episode2 -prologue-
39話 ロンズ
さくりと芝を踏む音が、規則的に続く。初夏を迎えた早朝の山奥は青い夜闇に満ちていた。そんな薄暗闇の山路を、二日酔いの身体を引き摺るようにして駆け抜ける。面倒だが、まあ仕方がない。
何せ、普段この仕事をしてるでか女は出張続きで、今はこの極東地区にいねーからな。二か月前のサンライズフェスタ中央決戦で優勝し、ジ・ヘリオスになってからはあいつもあいつのペアもずっとこんな具合。
だから、この巡回の役がおれに回って来ただけだ。相方であるモランジェや、入って来たばっかの新人達に帯剣走巡回なんざ任せられねーし、そうなるとおれしかいねーから、まあしょうがねーんだけど。
「……はぁ。ったく、だっる」
巡回ルートの折り返し地点に着き、顎から滴る汗を拭ってぼやく。身体が芯から燃えるように疼き、汗が絶え間なく浮いてくる。あのでか女め、よくもまあ毎日涼しい顔してこんな巡回をしてたもんだ。そろそろ出張もひと段落して帰ってくるらしいが、美味い酒の一つでも買って来てもらわねーと割に合わない。
「大体、ボスもあんな化け物の代役をおれ一人にやらせんなよなー……〝できねぇこたぁねぇけど〟、だるいんだよ、まじで」
悪態を吐いて顔を上げると、目の前には巨大な隕石湖があった。虫も動物も寄り付かない、ひっそりとした開けた湖だ。湖面から突き出たでこぼこした丸いシルエットの隕石は百メートルを超え、ばかでけーバケモンのミイラみたい。
ただ、よくよく目を凝らすとその天辺の辺りが罅割れて窪んでいるのが見える。
約一年前。手のかかるでか女とちびの白黒ペアが、千年間誰も傷付けることができなかったこの大隕石にクレーターを刻んだんだ。
その報告を受けた時、モランジェは仰天していた。まあこの大隕石自体、研闘師協会が指定する重要指定文化財だからな。どんなお咎めがあるかもわかったもんじゃない。
ただボスは……おれが所属する極東第六支部の支部長は、「ようやくだな」とおれにだけ聞こえるように呟いて、その事実を握り潰した。
あれからずっと、こんな秘境の、滅多に人が寄り付かねえ山奥の大隕石は、誰にも知られず欠けたまま。
だが────感じる。
大隕石に刻まれた亀裂の隙間に覗く闇の蠢動。この巨大湖を覆う静寂の温度が日増しに下がり、肌が凍り付くような異様な悪寒が濃度を増している。ただの人間には感じられなくとも、おれにはわかる。
〝あの日、死に損なったおれにだけわかる、闇の息遣い〟。
すると頭の中に様々な記憶がフラッシュバックする。湿り気を帯びた冷たい闇の瘴気が、記憶を仕舞い込んでいる頭の中の戸を叩いて走り回ってるんだ。
気が遠くなるほどの大昔。闇の大浸食に飲み込まれて黒い泥に沈んだ故郷。守るべき姫様も、信頼していた仲間も、愛していた風景も、全てが地の底より吹き出してきた黒塗りの波濤に押し潰された。それからも、数多の黒死獣から逃げ延び、生き永らえ、刀を手に戦い、戦い、取り戻す為に、ひたすら、生き残る為に、力の限り、戦い。
その果てに────負けた。
記憶の乱反射は止まらない。時系列なんてばらばらだ。くらくらしてくる。二日酔いの内臓の重さが残る体の中で、一抹の憤怒を悲嘆が洗い流し、絶望感と虚無感だけが胸に穴をあける。
おれは……こんなところで、何を。
「……ほんと、だりぃな」
バグった頭を振って呟くと、背後の森の中から声が帰って来た。
「闇に当てられたか。お前がそうなるということは、いよいよなんだろうな」
振り返ると、そこには黒衣の妖艶な美女が立っていた。目を引くのは白砂のように流麗な白髪で、腰まで及ぶその毛先は燐光すらも纏っているよう。凍てつく双眸と佇まいは瞬く間に周囲を凍り付かせ、粉砕してしまいそうな恐ろしさを秘めている。
彼女こそが、おれが所属する極東第六支部の支部長、鬼ババアのエアリィだ。
「ボス、ついて来てたんですね」
「当然だ。普段から飲んだくれてばかりで鈍っていないかを、偶には確認しておく必要がある」
「いやいや、少し前まではよくジャーニーとも戦闘訓練してたじゃないですか。あれで勘弁してくださいよ」
項垂れるおれになんて目もくれず、ボスは「それで」と大隕石を見上げた。
「予兆はどれほど感じ取れる?」
「ボスの予想通り、とんでもなくでかいのが来そうだなってのは相変わらず。ただ今回は大分〝遅れてる〟んで、正直正確な時期は何も。いつ爆発してもおかしくねーですよ、これ」
「ふむ……なるほど。少し早すぎるな」
一度だけ頷くと、ボスは森の中へと踵を返した。手には出張用のトランクケースを提げている。
「どこへ行くんです?」
「〝ガス抜き〟の準備をするだけだ。お前も備えておけ」
「りょーかいです」
そうして森の中に消える鬼ババアを見送り、再び湖から突き出す大隕石を見上げる。
相変わらず馬鹿みたいにでかくて、恐ろしいほどに静かな、黒ずんだ異様。
体が芯から震えそうになる。フラッシュバックが再発しそうになって、頭の至る所で火花が弾けるみたいな痛みが生じる。その痛みがいっそのこと本当に炎を生じさせて、記憶なんざ全部焼き尽くしてくれたらいいのに。
現実はその反対に、思い出すたびに、焼き付くように、こびりつく。
憂鬱になり、ふと見上げた夜空には色とりどりに輝く無数の星が浮いていた。それは浅瀬に揺蕩う色つき硝子でできた砂浜みたいで、風が吹くごとに揺れ動き、表情を変えて光り輝く。
美しい。綺麗だ。壮大だ。
そして、果てしない。
もう俺の手なんて、届かない程に。
思い出すのは、あの手のかかる白と黒の二つの星だ。
図体ばっかりでっけーくせした小心者なのに、妙に誠実で利口な『巨星』。
チビで馬鹿の癖に口や野望だけ一丁前で、信じられないくらい真っすぐな『凶星』。
生命力に溢れた瑞々しい輝き。あの二人を間近で見て、その輝きを浴びてきたからわかる。
「……あいつらが宝石なら、おれは化石だな」
ため息を吐いて、山を下りる。
宙に、背を向けて。土の下に深く潜るように。
首筋を揉んで、唇を噛んだ。
「はぁ……酔いが醒めちまった」
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