第8話 『凶星』ジャーニー

 そうして昼前に隕鉄山脈の帯剣走巡回に出てから、十時間が経過した。

 時刻は二十時過ぎ。アタシは、ようやく帰ってこられた支部の庭先で仰向けにぶっ倒れてた。

「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……げほっ、ごほ……死ぬかと、思った……」

 正直もう指一本動かせない。というか手足の先の感覚がない。きっと今なら猫にすら喧嘩で負ける自信がある。それだけ巡回ルートが険しかったんだ。

 ただ走るだけじゃない。谷を飛び越えたり、崖をよじ登ったり……川は泳げねえから遠回りする羽目になって、その分余計に時間も距離もかかって……。

 ただ、中でも一番驚いたのがラファロエイグだ。

 あのヤロウ、アタシが川沿いを走ってる最中、〝追い抜かしてきやがったんだ〟。

 すれ違いざまに聞いたら三回目の巡回らしかった。なんでもあいつ、この巡回を六時頃と十一時頃と十八時頃の日に三回やってるらしく、アタシはその三回目のあいつに周回遅れで追い越されたんだ。

「なんなんだ、あのバケモンは……」

 正直、もう悔しさとかそういう気持ちすら湧いてこねえ。あいつ絶対人間じゃねぇ。

「お、もう帰って来てたのか新人」

 そうして庭の芝生で息を整えていると、ロンズが声をかけてきた。片手にはビール瓶を籠で持ってやがる。相変わらず、仕事が終わるなり飲んだくれていたらしい。

「もうって……こんな時間、だろ……」

「いや、初めての巡回でその日のうちに帰ってこれるだけすげーよ。前モランジェがやった時なんて丸三日もかかったからな。それがまだ二十時だろ? 流石号持ちだ」

 ロンズはアタシの隣の芝生に腰を下ろしてビール瓶を呷った。そして一緒に持ってきていた水筒を手渡してくれる。

「……ありがとう」

 礼を言って水筒の水を頭から被りつつ、余った分を飲み下して呼吸を整える。

 そして、高く澄み渡る星空を見上げた。もう千年もこの天雲大陸を覆っている満天の星々は、赤や青、黄色、翠、白や黄金と色とりどりに輝いている。無数の色の粒が絡み合ってうねりながら空を流れる様は、人知が及ばない鯨と竜とか、そういった巨大生物の躍動を見ているみたいで気が遠くなる。

 世界は広い。最近そう思う事ばっかりだ……いいや、違ぇ。

「アタシ、小せぇなぁ」

「そりゃ、百六十もないモランジェよりチビだからな?」

「身長の話はしてねぇよ飲んだくれっ!」

 突っ込むとロンズはけらけら笑った。相変わらず掴みどころのねぇ奴だ。

「全く、アタシはこれからでかくなるんだ。強くだってなる。今に見てろよ」

 重たい身体を引き摺りながら立ち上がる。するとロンズが「あ」と続けた。

「そういや、今日は鬼ババア帰ってきてるぜ。あの人いつ出て行くかわかんねーし、大事な話があんなら早めにな」

「……なんで、そんなこと」

「ん? 今朝鬼ババア探してたろ? それに顔に書いてあんぜ」

「何が?」

「〝悩んでる〟って」

 そうしてロンズは、火照った顔のまま芝生に胡坐をかいて、アタシを見上げた。飄々とした笑みは水面に浮かんだ三日月みたいで、まさしく掴みどころがない。

「てめーのことは知らねーけどさ、号持ちがただ強くなるためにこんな所にくるわけがねーだろ? 正直血迷ってるとしか思えねー。でもそれをしちまうくれー切羽詰まってて、本気なんだろーなってのはおれにもわかる。実際お前、わかりやすく荒れてるし」

 籠から取り出した新しいビール瓶を空けつつ、ロンズは続けた。

「あのババアは鬼畜だが、筋は通すし信頼できる。強くなりてーなら使えるものは全部使えよ。なりふり構ってらんねーんだろ?」

「……ああ、そうだな」

 頷くと、ロンズは好奇の視線を向けてほほ笑んだ。私を肴にでもしてるみたいだ。

「ここは静かでおれ好みだが、最近はちょっと暇を持て余してたんだ。楽しみにしてるぜ、『凶星』さんよ」

「安心しろ、退屈はさせねぇよ」

「そりゃよかった」

 そうして酔狂なロンズを庭に残して、協会の裏手にある居住区の玄関で靴を脱ぐ。支部長さんの寝室は廊下の突き当りだ。

 扉の前で深呼吸をする。胸の前で掌を握って、開いて、思考を整理する。

 それにしても、悩んでる、か。あの飲んだくれの言う通りだ、ちくしょう。

「誰かいるのか」

 ただ、そうしていると支部長さんの声が扉越しに聞こえた。

「ジャーニーっす。支部長さん、ちょっと話が」

「入れ」

 扉を開けると、室内は煌びやかな装飾品で溢れていた。髪飾りや仮面、指輪、首輪、腕輪、宝石で編まれた鎧や光沢の美しい織物等が品よく壁に飾られてある。支部長さんの趣味か?

「どうした?」

 支部長さんは部屋の真ん中に在るソファに足を組んで座っていた。夜だってのに黒色のスーツ姿のままだ。洒落た意匠のガラステーブルの上にはトランクケースと葉巻と灰皿が置かれている。もしかしたら、一服したらもう出て行くのかもしれない。

「あーいや、なんつうか……」

 言葉に迷う間、支部長さんは親指くらいある太い葉巻をゆっくり吸って吐いていた。チョコレートにアルコールが混じったみたいな大人の甘い匂いがする。

「今日からラファロエイグに付いていく予定だったな。どうだった?」

 先に尋ねられて、思わず苦笑してしまった。

「いや、なんなんすかあのでか女。周回遅れで置いてかれたんすけど」

「気にするな、あの小娘が鍛えているだけのことだ。あれは研闘師として珠玉の才を持っているが、中身に傷があってな。それが中々治らないんだ」

 言われて、納得する。

「ようやくわかったすけど、支部長さんが言ってた〝力をくれてやる〟って、〝あいつとペアを組ませてやる〟って意味だったんすね」

「そうだ。お前は現時点で、号持ちの中でも突出した剣の技術を持っている。だが同時に足りないものも多い。その一つがペアだ」

「それは……アタシ一人の力じゃ、ジ・ヘリオスにはなれねぇってことっすか」

 自分で言っていてもわかった。何を馬鹿なことを言ってるんだ。

 そんなの当たり前だ。

 そもそも『一番星』と戦ってた時だって……ああ、そうだ。わかってたんだよ。

 このままじゃあ、どう足掻いても勝てねえって。

 でもそれを認めたくなかっただけなんだ。アタシは小せぇやつだから。

「それはお前が一番良く分かっている事だろう」

 当然そんなアタシの心は見透かされていた。支部長さんの色つき硝子みたいに綺麗な薄青の瞳は、宝剣の切っ先の如くアタシを見つめている。睨んでいるんじゃない。じっと、ただ見つめているんだ。

「お前はまだ十七歳。研闘師としても最若年代だ。これから肉体が発達し、全盛を迎えればさらにその剣術も研ぎ澄まされるだろう。そうなれば話は別だが」

「だけどそれじゃあ意味がねえんだ。何年もかけちゃらんねえ。今この瞬間も故郷の奴らは腹を空かせてるし、薬が買えなくて、治るはずの病気に苦しんでる」

「よくわかっているじゃないか。ようやく頭が冷えたか?」

「……まあ、盛大に溺れたんで。それも二回」

 簡単な話だ。アタシは故郷のみんなを助けるために、ジ・ヘリオスになりたい。

 それが一番の目的だ。なら『一番星』に負けた悔しさとか、アラランが諦めた苛立ちだとか、そういったもんに固執してる場合じゃねぇ。世界は広ぇんだ。でもアタシは小せぇ。

 ロンズが言っていた通り、なりふり構わず、使えるものはなんでも使うくらいがむしゃらにやるべきだ。

 言うと、支部長さんは透き通るような美貌をほんの僅かに綻ばせた。美しい装飾品を愛でるような、支配的で蠱惑的な笑み。少なくともアタシはそう感じる。

 ぱしんっと両頬を叩いて気持ちを入れ替える。

「なあ支部長さん、一個聞いて良いか」

「なんだ?」

「どうしてラファロエイグがペアなんだ。確かにあいつの身体能力は認める。でも宝剣を使えねえんだろ?」

「決まっているだろう。ペアとは互いに足りないものを補い合い、磨き合うものだ。あの小娘はお前に無いものを全て持っている」

 足を組み替えて、支部長さんは灰皿の上に葉巻の灰を落とす。

「そして同じ様に、貴様はあの小娘に無いものを全て持っている」

「アタシが?」

「そうだ。見ての通り私は煌びやかなものを愛しているがな、それを原石のまま、いつまでも暗闇に仕舞っておく趣味はないんだ。いい加減あの小娘にも傷を治して貰いたい。美しいものは、あるべき場所で、あるべき様に輝くべきだ」

「……へぇ、その為にアタシを使ったってわけだ」

 言うと、支部長は紫煙が零れる唇を舐めながら笑った。

「不満なら、お前もあの小娘を十全に〝使う〟といい。あれはもうお前にくれてやったものだ」

 葉巻を灰皿に押し付けて火を消すと、彼女はトランクケースを掴んで立ち上がった。

「保証してやろう。お前達が最大限光り輝けば、『一番星』も堕とせる。私はそれが見てみたい。あの金色も最近は退屈そうでな。色褪せて見るに堪えん」

「……そうか。その言葉が聞ければ十分だ」

 答えて、胸を叩く。あの『一番星』に勝てるなら、どんなことだってしてやるんだ。

 ラファロエイグとのペアだって、全力で受け止めてやる。支部長さんが認めるアイツの才能を、アタシが最大限に光り輝かせてやる。

「任せてくれ、そうと決まれば、こうしちゃらんねぇな」

 さっそく踵を返した。扉をあけ放ち、肩越しに振り返る。

「見てろよ支部長さん。来年こそあの金メッキぶった斬ってやるからよ!」

「慌ただしい奴だ」

 そんな支部長さんの言葉を耳の端で聞きながら、廊下を走る。

 まずは、そもそもラファロエイグがなんで宝剣を使えねえかを知らねえとな。つってもあいつが素直に話すとは思えねぇし……となると、別の奴に聞くか。



「ラファロエイグちゃんが宝剣を使えない理由、ですか?」

 支部長さんの寝室を後にして、アタシが向かったのは居住区のリビングだった。

 モランジェはテレビの前で研闘師達の映像に齧りついている。辺りには研闘師の特集が組まれた雑誌や毎年発行される号持ち名鑑なんかが山になっていた。

「そうだ。今日一緒に……まあ一緒じゃねえけど、とにかく巡回をして分かった。あいつは化け物だ。でも研闘師として、宝剣が使えねぇなんざ致命的すぎる欠点だろ? 本気になってもらうとして、そこを解決しなきゃ話にならねえじゃねぇか」

「それはそうですが……でも、ジャーニーちゃんは一人で戦うって言っていたはずじゃ?」

「ありゃあ気の迷いだ。ここに来てからの体たらくでわかった。アタシは小せぇ。一人じゃ、まだ、勝てねえ。でも……勝たなきゃいけねぇんだ」

 そうして、モランジェに頭を下げた。

「だから頼む。その為にはあいつの本気が必要なんだ。知っていることがあんなら教えてくれ」

「わ、わわっ、そんな頭まで下げなくても……もう、ジャーニーちゃんはなんというか、真っすぐな人ですねっ」

 苦笑しながら、モランジェはリモコンを手に取ってテレビの電源を切った。そうして周囲の雑誌やら書籍やらの山の中から、とある新聞紙のバックナンバーを抜き取る。

「でもそういう事ならわかりました。わたしもラファロエイグちゃんの事、気になって調べたことがあるんです。知っていることはお話ししましょう」

「本当かっ!? たすか、」

「ただし」

 アタシの言葉を遮って、モランジェは人差し指を向けてきた。薄暗闇の中、窓から差し込む銀光に包まれたその指先は知恵に富んでいて微動だにしない。

「忘れないで下さい。ラファロエイグちゃんは今も深く傷ついています。もしジャーニーちゃんがただ自分の目的の為に彼女を利用しようとしているなら、わたしは許しません」

 丸眼鏡の奥の緑色の視線が、アタシに向いた指先の向こうからじっと貫いてくる。頭の中まで透かし見られているみてぇだ。

「それでもラファロエイグちゃんのことを教えるのは……わたしも、ラファロエイグちゃんは今のままじゃいけないと思うからです」

 そこでふっと表情を緩めると、モランジェは気まずそうに目を伏せた。

「偉そうなことを言っておいて恥ずかしながら、わたしとロンズちゃんでは力が足りませんでした。でもエアリィ支部長が連れてきたジャーニーちゃんなら違うかもしれない。助けられるかもしれない。なので、」

 モランジェは、深く頭を下げた。テレビの前の床に正座をしたまま、床に手をついて。

「わたしの大切な友達を、どうか助けてあげてください。彼女はこんな所で燻っていていい研闘師じゃないんです」

 そんなモランジェの手の上に、そっと掌を重ねて答える。

「ああ、わかった。ついさっきも、ペアってのは互いに補い合って磨き合うもんだって教えられたばっかだ。まずは、アタシがあいつの力になってやる。本気でよ」

「……ありがとうございますっ」

 顔を上げると、モランジェはさっき取り出した新聞のバックナンバーをアタシに手渡した。中央都市ドゥヘイブンのローカル誌みてぇだ。日付を見るに、四年前の記事らしい。

 紙面に目を落とすと、一面の見出しが目を引いた。

『新星輝く! アイラ剣術学院中等部一年生ペアが、上級生を押しのけ堂々学内フェスタ制覇』

「……アイラ剣術学院って、ドゥヘイブンにある研闘師養成学校、だよな? しかもドが付くほどのエリートが大陸中から集まる」

 南方の鉱山で育ったアタシだって昔から知ってたくらいだ。なんでも初代ジ・ヘリオスが創設したとかいう、由緒正しい、千年近く続く学院のはず。

「そうです」

 頷いたモランジェが、見出しの下の写真を指さした。印刷が荒いせいでぼやけているが、それでもその人影が誰かはわかった。

 ペアらしき人物と一緒にトロフィーを掲げているのは、間違いなくラファロエイグだ。

「ラファロエイグちゃんはそんなアイラ剣術学院中等部に一年と少し在籍していました。そしてある時期を境に成績が急落し続けて……暴力事件を起こして退学処分を受けるまで、学年主席ペアを務めていた実力者です」

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