11話 ラファロエイグ
大隕石の頂上まで二人でよじ登って、向かい合う。岩肌には多少の起伏やでこぼこがあるけど、整備されていない山道に慣れた私の足には何の問題でもない。
強い、風が吹く。
「ほらよ、試合用のチャームだ。使い方はわかるな?」
「うん」
投げ渡された銀色のペンダントが付いたネックレスを身に付ける。
これは研闘をする際、人体に致命打が及ぶことを避ける光力が詰め込まれたチャームだ。中央協会の技術開発局が生産していて、これがあるおかげで研闘師達は思いっきり斬り合っても命を落としたり、後遺症が残るような怪我をすることはない。特に投げ渡されたのは、私が壊したことのある学生用のチャームではなく、サンライズフェスタの中央決戦でも使用されるような最高性能のものだった。多分鬼ババ様が用意したんだろう。
「先に言っとく。お前の昔のことはモランジェから聞いた。悪ぃな、探るような真似して」
間合いは五メートル。直立するジャーニーは黒色のジャケットと短髪をはためかせつつ、一切体幹をぶらさずに私を見ていた。一週間の休養を経たからか、前ここで剣を振っていた時の危うさはどこにもない。
一切隙がない佇まい。まだ剣を抜いてないのに息苦しいほどの気迫が押し寄せてきて、小さいはずの身体が私よりも大きく見える。
号持ちっていうのは、こういうものなのか。
「……いいよ、どうせ鬼ババ様になんか言われたんでしょ? あの人、良い人なのに何故か暗躍大好きだからさ。回りくどいんだよ、それに強引なんだ」
息を呑みつつ、平静を務めて答える。内心ではまだせめぎ合っている。これからジャーニーと研闘をするの? 本当に?
宝剣を、使うの?
でもそうしないとサンライズフェスタに参加しないといけない。
ジャーニーのことだ。私が協力しなくたって、一人で優勝なんかは出来なくとも、ひょっとしたらいいところまでは行ってしまうかもしれない。
そしたら……もしかしたら、どこかで。
親友に、出くわすかもしれない。
それは嫌だ。無理だ。どんな顔をして会えばいいかわからない。消えてしまいたくなる。
それが、ここでジャーニーに勝てば……また、いつもの平穏な日々が戻ってくる。
このメテオリッテ山村で毎日走って、村人たちと駄弁ったり、ちょっとした手伝いをしたり、協会ではモランジェやロンズと気ままに暮らして、時々帰ってくる鬼ババ様相手にチームワークを発揮したりなんかしちゃって。ささやかな、楽しい毎日。
それが、ずっと続く。
毎年、ジ・ヘリオスが生まれる中央から遠く離れた、この山奥で。
……胸の奥が、軋む音がした。
「……本当に、やるの?」
そんな体内の違和感から目を逸らして尋ねる。気付けば、充満するジャーニーの剣気に耐えきれなくて宝剣の柄に手をかけていた。そういえば、ジャーニーがここから落ちた時もそうだった。
反射的に身体が動くんだ。宝剣を、握るんだ。
それが恐ろしくて仕方がない。
そんな私の迷いを断ち切るように、ジャーニーは音高く鞘から宝剣を抜き放った。
黒光りする恐ろしい宝剣。刃は半ばから砕けてしまっているけど、多分元の形状は肉厚な直剣だ。全ての光を飲み込んで噛み砕いてしまいそうな凶刃。
ゆらりと、影のような黒光が剣から溢れた。
「なあ、ラファロエイグ。一つ訊いて良いか」
「……何?」
「お前、本当に今のままでいいと思ってんのかよ?」
まるで私の胸の軋みを見透かした様な問いだった。反射的に呼吸さえも忘れてジャーニーを見つめる。その戸惑いを彼女は、猛禽のような黒瞳で確かに見て止めた。
にぃっと獣のように笑って体躯を丸め、踏み込む。
「案外簡単に化けの皮が剥がれそうだな、木偶の坊っ!」
「なにをっ」
私の言葉よりも先にジャーニーの肉体が躍動した。決断的に駆け出した黒色の体躯は地の上を滑る影のように低く、鋭く差し迫る。岩肌を舐めるような軌道の砕けた切っ先が煌めいて、咄嗟に私も宝剣を抜き放つ。指先を凍えさせるトラウマを、身の危機を察知した生存本能が凌駕する。
まただ。また、身体が勝手にっ!
まるで、戦うことを、宝剣を使うことを、肉体が渇望しているみたいに。
煮え切らないながらも、そうして露わにした〝純白の宝剣〟でジャーニーを迎え打った。
音高く重なる刃は黒と白の火花をまき散らし、夜空に甲高い刃の音色を響かせる。澄み渡る程に美しい、懐かしい音。でも……手に力が入らない。
「ぐっ!」
簡単に鍔競り合いに持ち込まれてしまう。それもジャーニーから迸る剣圧に押されてよろめき、後退る。
「おいおい、腰が入ってねぇなぁでか女! その図体はハリボテかよ!!」
怒鳴ったジャーニーは競り合っていた鍔から力を抜き、私が押し返す力を利用して剣を絡め、引き込んでくる。咄嗟に剣を取られまいと腕を引くけど、そうして推す力を緩めた隙に黒刃が斬り返して、力が抜けた私の刀身を真下からかちあげた。
直後、両手で握る長剣を弾き上げられたことで無防備になった脇腹に、鋭い回し蹴りが叩き込まれて吹き飛ばされる。
「がっ、は、ああ……うぅ」
それでもすぐに受け身を取って起き上がれたのは頑丈な肉体のお陰だ。ジャーニーは一切手を緩めることなく、足場の悪い岩肌を飛ぶ様にして追撃してきた。
咄嗟に身を起こして長剣を振り上げ、切っ先で牽制しつつ、なんとか迎え撃つ。
巧みなブレードコントロールと体捌き。一週間前にここで見た通り、ジャーニーの剣は全身全霊なんだ。足の先から手の先まで体の全部が連動している。体も小さくて、剣先だって折れているのに一撃一撃が熊に殴られているみたいに重たかった。
勿論、そんなジャーニーの剣術の恐ろしい所は予想外の威力だけじゃない。
思った以上に速く、そして〝伸びて来る〟んだ。
そもそも私とジャーニーは身長差だけでも四十センチ以上ある。おまけに私の宝剣はブレードだけでも一メートルを大きく超える長剣で、対してジャーニーが今扱っているのは刃さえ潰れた三十センチにも満たない宝剣。
リーチの差だけでも四倍以上ある。
なのに振り払うことは愚か、下がる事さえもままならない。
こっちがリーチを生かして剣先で斬り払おうとしても、体躯を丸めて目一杯に踏み込みながら直進してくるジャーニーは掲げた短い切っ先で私の剣先を受け止め、そのまま刃をブロックしながら、続く一歩でもう目の前まで肉薄してくる。
そこからさらに下がって斬り返そうとしても後の先を取るのは瞬発力があるジャーニーだ。斬り返す刃の出先で悉くブレードの横っ腹を叩き落とされて、その振動が手の内まで伝わり握力を根こそぎ削いでくる。超近距離での剣運びの技量が常軌を逸している。
そうするとさらに後手に回ってしまい、荒ぶる鞭のように上下左右からしなりを上げて襲い掛かってくるジャーニーの乱打を捉えきれない。逃れられない。
身体能力は私の方が高いはずなのに、力だって私の方が強いはずなのに、リーチだって私の方が長いはずなのに。
ありとあらゆるディスアドバンテージを、剣術一本で粉砕して突っ込んでくる武者の剣。
〝硬い〟。ジャーニーの剣術の真骨頂は、その卓越したブレードコントロールによる防御と俊敏性にあった。どんな剣も受け止めて、あるいは受け流してしまいながら瞬く間に肉薄し、ものの一瞬でこちらの剣を弾き飛ばして隙を作る超攻撃的なカウンター戦術。そこから一方的に叩き続ける嵐の斬撃。
それが剣を結んで分かった、『凶星』という研闘師の強さだった。
どうして彼女がこんなに強いのか。どうしてこの剣が、こんなにも勢いを持っているのか。
それは一目でわかった。
本気なんだ、ジャーニーは。彼女の剣の重さは、きっと背負ってるものの重さだ。彼女の一歩の速さと長さは、後ろに守りたいものがあるからだ。ジャーニーが背負っているものが、彼女の背を押して爆発的な推進力になっている。
「てめぇの本気はこんなもんかよ、ラファロエイグッ!」
獅子のように咆哮したジャーニーが、黒剣を両手で握り締め、振りかぶりながら飛び込んでくる。真正面からのなんの策もない特攻だ。ただ、一合前の打ち合いで私の剣は弾かれたばかり。また後の先をとられた! 攻守の切り替えが早すぎるっ!!
「このっ!」
咄嗟に後ろ脚を下げ、上体を逸らしながら長剣を引き付けて迎え撃つ。すると二つの剣が交錯し、何度目かもわからない眩い白と黒の火花を散らした瞬間、あろうことかジャーニーはその剣の交差点を力点に宙返りをしてのけた。身軽な身体と、鍛え抜かれた驚異的な筋力があってできる曲芸。
そうして空中で私と交錯したジャーニーは、背後に着地して一閃。間髪入れずに袈裟太刀を浴びせ掛かってくる。首を捻って視界の端でその挙動をなんとか視認すると、振り降ろした長剣をそのまま脇下から背後に通してブレードを立て、斬撃を受けきった。
すかさず足の筋肉を総動員して飛びのく。
でも、ジャーニーは息つく暇もなく、猛獣のように襲い掛かってくる。
体力だって私の方があるはずなのに、一方的に剣戟のペースを握られているせいか、こっちばっかり息が切れてきて、汗と小さな手傷に塗れている。
凌ぐだけで精一杯だ。ジャーニーの剣が砕けていなかったら、きっと勝負にすらなってない。
そんな一方的な剣戟の中、ジャーニーは叫んだ。
「なぁに縮こまってんだよ! そんなにてめぇの力が怖えか! そのまま自分自身に怯えて、一生こんな所で山路駆けずり回って生きてくのか!? それでいいのかって、アタシは聞いてんだッ!」
朝の星空の下に咲く、無数の黒と白の火花。咲き誇るごとに互いのブレードはより黒く、より白く光を蓄積させていく。柄から膨大な純白の熱量が伝わってきた。
ただ、私の長剣に宿った白光は瞬く間に消失していく。
というのも、宝剣は触れたモノ……それも物質だけではなく、使用者の感情といったモノに応じて光力を増減させる性質を持つんだ。
だから、心の底から戦うことを恐れている今の私では、剣に宿った光力を維持することができない。
だから、宝剣が使えない。研闘師なのに、一切光が生み出せない。
相変わらず長剣を持つ手にすら力が込められない中、ジャーニーが構わず攻め立ててくる。
「大体よォ、てめぇだって思ってんだろ! 体が急に成長した? 相方馬鹿にされて殴り返した? 本気でやれって言われたから本気でやったら、ペアをぶっ壊しちまった?」
打ち合う度にジャーニーの剣の熱が伝わってくる。刃と肉と骨を通して体に流れ込んでくる。
「〝それの何が悪ぃんだよ〟! アタシはてめぇの話聞いてムカついたぜ! 体が急にでかくなった? 羨ましいぜクソがっ! 相方馬鹿にされたから殴り返した? 叩きのめしちまえそんな馬鹿共! ペアがてめぇの剣についてこれなくなった? そんなの、〝ジ・ヘリオス目指してんのにその程度も受け止めきれねぇ雑魚が悪い〟!」
胸の奥が、軋むんじゃなく、疼く。
「『一番星』とやりあってわかったんだ。思い知らされた。一番になるってのは生半可なことじゃねぇ! プライドも何もかなぐり捨てて、勝つ為に全部を使わねえと可能性の目さえも出ねえ! なりふり構ってられねえんだよ! なのにてめぇが手加減しなきゃいけねえなんざふざけてる!」
鋭く美しい剣戟の音色が、気高く空に舞い上がる。
「てめぇも腹の底じゃあそう思ってんだろ! この数日だけでもてめぇと過ごしててわかったぜ。馬鹿にされて、本気でやれなくて、自分だけを責める程お前はお利巧さんでもなけりゃあ善人でもねえ! ただ全部のみこんで、腹の底でいろいろ思いながらもへらへらしながら誤魔化して、図体はでけぇのに悪知恵ばっかり働く小悪党で、でも、でもっ」
踏み込んで引き絞られた黒剣が、空を切り裂いて走り、私の剣を弾き上げる。
霞むような速さだ。
「ここでアタシを助けたみたいに、今剣を抜いて戦っているみたいに、〝今泣いてやがる〟みたいに、身体が、手が、心が動くんだろ! 頑固で、絶対に譲りたくねえもんがまだそこにあんだろ! 利口なくせして、利口になりきれねぇ馬鹿が、図体ばっかりで大人気取ってんな!」
言われて初めて視界が潤んでいるのに気が付いた。ジャーニーの剣先が霞んで見えるのは速いからじゃない。なんで、こんな。
ジャーニーは一切攻めの手を緩めず、鋭い目に感情と気迫を溢れさせ、鬼のように吼えた。
「本気で来い、ラファロエイグッッ! このアタシ相手に手加減してんじゃねぇよ雑魚ッ!」
その一言で、私の心身を覆っていた目に見えない何かが粉砕される。
純白の宝剣の柄を握る手に、膂力が漲る。
刀身が、純白の光を宿す。
「好き勝手……言いやがってっ!!!!!!」
下がらずに踏みとどまり、真正面からジャーニーの黒剣を受け止めた。重い。でも、それがどうした。
力比べで、私が負けるはずがないっ!
剣運びだの、リーチがどうこうだの何も考えず、ブレードが触れ合った途端に全力で薙ぎ払う。それだけでジャーニーは目を剥いて、堪える隙も無く吹き飛んだ。
「そんなの、全部……全部ぜんぶ、言われなくたってわかってる! このままが嫌なのも、ムカついてるのもわかってる! だって、私だってジ・ヘリオスになりたかった! あの子に付き合って目指してたわけじゃない! 私が、私だってっっ!!!!」
研闘師は闇から人類を守る仕事だ。光り輝く宝剣を振るい、人々の生活を照らす。そんな姿に憧れた。そして、そんな研闘師の頂点に輝く太陽こそがジ・ヘリオスだ。
長剣を思いっきり両手で掴み、止めどなく光が溢れてくる刃を振り上げて、構える。
全身全霊で、吐き出す。
「私だって、一番にっ!」
すると受け身を取ったジャーニーは、息を切らしながら頬を伝う汗を拭った。
そして唇を釣り上げて好戦的に笑い、立ち上がって、指を折る。
「なら見せて見ろ。かかってこいよ、小悪党」
その誘いに乗るように踏み出した。振り上げた純白に輝く切っ先が尾を引いて星空を切り裂く。構えたジャーニーに隙はない。
じゃあどうする。剣技で圧倒的に劣っているのは確かだ。リーチはあの敏捷性を相手に利にはならない。唯一勝っているのは力。
……本当に?
一瞬で攻め方を思考構築し、頭の中にデザインする。
どうすれば、あの小生意気なチビに目に物を見せてやれる。
私の力を、証明できる。
そうしてジャーニーに飛び込んでいって、遠い間合いから剣を振り下ろす。構えたジャーニーが違和感に気付いて眉を寄せる。でも、もう遅い。
私が振り下ろした切っ先は〝ジャーニーの眼前の空を切って〟、思い切り大隕石を叩いた。
すると、下方に向けて放たれた純白の斬撃光が浮力を産み、私の巨体を遥か上空へと弾き飛ばす。
〝大隕石からジャーニーが落ちた時も、咄嗟にこうやって莫大な光を剣から放って推進力を生み、湖を飛び越えて彼女を受け止めた〟。
驚きに目を剥いたジャーニーを上空から見下ろしつつ、肉体を螺旋させ、腰を捻り、長剣を天高く振りかぶる。全身の筋骨に限りないほど力を溜め込む。
こうすれば、飛び道具がない黒剣はどうしようもない。剣術で勝てないなら付き合わなければいい。リーチの差っていうのはこういうことだ。
一方的に、理不尽に。
「望み通り、叩き潰してあげるっ!!!」
すると、ジャーニーも腰を落として黒剣を後ろ手に秘めた。刹那、噴き出した黒光が彼女の足先を伝い、地を這うように展開される。渦巻く真っ黒の闇の輝き。瞬間、どっと体にかかる重力が倍増した気がする。なんだかあの黒色の光に吸い寄せられているみたい。
合わせて、振り上げた長剣の切っ先が震え始める。純白の光の制御が効かないんだ。溢れ出しているんじゃない。体の奥底まで素手を突っ込まれて、無理やり光力を引き摺り出されているみたいな感覚。
光を飲み干す、奈落の輝き。
まるで、私の全部を受け止めようとしてくれているみたい。
足首までそんな黒渦に浸したジャーニーは、逃げも隠れもせずに答えた。
「やってみやがれッ!」
通じる視線。睨み合ったのは一瞬の事。
瞬きよりも早く、互いの閃光が煌めく。
「「ハァアアアアアッッッ!」」
眼下に向けて振り抜いた私の長剣の切っ先からは、斬撃波に乗った超質量の純白光が迸った。空に浮かぶ全ての星の光を束ねたみたいな光の大洪水。大地を砕く落雷じみた強光。もっとだ、もっと強く、全部絞り出せっ!!
そんな私の全力に対して黒剣を振り上げたジャーニーは、空の重みそのものを担いで堪えるように全身で受け止める。渦巻く黒光が鯨の口じみて私の光を飲み干して、膨れ上がる。
それはまるで、闇があるからこそ光が輝くように。
それはまるで、光があるからこそ闇が肥えるように。
世界が私たちの色で満ちて。
爆ぜる。
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