん、聞いてる?」

 そこまで語って颯翔は我に返った。

 推しのことになると、どうしても相手のことを無視して語ってしまうのが颯翔の悪い癖だ。

 颯翔だけでなく、オタクという生き物は誰でもこんな感じなのかもしれないが。

「えっ!? うん、聞いてる聞いてる、ものすごく聞いてるよ! うぐいすもち先生がとっても可愛くて性格が良くて天才って話だったよね?」

 放心状態になっていた衣月は、さっきよりもさらに顔を真っ赤にさせる。

 颯翔の勢いに負けて、放心状態になっていたのか、それとも別の理由でそうなっていたのかは実際のところは不明である。

「鶯さん、顔真っ赤だけど大丈夫?」

「ぜ、全然そんなことないよ!? 今日暑いから、たまたまそうなってるだけだよ!?」

「確かに今日暑いよな。そろそろ夏本番って感じ?」

 焦っているせいで、前後の言葉で早くも矛盾が生まれてしまっているのだが、颯翔はバカなのかマイペースなのか、そんなこと気にもとめていない。

「そういや、鶯さん急いでるって言ってたけど、大丈夫なの?」

「あ、それは別に大丈夫――じゃなかったも……」

 途端に衣月の目が泳ぎ、顔からダラダラと汗が流れ出す。

「じゃあ、私行くね! また明日学校で!」

 衣月は颯翔の返事も待たずにレジの方向へと走り去っていった。

 さっき颯翔とぶつかったばかりだと言うのに、何も学んでいないようだ。

「また明日、か……」

 一人になった颯翔は衣月の言葉を思い返す。

 別に颯翔の過去に何かあって、感傷に浸っているとかでは無い。

「明日創立記念日で学校休みなんだけどな……」

 颯翔は呆れたように呟いて、胸を撫で下ろした。

 人付き合いがあまり得意とは言えない颯翔にとって、ほぼ初対面と言っていいような人との会話はかなりの労力を使うのだ。

「ま、そんなことはさておきだ」

 ここからは趣味の時間だ。

 目の前に広がる景色を見て、颯翔は生唾を飲み込む。

 ずらりと並ぶ『つんでれひろいんず!』。その中から最新刊である四巻を手に取り、表紙をまじまじと見つめる。

 読んでいる時ももちろん楽しいのだが買いに来ているこの瞬間もたまらなく好きだった――早く家に帰って読みたいと思わせてくるこの瞬間が。

 気づいた時にはさっきのあったことなど忘れ、颯翔の足はレジの方へと走り出していた。

 どうやら颯翔も何も学んでいないようである。

 レジに着いた颯翔はこのワクワクが顔に出ないよう、表情筋に力を込めながら本を店員に渡す。

「ただいまキャンペーン中で、もしよろしければ、こちらのうぐいすもち先生のサイン色紙をプレゼントしているのですが…………あの、お客様?」

「は、はいなんでしょう?」

 あまりの突然の出来事に颯翔は唖然とする。

「ですから、キャンペーンでサイン色紙をプレゼントしているのですが、いかがでしょうか?」

 今度はちゃんと内容を理解したのか、颯翔は急いで財布の中身を確認する。

「十万までしか出せませんが……!」

「いや、プレゼントだって言ってるだろ! とっとと持ってけ!」

「は、はい!」

 店員は態度とは裏腹に丁寧に梱包し、本と一緒に紙袋に入れて颯翔へと手渡す。

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」

 震えた手で紙袋を受け取ると、颯翔は店員の声を背にして駐輪場へと向かった。

 そんな颯翔の後ろ姿を見ながら、レジ裏のバックヤードから衣月が顔を出す。

「バ、バレてなかったよね……?」

 衣月は不安そうにをレジをしていた店員に声をかける。

「大丈夫だって、心配し過ぎ」

「なら良いんだけど……」

 衣月はふーっと、大きく息を吐き出す。

「てか衣月、何よあれ。急に次のお客さんに適当に理由つけて、サイン色紙渡してって。私ただのバイトなんだよ?」

「ごめん、陽菜。あれだけ熱く語られたら私もファンサしなくっちゃってなって、つい」

「まーたそんなこと言っちゃってからに、はぁ……」

 衣月の友人であり、クラスメイトでもある新鷹陽菜は大きなため息をつく。

 短めに整えられた黒髪に赤色のインナーカラーが特徴的で、クラスの男子からの人気も高く、有名人なはずなのだが、颯翔は全く気づいていなかった。

「でも元はと言えば、陽菜が店にサイン色紙置きたいから書いてって頼んできたからこうなった訳で」

 衣月はそう言いながら、バックヤードに置いてある椅子に座り、飲みかけのオレンジジュースをストローを使って飲み干す。

 それから、机に置いてある色紙とペンを取って、大きくうぐいすもちという個性的なデザインのサインを書く。

「はいできた! これで許してね!」

「全くもう、サイン色紙は免罪符じゃないからね?」

 軽口を叩きながら、陽菜はサイン色紙を受け取る。

「私、飾ってくるけど、衣月はどうするの? 帰る?」

「私はもうちょっとここに居とく。ジュースあるし、エアコン効いてるし」

 衣月は『閉め忘れ注意』の張り紙が貼られた小型冷蔵庫を開け、中から紙パックのオレンジジュースを取り出し、空になったコップに注ぐ。

「併設されてる喫茶店でも行ってこい!」

 陽菜は捨て台詞を吐いて、バックヤードから出ていった。

 話し相手が居なくなり、手持ち無沙汰なった衣月が適当にTwitterを眺めていると、あるツイートが目に留まった。


『今日死んでも悔いはない。あと、ついでに新曲投稿したので良かったら聞いてください』


「推しの新曲がついでに投稿されてる!?」

 衣月は驚きのあまり、コップのオレンジジュースを床にぶちまけたのだった。


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