第2話 ラファロエイグ

 朝は好きだ。だって世界が澄んでいるから。太陽が雲海の下に沈んじゃってもう千年も経つらしいけど、いくら夜空一色って言ったって移り変わりはある。

 前の日の匂いが残る空気を深夜が洗い流してさ、朝一番には瑞々しくてぴかぴかな青い空気が満ちているんだ。

「いってきます」

 支部内の相部屋ですやすやしているモランジェと、いびきをかくロンズに囁いてから、玄関でスニーカーをつっかける。動きやすい赤色のジャージ兼寝間着で、腰には自分の宝剣。うん、いつも通り。

 走り出すと、険しい山際が切り取ったぎざぎざの夜空に、鮮やかな星空が広がっていた。サンライズフェスタが終わってから一週間が経つけど、このど田舎の極東の山村は何も変わらない。いや、エアリィ支部長が居ないから怒鳴り声がやまびこすることはないケド。

 でもそろそろそんな鬼支部長も中央から帰ってくるんだよね……嫌だなぁ。

 初夏の朝の爽やかな蒼い空気を噛みつつ、足を繰り出して、憂鬱になる。

 宝剣を携えて走る〝帯剣走〟は、かの傍若無人な鬼支部長から直々に賜っている仕事なの。あの鬼畜ったら私の事大嫌いなのかわかんないけど、ひたすら走らせてくれちゃってさ。少しでもサボったら筋肉の状態から「……あんた、手ェ抜いたね?」だなんて見抜いてくるのも止めて欲しい。

 バケモンだよあの鬼ババ様。

「……ちゃんと走らないとぁ」

 切り立つ隕鉄山脈の山路に足音を弾ませてしばらくすると、曲がりくねった道端の小脇にぽつんとした一軒家が見えてきた。この極東第六地区メテオリッテ山村には少ないけど人が住んでいるんだ。私たち大陸研闘師協会極東第六支部の仕事はこの村の守護と管理。研闘師がいないとその地区からは光が消えちゃって闇に飲まれちゃうからね。そうなったら闇浸病が蔓延して人が住めなくなるし、浄化するために大変な苦労をしないといけなくなる。

 いくらこの隕鉄山脈が秘境のド田舎で、不掘の大隕石くらいしかめぼしいモノがないって言っても、人類の土地であることに変わりはないからさ。

 ちなみに、標高三千メートルの山々が連なるこの隕鉄山脈を走り回る帯剣走には、見回りの任務も含まれていたりするんだ。いや、むしろその巡回がメインなわけなんだけど。

 ……あんの鬼ババ様め、二度と帰ってくるな。一人に任せる仕事量じゃないでしょ、もう。

 内心で毒づきつつ、山路の家の住人が畑で精を出しているのを見つける。

「テラスおばあちゃーん、おはよー。今日も早いねぇ」

「あらぁラファロエイグちゃん、おはよぉね。あなたも早いわねぇ」

「いやぁ聞いてよ。うちの鬼ババ様に朝の巡回を仰せつかっちゃってさぁ。モランジェとロンズは毎日ぐっすりなのに私だけ。なんかずるくない?」

 ガードレール越しに言葉を交わす。おばあちゃんはキャベツ畑を弄っていた農具を置いて、私は足踏みをしながら。まあ、こうやって村の人と駄弁るのは嫌いじゃないんだ。

「で、そんな鬼ババ様もそろそろ帰ってくるんだよねぇ。やだやだ。まあ、なんかあったら気軽に言ってよ。人助けはサボりに入らないから、喜んで手助けするし」

「ほっほっほ! あんたも相変わらず強かだねぇ」

「図体と丈夫さだけが取り柄なもんで」

「お顔もとっても綺麗じゃない」

「いやいや、テラスおばあちゃんの若い頃には負けるよ」

「あら、お口もお上手ねぇ。じゃあはい、おまんじゅうあげちゃう」

「えっ、いいのっ!? いやっほうぅぅ! テラスおばあちゃん大好きっ!!!」

 ひとしきり駄弁ると、もらったまんじゅうを咥えたまま、おばあちゃんと手を振って別れて山路を登っていく。その最中で同じ様にぽつぽつと点在する家々に声をかけては駄弁って、ちょっとしたお手伝いなんかをしつつ、高低差の激しい巡回ルートを走破していく。

 そうして、メテオリッテ山村のはずれにある渓谷まで及んで伸びをした。

 お手伝いのお礼に貰った井戸水入りの水筒を呷り、清水が流れる渓谷脇の小道を歩く。この渓谷は隕鉄山脈を東西に二分するくらい深くてながぁいの。言い伝えによると、千年前に大隕石が落ちた時に山が割れてできた渓谷なんだって。

 実際、件の〝不掘の大隕石〟もこの渓谷を登ってった湖にあるしね。

 こんなド田舎で唯一の観光名所であり、千年間誰がどんな手を尽くしても傷一つ付けられなかったっていう大隕石。伝説的な初代ジ・ヘリオス様にだって削れなかったものなんだ。なんかすごいよねぇ。

 そんな大隕石がある湖から流れて来る清水を見下ろしつつ、渓谷を進む。大隕石が巡回ルートの折り返し地点なんだ。

 木立を抜けて辿り着き、見渡す。

 一面に広がる巨大湖と、その中に半身を浸す高さ百メートルを超える巨大隕石。表面はでこぼこで黒ずんでいるけど、あれは元からなものらしい。その存在感はそこらの山や丘なんて比べものにならないくらいだ。だって湖から出てる上部分だけで百メートル超えてるんだよ。私も人の中じゃでかい方だけど、正直足が竦んじゃう。あんまりにも異質で大きすぎるから、得体のしれない化け物の死体か何かみたいで怖いんだ。巨人が膝を抱えて丸まっているみたい。

 ……こんなものどうこうしようなんて、誰も思わないよね。動物だって寄り付かないし。

「ふぅ……おっけ、異常なーし。戻ったら朝ごはん~♪ 今日のごっはんはぁ、昨日ののっこりのぉ、ロンズのごろごろ肉団子ぉ♪」

 だから思いっきり気を抜いて鼻歌を歌った。

 きぃんっ、と甲高く硬質な斬撃音が響くまでは。

「……え?」

 見上げた先は大隕石の頂点部分。目を凝らすと、緩やかな丸みを帯びた歪な球体のくぼみの一つで人影が躍動するのが見えた。

 チョコレート色の肌に、闇よりも濃い黒髪と〝黒剣〟。激しく宝剣を振るう体躯は随分と小柄だけど、その一挙手一投足の迫力は強烈だった。

 なんというか、全身が無駄なく連動しているんだ。踏み込んだ足から膝を伝い、腰を経て肩から腕先に行きつく過程で、間断なく力が連結している。例えるなら嵐の日の小川みたいでさ。規模は小さくとも、上流から勢いを増して流れてきた水流は鉄砲水となって容易く人体を圧し潰してしまうみたいに、小柄な黒色少女の全身のバネを駆使した剣技は、荒々しく爆発的だった。

 そうして彼女が振るう黒色の宝剣はあろうことか砕けているっていうのに、大隕石に叩きつけられるたびに黒色の火花が鋭く迸ってさ。

 一目見て分かった。研闘師だ。それもとびっきり凄腕の。

 切っ先に渾身を賭けるその全身全霊の剣から、目が離せなかった。

「……綺麗」

 思わず呟いてはっとする。

 いや見惚れてる場合じゃない。凄腕だろうけど、あんな所で剣を振るなんて危なすぎる。

 頭を抱えつつ、とりあえず声をかけようと湖の畔に歩み出た時だった。

 突然、びゅうと強風が吹いた。

 何も珍しいことじゃない。ここは山の上だし、湖だから開けていて風通りも良い。

 そしてきっと、大隕石の上なんかに居たら更に強い風を浴びることになるはずで。だから危ないって私も思ったわけなんだけど。

「あ、」

 声をかけるよりも早く、危惧していた通りに強風に煽られた黒色少女がバランスを崩した。

 最悪なことに真っ逆さまだ。彼女も驚いたのか、大隕石の突起を掴もうと手を伸ばすけど届かない。宝剣の切っ先も空を斬って、成す術もなく百メートル近い高度から落下を始める。

「ちょ、ちょいちょいちょい! やっばいっ!!?」

 あの高さから落ちて大丈夫なの? いや下は水だけどさ。流石に泳げるよね? でも落ちた衝撃で気を失ったりしたら? そもそも頭から落ちたりしたらどうなるの?

 爆発したみたいに思考が氾濫して汗が噴き出す。世界の流れが遅くなって。

 思わず一歩、踏み出していた。

 助けないと。

 でも……どうやって?

 動き出した体は止まらないけど、思考は堂々巡りで停滞したままだ。大隕石と私が居る岸辺の間には湖がある。黒色少女が着水しそうな辺りは数十メートル先だ。ただでさえ走ったって間に合わないのに、足場もないんじゃどうしようもない。

 〝本当に?〟。

 気付いたら、腰に携えた自分の宝剣の柄に手を添えていた。

 私が百九十センチオーバーのでか女だからさ、宝剣も他の子より大きめなんだ。出力にだって自信がある。

 でも私はね、色々あって、宝剣が使えなくて。

 柄に触れた途端にフラッシュバックするトラウマ。四年前。記憶の乱反射。力任せに振るった切っ先。容易く砕ける親友の宝剣。何度も、何度も。何度も何度も何度も。

 一緒にジ・ヘリオスになろうって約束した親友。幼馴染。私のペアだった子。

 宝剣諸共、〝その子の利き腕を潰してしまった記憶〟。折れ曲がった腕と破けた皮膚。白い骨が見えて、吹き出す血潮が頬に掛かった時の生暖かい感触。

 何よりも、あれだけ仲の良かった、一生一緒に居ようって言葉を交わし合った親友の、まるで化け物でも見るみたいな目。

 恐怖に染まった、瞳。

 拒絶。

 凍り付く。

「ひゅっ」

 いきが、できな、

 ただ、その時だった。

 成す術なく落下する黒色少女が私に気付いたのか、目を見開いてこっちを見た。

 縋るような目つき。

 たすけて。

 唇がそう動いたのだけが見えた。

「っ、大丈夫!!!!」

 気付けば答えていた。宝剣の柄を握った手に熱が戻る。不可視の鎖に絡みつかれて動かせなかった右腕が、動く。

 鞘から宝剣を抜いた瞬間。

「絶対、助けるから」

 純白の極光が、夜空を覆いつくした。

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