巨星ラファロエイグ

@maefuji_tanka

第1話

 この広大な天雲大陸において、最も固い護りとは何か。

 アタシはそれを己が剣だと自負していた。

 極東の秘境に在るという千年もの間誰にも傷付けられなかった不掘の大隕石でも、中央都市ドゥヘイブンが誇る最高硬度の宝石群で作られた天然巨大防壁でも、ましてや一度たりとも砕けることがなかったという初代ジ・ヘリオスの宝剣でもなく、鍛え抜いたアタシの剣こそが最強だと信じていた。

 でもそんなアタシのちんけな自負は、あまりにも脆く、砕かれた。

「南方水群都市から『凶星』なる小生意気な新人が現われた、と聞いて期待していたのだがな」

 中央都市ドゥヘイブンの街並みは薄青い。太陽が雲海の下に落ちてから二度と昇ってこなくなり、天雲大陸を夜が覆って千年。人々は発光する宝石タイタンライトを加工し生活に組み込むことで闇を退けた。そんなタイタンライトの巨大鉱山を削り整えて作られたのがドゥヘイブンだ。

 アタシが這いつくばる中央道路の左右には高層ビルが連なり、一つ一つが精巧に削り抜かれたタイタンライトで作られている。艶やかな濁りに満ちた薄青色の肌はつるりとしていた。

 今はサンライズフェスタ中央決戦の最中だから建物の肌は傷付き、欠けているけど、そのオーロラを凍結させて磨き上げたような美しさは一切損なわれていない。

 一方で、アタシを叩きのめした『一番星』は一切の汚れもない完璧な軍装のまま見下ろしてくる。

 身が竦むような金瞳。溢れる覇気は重圧となって降り注ぎ、水の中に押し込まれたみたいに息も身動きもできなくなる。

 ふざけんなよ、勘弁してくれ、本当に。

「……偉そうに言ってくれるじゃねぇか」

 疲れ果て、傷だらけな身体に鞭を打って立ち上がり、構える。サンライズフェスタの中央決戦が開始してからもう二十分。ペア相手と一緒にこの『一番星』に挑みかかってからは欠片程の勝機も見えない防戦一方で、心身ともに満身創痍。宝剣も罅割れている。

 でも、引き下がるわけにはいかなねぇんだよ、アタシは。

 背負ってるものがあるんだ。

 頬を伝う汗を拭って、力を込めて口角を引っ張り上げる。

「まだ終わってねぇぞ? そんな金ぴかしてんのに目は節穴なんだな」

 だけど『一番星』はそんな虚勢ばかりのアタシを見て、煌びやかなご尊顔から退屈そうに興味を失せさせた。

「いいや、終わっている」

 そうして金塊から削り出したみたいな眩く豊かな金髪を手櫛で梳くと、奴はアタシの背後へと透き通る視線を送った。

「お前のペアはわかっているようだが?」

「っ!?」

 振り返ると、私と組んで今年のサンライズフェスタに参加した研闘師のアラランは、戦意が根こそぎ失われた顔で蹲っていた。

「アララン、何してんだ! 早く立てよ! もう一回、」

「……無理ですよ」

 傷が残る右腕で青色の宝剣を抱えた相棒は、ばつが悪そうにアタシから顔を背けた。

「『一番星』様の言う通り、今の私たちじゃあどう足掻いても勝てません」

「そんなのやってみなくちゃわかんねぇだろ!?」

「だから〝やった〟結果がこれでしょう。二人がかりで二十分もかけて、一太刀すらも触れられなかった」

「でも、まだ負けてない! 宝剣は折れてないし、もう一回やれば……」

 ただそんなアタシから目を背けるばかりで、アラランは立ち上がろうとさえしなかった。

「……もういい」

 腑抜けたペア相手に吐き捨てると、研闘師協会主席でもある『一番星』へと向き直る。

 目測。彼我の距離は十メートル。どれだけ手を伸ばしたって絶対に宝剣が届かない距離だ。詰める為には四歩……いや、アタシなら三歩あれば十分だ。これまで死に物狂いで鍛えてきたんだから。瞬発力には自信がある。

 そうして、手の内の黒剣の柄を握り直す。

 呪われた黒剣使い。夜が支配したこの天雲大陸において、黒色は災いを招くと忌み嫌われている。でもアタシがこのサンライズフェスタで一番になれば……この常勝無敗の『一番星』を倒せば、きっとそんな迷信を吹き飛ばせる。

 黒色の光でも輝けると証明するんだ。

 そうしたら、黒色のタイタンライトしか掘れないアタシの故郷だって貧しくなくなる。

 家族が、お腹いっぱいご飯を食べられるようになる。

 友達が、他所を歩く時に指を差されることも、故郷を言う時に偽る必要もなくなる。

 みんなが、胸を張って生きて行けるようになる。

 約束したんだ。絶対勝つって。

 その為にアタシはこの黒剣を使って地区予選から勝ち上がり、地方本戦で暴れ回って、このサンライズフェスタの中央決戦にまで食い込んだんだ。

 あとは目の前のこいつを倒せさえすれば。

「お前は、アタシが、斬るッッ!!!」

 己を奮い立たせる為に腹の底から咆哮し、力の限り宝剣を振り上げて大地を蹴り飛ばす。持ち上げた前足は力強く踏み込み、息を止めて一瞬の攻防の為に己が全てを注ぐ。意識は集中、肉体の悲鳴なんて無視。全力で、全てをぶつける。

「蛮勇だな」

 だが次の瞬間、『一番星』は吐き捨てると共に宝剣を振り上げた。

 目が白む程の黄金色の剣だ。アタシの武骨で肉厚な黒剣とは違って、刀身の向こうが透けて見えるほどに薄く清らかな円筒の造形。緻密な文様と大小さまざまな〝空気穴〟が象られた金色の宝剣は精巧な金管楽器みたいで、一振りするだけで笛を吹いたみたいに軽やかな音が鳴る。

 すると奴の身辺には瞬く間に無数の綺羅星めいた光球が出現した。そして指揮棒でも振るように金宝剣の切っ先がアタシに向けられると、その全てが嵐のように押し寄せて来る。

 『一番星』。あいつがそう呼ばれるのは協会の中で頂点に君臨する研闘師だから……じゃない。

 単純に〝一番速い〟んだ。歴代最速の射手として知られていて、誰よりも多く、誰よりも早く、誰よりも正確無比に光弾を放つ遠距離特化の研闘師。その結果、最強ってだけの話。

 対してアタシは、あらゆる光を引き寄せ捻じ曲げる性質の黒い宝剣使い。『一番星』や他の宝剣使いみたいに光を飛ばすことなんてできない〝超近接特化〟。

「う、うぅっ!!」

 毎日早寝をして、牛乳を飲んでも早々に成長が止まった小さな体で黒剣を立て続けに振り抜く。角度を付けて同時に襲い掛かる光弾は飛び上がりながら一方を躱して、突き刺さるように胸元に迫ったもう一方を腰から捻りを加えた剣先で叩き落とす。

 タイミングをずらした連弾には着地と同時に膝から力を抜き、フットワークを弾ませて後退することでタイミングのズレを修正し、一つ一つを漏らさず切り裂いた。

 次に物量に任せた面での弾幕掃射に対しては関節を目一杯動かし、股が裂けるほどに深く踏み込んで対応する。いくら『一番星』でも面を広げた弾幕なら一点の密度は高くない。振り上げた黒剣が粘ついた黒色の光を発し、斬り上げると共にその黒光に吸い寄せられて乱れた弾幕下方を転がるようにして切り抜けると、体勢を起こして再び突撃を行おうとする。

 でも、顔を上げて分かる。〝全く近づけていない〟。

「チッ!」

 間髪入れずに降り注いだ次の光弾を鍛え上げた剣先の技術で迎え撃つ。まるで雨粒を一つ一つ斬り砕くような絶望感。太腿と肺が爆発しそうになりながらも屈んで、跳ねて、躱し続ける。

 まるで濁流に逆らって泳いでいるみたいだ。下がらないようにするだけで精一杯。あるいは大滝に向かって剣を振っているよう。

 斬っても、斬っても、次から次に押し寄せる水流は握力を奪い、決して枯れることがない。

 それでもッ!

「ハァアアアッ!!!」

 超近接特化故に磨いたアタシの剣術は、研闘師協会の中でも随一だと自負している。あらゆる光を吸い寄せて、叩き斬って、ここまで上り詰めたんだから。純粋な剣比べなら負けない。

 そのはずなのに。

 〝そもそも、届かない〟。

 ぴしり、と握りしめた黒剣の柄に嫌な感触が走る。

 眩い金色の光の奔流。後背に夥しいほどの光弾を構えた『一番星』が、その金管楽器のように美しい造形の切っ先をアタシに向けて振り抜いた。

「黒色の宝剣はその性質上、頑強だと聞いていたが……どれだけ硬くとも、届きさえすればいずれ砕ける」

 閃光。

 刹那、目にも止まらない速さで螺旋する光弾が放たれ、私の黒剣は半ばから粉砕された。

 空を切った私の剣は、あまりにも、軽かった。

「教えてやろう。この世で最も硬い護りとは〝空(くう)〟だ。どれだけ強力な剣も、どれだけ恐ろしい光も、どれだけ巧みな技も、届かなければ紙切れ一つ破けない。間合いを制する者こそが剣を制す」

 踵を返した『一番星』の背中は、変わらず、十メートル先。

 指先から力が抜けて黒剣の柄を落とす。膝が堕ちそうになったのは辛うじて堪えた。

 ……ちくしょう。

「残念だ。『凶星』も、私には届かない」

 すると周囲のビル群から歓声が上がった。ドゥヘイブンの住民たちだ。このサンライズフェスタは日が昇らなくなった天雲大陸にて、〝他者と接触することで発光するタイタンライト〟に光を蓄える為の祭りなんだ。街中で宝石剣を使った研闘師達が戦いを繰り広げて、その過程で発生した莫大な光を吸収したこの街のタイタンライトは一年間光り続ける。

 事実、歓声が上がるとともに周囲のタイタンライトで出来た建物群は厳かな金色に満たされて輝いた。『一番星』の光が触れて、満たされたんだ。

 影一つない眩い光。住民たちは、不吉な黒剣使いという悪役を、常勝無敗の大英雄たる『一番星』が下した興奮に冷めやらぬ様子。声が、光が……重い。

「……ジャーニー。出直しましょう、相手が悪かっただけです。来年からは主席以外を相手にして、少しずつ、」

「うるせぇっ!」

 今更立ち上がったアラランの手を弾き落とす。心配でもしてやがるのか。

「アタシは諦めない! どれだけ這いつくばろうと、何度叩き落されようと、這い上がる。立ち上がる。絶対だっ!!」

 そうしてアラランを押しのけて、去り行く王者の背中に吼える。

「来年こそその金メッキぶった斬ってやるから覚悟しとけよ、『一番星』のプルトニー!!」

 するとプルトニーは足を止め、半身になって振り返った。

 一切の感情が浮かず、造形として完璧なまでに美しい、まさしく宝石のような貌。

 その唇の端が、ほんのわずかに綻ぶ。

「そうか。期待しておこう、『凶星』のジャーニー」

 黄金に光り輝く街の中に去った『一番星』を脳裏に焼き付けながら、奴に一切歯が立たなかった事実を飲み込む。腹の底が熱い。ぐつぐつ、煮えたぎる。

「ちくしょおおおおおっ!!!」

 汗と一緒に涙を拭う。拾い上げた黒宝剣を欠片一つ落とさないように抱える。アラランを置き去りにして、一人でその場から走り去る。

 まだだ。ここからだ。来年こそ必ずあいつをぶっ倒して、アタシがこのサンライズフェスタの勝者、〝二つ目の太陽(ジ・ヘリオス)〟になる。

 光が失われたこの大陸に、黒色の閃光を魅せ付けてやるっ!

 もっと剣を磨くんだ。力をつけるんだ。あの『一番星』の光を全部叩き落とせるくらいに。

 サンライズフェスタは〝他者との接触によって光が生じる宝剣の性質上〟、二人一組のペアでの参加が基本だが、今回でわかった。

 頼れるのは自分だけだ。足手まといなんて必要ない。そもそも『一番星』は特例の一人での参加だ。ならアタシだって一人で戦ってやる。

 めらめらと滾る闘志を胸に秘めたまま、アタシが生まれた時から世界を覆う夜空を見上げる。

 満天の星空。

 中でも東の空に、ひときわ大きく輝く、名前も知らない星が目に付く。

 手を伸ばす。届かないなんて知らない。

 諦めない、絶対。

 

 ☆

 

 年季が入った机に突っ伏したまま、小窓から見上げた夜空には、ひと際瞬く星があった。

 名前は知らない。

「すっごいっ!! 流石『一番星』のプルトニー様ですっ!! かっこいいぃい!! 今年のサンライズフェスタを荒らしに荒らしたあの『凶星』を相手に完封勝ち! わたしも一度でいいから、生でプルトニー様の光を浴びてみたいですっ!」

「おいおい、そのためにゃあ中央まで行かなくちゃなんねえぜ? こんな極東の片田舎からだなんて、路銀だけでいくらかかると思ってんだよ」

「それはそうですが、わたしも頑張って来年の中央決戦に出場できれば!!」

「だっはっはっは! おいおい冗談だろモランジェ! お前が中央決戦に? んなことが起きた日にゃあ太陽もびっくりして上がってくるぜ」

「ぐぬぬ……確かにロンズちゃんの言う通りですけど!」

 大陸研闘師協会極東第六支部。その小ぢんまりとした廃屋みたいな建物の居住区で、中央のサンライズフェスタの映像を流しているブラウン管の前に座った二人が騒いでいる。モランジェはいつも通り研闘師オタクっぷりを発揮してうるさいし、ロンズはいつも通り飲んだくれてうるさい。今日は怖い支部長も中央に行っていないから、二人とも好き勝手してるんだ。

「はー、悪い悪い。まあ夢見ることは悪いことじゃねえわな。お前だって、そこでぼけっとしてる木偶の坊よりかは見込みがあるもんな?」

 足が欠けてがたがたの椅子を回したロンズが、こっちを見る気配がする。

「なあ、ラファロエイグ?」

「ちょっとロンズちゃん、悪口は駄目ですよ! ……でもラファロエイグちゃんも、一緒に見ませんか? 最初の脱落者は出ちゃいましたが、まだまだこれからです! 今年のジ・ヘリオスもきっとプルトニー様で決まりですが、他にも魅力的な研闘師の方々がいて、」

「あ~……ジ・ヘリオスねぇ」

 答えながら思い出すのは昔の記憶。親友と一緒になろうって約束したっけ。

 でももう遠い過去のことだからさ。届くはずもないくらい、遠くにいる誰かの話だ。

 もう何もかも変わってしまったから。

 今の私は満足に宝剣も使えない図体だけの木偶の坊。こんな辺境の底辺支部の中でさえできない奴。

 大人になったなぁ、私も。

「いいよ、私には関係ないし」

 モランジェが「もう! またそんなこと言って! わたしたちも研闘師ですよ!」って言ったり、ロンズが「〝底辺〟研闘師な?」と酒を飲みながら答えたりしている。二人はそのまま言い合って、私からは話題が逸れる。

 机に突っ伏したまま、また、小窓の向こうの名前も知らない星を見上げる。

 手を伸ばす。

 指先が、空を、切る。

 騒ぐ二人に聞こえないように呟く。

「関係ないんだ……もう。私なんかには」

 目を瞑る。

 

 黒い闇が、目の前に広がる。

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