第5話 『凶星』ジャーニー
気が付くと、ぼやけた視界の中にぼろっちい木造の天井と、よくわからねぇでけぇ二つの影が見えた。
……なんか既視感があるような。
寝惚けてぼうっとする頭でそんなことを考えようとするが、思考が進まねえ。酷い倦怠感だ。身体も気も鉛みてぇに重い。瞼を持ち上げるのだって一苦労だ。
でも同時に心地よくもあった。布団に寝てるんだろうが、温かくていい匂いがするんだ。干したてみたいな渇いたシーツの柔らかさが全身を受け止めてくれている。
それに加えて、極めつけはふかふかの枕だ。温かくて柔らかく、一生頭を乗せて居たくなるくらいに心地良い……もう少し寝るか。そう思って薄く開いた目を閉じようとした時。
「って感じ。大隕石の上から落ちて来たこの子を助けたんだけど、筏作ってもっかい大隕石まで行くとか言ってさ、結局その筏もすぐに壊れちゃって」
「んだよそりゃ。ただの馬鹿じゃねーか」
「駄目ですよロンズちゃん! 事実だとしても馬鹿なんて子供に言っちゃいけませんっ!」
「うん、一番酷いのは君だけどねモランジェ」
なんだかアタシを囲んでがちゃがちゃうるせぇ。どこのどいつだ? つーか、ここは一体……あれ、そもそもアタシなんでこんな所に……ん? 大隕石?
朧げな記憶の断片が、パズルのピースを嵌めて行くみたいに繋がる。それと同時に意識もはっきりとしてきた。
「つーか、このチビどっから沸いて来たんだ? 確か所属は南方中域地方の協会だったよな?」
「厳密には、出身が極南地区の鉱山村アイスレイで、そこから南方本部にて当協会歴代一位の成績で研闘師資格取得。鳴り物入りでそのままサンライズフェスタの南方地区予選に参加し見事優勝。その後はさっきも言った通り南方地方本戦で並み居る号持ちを撃破し、協会入り後一年経たずに中央決戦出場を果たした、大陸屈指の新人ですっ。ペアのアラランさんも中央都市ドゥヘイブンにある天雲大陸最大の研闘師養成学校アイラ剣術学院にて、千名を超える同学年の中で主席卒業を果し、南方地方の最大主要都市、水群都市ヴァレンツに配属されたばかりのトップエリートで、」
「誰もそこまで聞いてねぇよ研闘師オタク」
「相変わらず詳しいねぇ……でも、そっか。この子が……」
「ん? このチビがどーしたよラファロエイグ」
「んーん、何も。大隕石相手に剣振ってる時よっぽど強そうに見えたからさ、モランジェの解説聞いてなるほどなぁって思っただけ」
「なっ、ラファロエイグちゃん『凶星』さんの剣技を生で見たんですかっ!?!? ずるいずるいずるいですぅ!! なんで呼んでくれなかったんですかぁ!!」
「いや、そもそも呼べるような距離や状況じゃ、」
「正論を聞くつもりはありませんっ! ギルティ!!」
「やりたい放題かお前は」
声や話し方の調子から、アタシの周りに三人いるのはわかった。中でも一人はあのでか女だろう。あとのきんきんうるせぇ早口のやつと、気だるげな口の悪いやつは知らねぇ。
「あはは……でも、もうちょっと静かにね。折角この子眠ってるし……って、あれ?」
会話を聞いているうちにようやく目が開いてくると、視界がはっきりしてくる。
すると視界の半分以上を覆いつくす巨大な二つの影が、眼前でぷるんと元気に揺れた。
そしてその上から、木造のおんぼろ天井を隠すみたいにでか女が覗き込んでくる。
「起きてる。やっほ、元気? 気分はどお?」
思考が停止する。いや、どういう……つか胸でかすぎだろ。
いやその前に、このでか女の牛乳を下から見上げるこの構図は、つまり……。
瞬間、頭の下の〝温かい枕〟などというものの違和感を覚醒した意識が捉え、膝枕、という結論に至った時。
「のわぁああっっぷ!」
思い切り起き上がろうとして、目の前にある牛乳に頭から突っ込んで跳ね返される。その後、そっと両肩に手のひらを置かれて抑え込まれた。ちくしょう、びくともしねぇ!
「はい、君もずたぼろなんだから安静にしてよーね」
「て、てててめぇ何してんだ! 退けっ! はーなーせっ!!」
「んだよ、元気いっぱいじゃねぇか」
「真っ赤になって、思春期ですねっ」
「ね? だから膝枕してた方が良かったでしょ? どうせ起きたら動き出しちゃうけど、こうしてたら抑え込みやすいし」
「無視すんなこらぁああああ!」
「うるさい」
「わぷっ」
喚くアタシの口に対して、でか女は前傾になって牛乳で蓋をしてくる。この痴女が! ああもう、なんでこんなにあったかくてやわらかくて安心するんだってそうじゃねぇだろアタシの馬鹿っ!! つか息がしづれえから思いっきり吸い込むと、なんか甘くて脳みそが溶けそうな匂いが頭の中に一杯になって、また、気が遠く……。
「でも悪い子じゃないんだよ。結構素直な所もあるし」
「そうかぁ? ただ馬鹿で小生意気なエロチビにしか見えねぇが」
「と、とりあえずラファロエイグちゃん、どいてあげないとっ! 多分息できてないですっ」
「え? ああっ、ごめん!」
ぱっと牛乳が離れてようやく満足に息が吸えるようになる。今日だけで二回溺れて、一回窒息しそうになって……なんつーか、何やってんだろ、アタシ……。
「でもこれに懲りたら、しっかり安静にしなよ。折角ここまで連れてきて、手当てまでしてあげたんだから。約束できるなら退いてあげる」
「わぁったよ、もうなんか疲れたから、何もしねぇよ……って、手当て?」
でか女が退いてから起き上がると、ひまわり柄のガキっぽいシャツとハーフパンツに着替えさせられているのに気づいた。その上で、シャツの袖やハープパンツの裾からは包帯や湿布が覗いている。全身に治療が施されているらしい。
「そ。筏が沈没して、君がまた溺れて、そっから担いでこの極東第六支部まで連れてきて、手当てしてあげたの。私達三人で」
「おい嘘吐くな木偶の坊。てめーは包帯引き千切るし、モランジェは軟膏ひっくり返すしで、結局おれが全部やったろ」
「あっはっは! まあ誤差じゃん? ね、モランジェ」
「わたしもそう思いますっ!」
「解せねー……」
悪態をつく紫髪の長髪の女と、それに鷹揚に答えるでか女と、騒がしい緑髪のがりがり眼鏡。つうか、今でか女の奴〝極東第六支部〟って言ったか?
つまりここが、アタシの新しい……いやそもそも、このでか女も研闘師だったのか。
そう思った時だった。
「帰ったぞッ!! 小娘共!!!」
突如として響いた大音声におんぼろな木造建築が震えあがり、同時に姦しかった三人も鞭で打たれたみたいに背筋を伸ばした。
「げぇ、鬼ババ様帰って来た! やっばい、掃除と洗濯どうなってる!?」
「粗方やったが……って、おいモランジェ! そういやお前洗濯機に残ってた洗濯物ちゃんと干しただろうな!?」
「あっ!? ひっくり返した軟膏片付けるのに夢中で忘れてましたっ!」
「おばかっ!」「死にてえのかッ!」
素早く言葉を交わした三人はアイコンタクトで通じ合っている。なんだ、まるで化け物でも攻めてきたみたいな緊迫した空気……。
「とりあえず私が玄関に行ってお出迎えしつ足止めするから、その間にモランジェは庭から洗面所に回り込んで洗濯機の中を片して! ロンズは台所でお茶の用意しつつ、多分鬼ババ様は手洗いたがるだろうからおしぼりも準備! 絶対洗面所に入れさせないよ!」
「は、はいぃいっ! ごめんなさいっ!」
「説教は後だ! ったく、しょうがねぇな!」
そうしてどたばたと出て行った三人の背中をぽかんと見送る。放置された……つか、一体誰が来たんだ? いや、でも今の声聞いたことがあるような……。
そう思って六畳一間の客間らしき部屋を這って、でか女が向かった廊下の先にひょっこり顔を出す。
すると古びてはいるが、清潔で管理の行き届いた廊下の突き当りに玄関があった。
「お、お帰りなさいエアリィ支部長。お早いお帰りですね! 中央出張お疲れ様です!」
「ご苦労。他二人の小娘はどうした」
「ロンズは支部長がお好きな緑茶を淹れていて、モランジェは客人の相手をしています!」
「客人?」
「そう! いやぁ実は今朝から色々ありまして。あ、お荷物受け取りますよ支部長! お洗濯ものは洗面所に運んでおきますね!」
「気遣い感謝するが、その必要はない。貴様らに自立をしろと言っている私が怠惰にしていては示しがつかんだろう。手も洗う必要があるし、自分で洗面所に、」
「あぁそうだ! 実は数日前から洗面所の蛇口が壊れていてですね! 手を洗うなら……ロンズぅ!」
でか女が廊下に面した戸の一つに声を投げると、すぐさまロンズと呼ばれた紫髪の長髪の女が、引きつった笑みと一緒に顔を出した。
「おしぼりだろ、聞こえてたって。はいこれ、ボスもお帰りなさい。もうすぐお茶が入りますんで、是非お部屋でゆっくりとお待ちになって、」
「ふむ……」
そんな二人の様子を見たのか、帰宅者は何かを呟いて玄関を上がった。受け取ったおしぼりで手を拭いつつ、ウェーブした白髪の下の恐ろしい美貌を冴えさせる。
「慌ただしいな。まさかとは思うが、お前ら……言いつけていた日課を疎かにしていた、ということはないだろうな?」
「「ヒィっ!?」」
竦み上がった二人を見てわかる。あいつらやばいほどビビってる。いやでも、それも理解ができる。
何せ帰って来たあの白髪の美女こそが、アタシをこの極東まで連れてきた支部長さんなんだ。まさかこの支部の支部長とは思わなかった。昨日の電車で隕鉄山脈の麓に付いた後、「私はやることがある」と言われて別れるまでは、正直アタシもビビってたんだ。
だってあの人、なんつーか覇気がやべぇんだよ。正直『一番星』を前にした時くらいの圧がある。実際黒スーツの上からでも分かるくらい全身引きしまって隙が一切ねぇし、氷みたいな薄青の眼光は睨むだけで並みの宝剣は砕けるくらいの鋭さしてやがる。
でも、そんな支部長さんが敗退して途方に暮れてたアタシに、「強くなりたいならついてこい。力をくれてやる」って言ってくれたんだ。
そんな白髪美貌の支部長さんがおしぼりで拭った手を持ち上げ、恐らく洗面所に続くであろう戸に手を触れた時。でか女と口の悪い女が揃って絶望したみたいに頭を抱えた。
だから。
「あの、支部長さん!」
廊下に這い出ながら声をかける。すると支部長さんは片眉を上げてアタシに気付いた。
「ん? ジャーニーか……なるほど、客人とはお前のことか」
「まあそういう感じっす。早速大隕石に挑んでみたら返り討ちにあって、湖に墜ちた所をそこのでか女に助けてもらって。他の連中も、手当てしてくれたみたいで」
「全く……お前も、強くなりたいのはわかるがきちんと体調を見極めろ。それができんと話にならん」
「仰る通りで……丁度身に染みてたところっす」
「まあいい。後で小娘共に紹介する。待っていろ」
「うっす」
そうして支部長さんは洗面所の戸を開けた。中の様子は見えないが、支部長さんの表情を見るに特に問題はなかったみたいだ。なんならアタシが寝てた客間の窓から、両手に洗濯物を抱えた緑髪のがりがり眼鏡が飛び込んでくる。ぎりぎり間に合ったみたいだ。
「ふむ……なんだ、洗濯も終わっているじゃないか。紛らわしい」
その支部長さんの一言で、でか女と口の悪い女はアタシに向けて両手を合わせる。
騒がしい奴らだな。
それがこの大陸研闘師協会極東第六支部に〝転属〟したアタシの、こいつらへの第一印象だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます