12話 ラファロエイグ

「ハァ……ハァ……」

 指一本動かせず、無様に墜落して空気を貪る。火事場の馬鹿力というか、脳のリミッターが外れたみたいに使っちゃいけない力まで使った気分だ。骨が軋んで、心臓が張り裂けそうだった。空気を身体の奥まで取り込めない。

 それでも、なんだか久々に本気で体を動かした気がして清々しかった。

 仰向けに寝返りを打つと、満天の星空を埋め尽くすみたいに無数の白と黒の粒子が舞っているのが見えた。まるで星空の海を泳いでいるみたい。大隕石の上に吹き付けて来る風が水流で、無数の光の粒子が気泡だ。浮かんでいって、弾けて行く。

 そんな光景をぼうっと見上げつつ、呼吸の乱れが落ち着いてきて……冷静になる。

 ……いや、ちょっと待て。

 私、やりすぎてない……?

 途端に背筋に氷水を流し込まれたみたいな悪寒が走った。蘇るトラウマ。全力を出して親友の利き腕を潰した時の記憶が蘇る。

 今回は、あの時なんて比べ物にならないくらいの出力をしてしまった。ジャーニーに挑発されて、真正面からぶつかられて、反発するみたいに奮い立ち、あの美しい剣技と黒光に吸い寄せられるみたいに全てを放ってしまった。

 ジャーニーは、大丈夫なのだろうか。

 ぞっとしながら苦労して起き上がり、辺りを見回す。ジャーニーはどこに……。

 すると、すぐに見つかった。

 同時に、他のモノも目に入った。

「………………は?」

 ジャーニーは立っていたんだ。ただ私の純白光を受けた黒剣は握っていた柄を残して消し炭になってしまっているし、その腕を包むジャケットの袖は破れ、素肌は真っ赤に焼けている。

 そしてそんなジャーニーが立っているのが、〝私のすぐ横に出来た巨大なクレーターの中心だった〟。

 深さは十メートルを超えている。削れた大隕石の岩肌が土煙を生じさせて、独特の匂いがした。周囲に目を向けると、そんなクレーターを中心に無数の亀裂が大隕石に走っている。

 この千年間、誰も傷付けることができなかった不掘の大隕石に、だ。

「ちょ、や、やばっ! なにこれっ!?!?」

 疲労なんて忘れて飛び上がり、急いでクレーターの斜面を駆け下りていく。

 なんで? なんで思いっきり削れてるの? クレーターとか罅とか大丈夫? 大隕石って重要指定文化財とかなんとかだったような。いやその前にジャーニー生きてるの!?

「ジャーニー!? 大丈夫!?」

 立ち尽くす黒色少女に近付くと、その傷の深さが伺えた。無数の青痣と出血。黒剣を握っていた右手の爪はいくつか割れている。ただ中央協会の技術開発局特製チャームのお陰で致命傷は免れている……みたい? やばい、わからない。だってジャーニーの首に下げたチャームが充電切れみたいにぴかぴか点滅してるし。私こういうの詳しくないし!

「ねえってば! ジャーニー!! 返事してよっ!」

 怖くなって、咄嗟に彼女の肩を掴んだ時だった。

 その細くて、でも華奢じゃないよく鍛えられた肩が震えたんだ。

「……く、くく……」

「ジャーニー?」

 訝しんだ、直後。

「あははははっ!! なんだよこれっ! やばすぎんだろ! くくっ、あはははははっ!!!」

 空が割れんばかりに笑い出したジャーニーは、お腹を抱えて盛大に肩を震わせた。怪我だらけなのに、宝剣だって塵みたいになったのに。

 それでも心の底から清々しく、笑ったんだ。

「だ、大丈夫? ごめん、私頭にきたまま、本気でやっちゃって……」

「はあ? なんでお前が謝んだよ」

 ひとしきり笑ったジャーニーは、傷だらけの右腕で黒い前髪を掻き揚げた。汗と血が滲む笑顔が露わになる。曇りのない、端正な顔立ち。

 彼女の目には、私を認めるような光が満ちていた。

「凄ぇな、ラファロエイグ。完敗だぜ」

 そこに恐れるような感情なんて欠片もない。純粋な賞賛。

 そうしてジャーニーは仰向けに寝転がると、黒と白の残光が漂う星空を見上げた。

 遠い目をしていた。

「あーあ、また負けちまった。もうこうなりゃ自棄だぜ自棄。嫌でもてめぇが小さくて弱ぇってのが思い知らされた。一から鍛え直さねえとだな、ちくしょう」

 言葉とは裏腹なジャーニーの清々しさが信じられなくて……嘘みたいに、眩しくて。

「怖くない、の? 痛く……ないの?」

「そりゃあ怖かったし痛ぇよ」

「じゃあなんで、そんなに……」

「やりきったからに決まってんだろ」

 隣に座り込むと、ジャーニーは上半身を起こして私を見上げた。そこには一週間前にあった、傷だらけの荒々しさはない。あれだけ視野が狭かったのに、もう、こんなにも遠い目をして。

「楽しかったぜ、お前との研闘。お前はどうだったよ」

「私は……夢中だったから。正直あんまり覚えてないかも」

「なんだよもったいねえな。まあしょうがねぇか。ぐちゃぐちゃに泣いてたし」

「なっ、なな、泣いてないしっ! 適当なこと言わないでよっ! てかジャーニー、いくらなんでも好き勝手言い過ぎだから! あんなに酷いこと言われたの初めてだったんだけどっ!?」

「あっはっはっは! なんだよ、覚えてんじゃねえか。悪い、アタシもついな」

 顔が熱くなる。彼女の笑い声がなんだか心地いい。自然体で、私のことを認めて気を許してくれているみたいな笑い方。怖がらないで、嘲らないでさ。

 なんだか、鎧のように重かった心身が軽くなる気がした。

「でも、間違ったことは言っちゃなかっただろ?」

 そうして向けられた黒瞳に撃ち抜かれて、首を竦める。

「いや、まあ……そうだけど」

 思わず視線をそらしてしまった。ちょっと待って、なんだこれは。胸がざわざわする。ジャーニーの視線が熱い、気がする。私も疲れてるの? なんか私が怖いんだけど。

 目が、見れない。

 彼女の飾らない真っ直ぐな瞳が、眩しい。

「なあ、ラファロエイグ」

「な、なに?」

 目を伏せたまま答えると、ジャーニーは私を見つめながら言った。

「やっぱさ、ペア組まねえか? 勝負はアタシの負けだ。お前が嫌だってんなら他を当たる。でもアタシはお前と組みたい」

「……なんで?」

「お前が、アタシがこれまであった奴らの中で一番凄ぇ奴だからだよ。お前と二人でならジ・ヘリオスも夢じゃねえ気がする。あの『一番星』にもきっと届く。それによ」

 ジャーニーはぼろぼろの右手で、私の手を掴んだ。相変わらず力強くて暖かい、細く強い手。

「気に入ったんだ、お前の事。アタシがいねぇとどうせまたうじうじだらだらしやがるだろうし、そういうヤツのケツを蹴り上げてやるのも良いなって思えたんだ」

 確かに、この大隕石にクレーターを刻む程の出力はきっと私一人じゃ出せなかった。ジャーニーの黒光は光を吸い出すんだ。あの黒色の渦を前にして、私は私を超える力が出せた。

 ジャーニーが、私の力を全部引き摺り出して、全力以上を受け止めて、認めてくれた。

「……何それ。ここで二回も溺れたの助けてあげたの、私なんだけど?」

「うっ、それは、その……あん時は、色々切羽詰まってたんだよ」

 多分私たちは一人じゃ駄目なんだ。手を握り合って思う。自分の宝剣を握っているみたいに、手に馴染む。

「それで……どうだ? やっぱ嫌か?」

 あのジャーニーがおずおずと聞いてきた。探るような上目遣いがなんか可愛いなこいつ。って、違うし。あーもぅ。

「や、約束」

「ん?」

「怖がらないって……ずっと一緒に居てくれるって……約束してくれるなら、組んであげてもいいよ」

「本当か! んなもん当たり前だろ!」

 素直に喜びをあらわにしたジャーニーは、本当に心根が真っすぐなんだろう。ダイレクトに心が伝わってくる。本当に彼女の剣みたいな性格だ。

 ジャーニーとなら、私も。

「その代わり、約束破ったら許さないから」

「そりゃアタシもだ。途中で諦めたりしたって、引き摺ってでも付いて来てもらうからな」

 そうして白い歯を輝かせて笑ったジャーニーは、空いた左手で拳を握り、差し出してきた。

「よろしくな、ラファロエイグ」

「うん、よろしくねジャーニー」

 巨大なクレーターが刻まれた大隕石の上で、人知れず交わした約束。

 ゆっくりと星空は巡る。停滞している夜空。暗かった未来。

 錆びついていた私の運命の歯車が、ようやく、音を立てて動き始めた気がした。

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