第3話 『凶星』のジャーニー
気が付くと、アタシはずぶ濡れになって夜空を見上げていた。
「あれ……」
身を起こそうとすると全身が痛んだ。ちくしょう、そういえばサンライズフェスタでの怪我とか疲労がまだ抜けちゃいなかったんだ。あれからずっと、ずっと、剣を振ってたから。それだけ悔しかったし、そうしてなきゃ自分を許せそうになかった。
でもそれからは……色々あって……極東の村に行くことになって、大隕石を斬りつけてたはずで。そしたら風が吹いて、投げ出されて……。
「気が付いた?」
傍らから声がしてぎょっとする。
「なっ、て痛ぁあ!!」
思わず跳ね起きた拍子に全身が痛んで悲鳴を上げた。背中攣ったぁ……。
「そんだけぼろぼろであんなとこから落ちたら、そりゃそうなるよ」
呆れたみたいな女の声。芯に力があってはっきりした発音だ。巨大な楽器を鳴らしているみたいなどっしりした安定感のある声音。
顔を上げると、そこには見たこともないくらいでかい女がいた。
身長は多分二メートル近くて、毛量豊かなブラウンの髪を頭の後ろで雑に縛ってる。くせ毛なのかずぼらなのか、纏めてるでも括ってるでもなく、言葉通りに縛り付けてるだけ。一方で健康的で張りのある肌には弛んでいる個所なんて一つもなく、痩せてるっつうよりも上質な柔らかい筋肉がつまったみたいなメリハリのある肉体。何よりも豊満な胸周りと尻がむっちりと重みのある肉感を纏い、薄手のシャツにショートパンツといった下着同然の姿なのが一層大迫力にエロくて、
「って、誰だお前!? なん、なんでんな格好して隣に……って、アタシも脱がされてるっ!?」
我に返ると、アタシも協会制服を剥かれて下着姿にされていた。顔が一機に熱くなる。
そんなアタシに対して、でか女は文句を言いたげな鋭い目つきを寄越してきた。
「なんでって、君のせいだよ。あの上から落ちて来た君を〝受け止めた〟けど、下は水だからそのままどぼんしたの。で、結局君泳げないみたいだったから水飲んじゃって気を失って、私が岸まで抱えて泳いできたってわけ……なんも覚えてないの?」
「え、あ、え……?」
つらつらと説明されて言葉に詰まる。確かに、そう言われればそんな気がするような……。
「はぁ、まあ覚えてないならいいよ。結構元気そうだし」
ため息を吐いたでか女は湖のほとりの芝の上に寝そべった。見渡せばすぐ後ろの木の枝に二人分の服が干されている。根元にはアタシの黒剣も立てかけられてあった。
「でも二度とやめてよね。あんな高いとこで一人で剣振るとか危なすぎるよ」
「……お前には関係ねえだろ」
「いや、助けたのは私なんだけど?」
文句がありありと浮かぶ目つきででか女は睨んでくるが、無視して立ち上がる。
「それには感謝してる。けど、アタシはやめるわけにゃいかねぇんだ。もっと強くならねぇと」
干されていた服に袖を通していき、黒宝剣を取る。その間にでか女は慌てて起き上がった。
「いやいや、ちょっと待ちなって。服まだ濡れてるし、風邪ひいちゃうよ? てか脱がせて分かったけどぼろぼろじゃんか。体痛いんでしょ? まず休まないと」
「そんな暇ねぇ」
「いやある。絶対ある! てか君、その黒色の剣……ここら辺の支部の研闘師じゃないよね? 〝そんなの〟持って何を生き急いで」
でか女のその一言で、カッと頭に血が上った。
〝黒色は不吉の象徴〟。そんなくだらねぇ迷信をこんな山奥でさえも聞くとは!
「うるせぇ! 放っとけよ! どうせお前達は口先ばっかで何も見ようとしねぇんだ。なら黙ってろ!! アタシが……アタシが、この剣でも輝けるって証明してやるから、邪魔すんなっ!」
怒鳴ったせいで骨や関節が軋む。相変わらず痛みが激しい。だが寝てちゃ駄目なんだ。
黒色のタイタンライトが売れねえから、故郷のみんなはその日暮らすだけでも精一杯だった。なのに、アタシが故郷を出るための路銀を工面してくれた。宝剣だって寝ずに鍛えてくれた。腹の虫を鳴かせながら弁当を作ってくれて、送り出してくれた。薬が買えないで病気の奴だっているのに。
だから負けられなかった。
なのに、アタシは完膚なきまでに、負けた。手も足も出ずに。
着替えを終えて、重い身体を引き摺りながら砕けた宝剣を鞘から抜く。刀身は半分くらいしかないが切れ味はまだ残ってる。黒色のタイタンライトは頑丈で加工が難しいから、新しいのだってすぐには作れねえんだ。予備ももうねぇし、しばらくはこの剣を使うしかねぇ。
早く、もっと、強くならねぇと。
「やめなって! ふらふらじゃんか! 馬鹿なの!?」
「うるせぇ」
「命の恩人に対して何その態度! てかどこ行くつもり? 何すんの? 泳げもしないのに!」
「……筏作るんだ」
「はぁっ!?」
「行きに使ったボートは向こうにあるからな。木ぃ切って適当に蔦で縛れば、片道くらい、」
「ああ、もうっ! 次は助けてあげないよ!」
「ハナからんなこと頼んでねぇよ」
「こんの、どの口が!」
付き纏ってくるでか女を無視して踏み込み、黒宝剣を薙ぎ払って手ごろな木を斬り倒す。落ちて来る幹に向けて切り返しの連撃を叩き込むと、手首に確かな手ごたえを感じた時には筏が作れる程度の丸太が周囲に落ちて来た。
「……っ」
でか女はそんなアタシの太刀筋に怯んだみたいに口をつぐむ。好都合だ。
「他人なんて頼らねえ。一人で『一番星』をぶった斬れるくらい強くなるんだ。邪魔すんな」
長く息を吐いて呼吸を整えると、早速筏作りを開始する。でか女はと言えば下着同然の姿のまま、でかい口からでかいため息を吐いた。
「わかったよ、好きにしなよ。私も好きにするから」
そうして、あろうことかアタシが切り倒した木の切り株に腰掛けて、こっちを見つめてきた。
「……いや、帰れよ。助けはいらねえっつったろ」
「べっつにぃ、君の為じゃないし。私の為だから」
「はぁ?」
「ここの監視はね、怖ぁい鬼ババ様から仰せつかった私の仕事なの。そんなとこで自殺しようとしてる子を放っておいたら私が殺されちゃう。だから君がなんと言おうと、私は君を助けるから。嫌なら君が帰って」
「頑固かよ」
「君にだけは言われたくないかなっ!?」
切り裂いた蔦で筏を縛り上げていると、でか女はばつが悪そうに言って来た。
「それと……ごめん」
「は?」
「いやさっきの。君の剣、そんなのとか言って……大事なものなんでしょ?」
「……ああ」
頷いて、出来上がった筏を持ち上げようとする。だが、ちくしょう。身体が痛んで力が入らねえ。目も霞んできた。でも、引き摺っていきゃあなんとか……。
そうしていると、ひょいと急に筏が軽くなった。振り返るとでか女が手を貸してやがった。
「だから助けはいらねえって言ったろ」
「ぺしゃんこになりそうになっといてよく言うよ。私も、君が死なないように助けるって言ったよね?」
「……うぜぇ」
悪態をつきながらも筏を湖に浮かべることに成功する。薄青い朝星空の空気が満ちた静かな湖だ。大隕石だけが異様に闇の中に佇んで、木も水も恐れおののいて口をつぐんでいる。
あの大隕石に傷をつけられるようになれば、きっと『一番星』を斬れるはず。
〝アタシをこの山村に連れてきた極東の研闘師協会支部長さんもそう言ってた〟。
「はい、これで満足?」
水面で揺れる筏を見下ろしてでか女が言う。ぼけ老人か我儘な子供の相手をしてるみたいな態度だ。気が済むまでやらせて、それに付き合ってあげてますって感じがありありと溢れてる。
……でも。
「………………ありがとな」
「え? 急に何?」
「筏。運ぶの、手伝ってくれて」
「どう、いたしまし、て?」
なんだかちゃらちゃらして気に喰わねえ奴だけど、手伝ってくれたのは事実だ。それに黒剣を見ても離れようとしない。むしろ頑固に付き纏って助けようとしてくる。
その行動自体は、純粋に……嬉しくなかったと言えば嘘にはなる。
だが、人には頼らねえって決めたんだ。最後には結局一人になるんだから。
アラランだって、アタシが故郷から出てきて右も左もわからなかった時に助けてくれて、それから一年間ずっと一緒にやって来た。絶対にジ・ヘリオスになると誓い合った。
でも、諦めた。他人なんてそんなもんだ。
気合を入れ直せ。故郷のみんなにまた一年も貧しい思いをさせるわけにはいかねぇんだ。
来年こそ、絶対に勝たなきゃいけない。
「よし」
そうして筏に乗って、水面を掻いて、数メートル前進した後。
盛大に筏が壊れて、溺れる直前、陸からでかいため息が聞こえてきた。
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