第40話 駆け落ち その2
え? っという目で俺を見つめている春葉に、ぽつりぽつりと自分の気持ちを伝え始めた。
「春葉のことは大好きだ。本当に。でも、これは違うってさっきからずっと思ってて……」
「私のこと、本気で好きだよね」
「それは誓って」
「なら、抱いて。それとも、私、魅力ない?」
「そうじゃない。春葉に抱き付いてしまいたいって気持ちを、懸命に抑えて喋ってるんだけど……」
「なら、抱いて」
「駄目……だ」
「抱いて」
「駄目だ」
乞いながらすがってくる春葉を必死で拒否すると、その表情が険しいものに変わった。
「なぜ!」
「これじゃあ俺たち幸せになれないって思うんだ」
言い聞かせるように告げると、春葉が真顔になって問いかけてきた。
「幸せってなに?」
「わからない。でも、ここでカラダを重ねても、冷えた心を暖めて快楽は満たせるかもしれないが、俺も春葉も幸せにはなれないって思ってる」
「…………」
その言葉を無言で聞いている春葉に俺は続ける。
「いや、俺のことはどうでもいい……よくないけど……これじゃあ春葉が浮かばれない。戻ろう、春葉。俺も出来る限りのサポートをする。これは、駄目だ」
俺が言い終わると、春葉は唇を噛みしめて無念だ、死んでも死にきれないという表情を浮かべた。
「私はここで冬也君に抱かれれば幸せになれるわ。生まれてきてよかったって思えるし、満足もできる」
「それは一時の満足で、きっと絶対に後で後悔することになる」
「私は覚悟を決めてここまでやってきたの。冬也君と行けるところまで行ってみようって」
「一度受け入れたことを撤回するのは気が引けるが……。やっぱりダメだ、それは。俺にも春葉にも未来はない」
「…………」
春葉は黙ってうつむく。その後、しばらく震えながら唇をかみしめていたが。顔を上げて俺を真正面から見つめて、言葉を流し出してきた。
「出会ったときに一目ぼれしてから、冬也君がずっと好きだった。夏月を裏切って告白して、五年越しにだけど冬也君と付き合い始めた」
春葉は、じっと俺に目を注ぎながら、言葉を継いでくる。
「そんな私たちの間に夏月が割って入ってきた。私と冬也君と夏月は三角関係になって、冬也君は次第に夏月に惹かれるようになっていった」
「…………」
徐々に熱を帯びてくる春葉。俺は、その春葉に押されて答えられない。
「私、頑張った。すごく、頑張った。でも、夏月は手強くて、家にも邪魔されてどうにもならなくなってどうしようもなくなって……。だから!」
そして、春葉が驚くべき告白をしてきた。
「拓真君を操って、冬也君の夏月への想いを断ち切り……。雨でずぶ濡れの自分をわざと演出して、冬也君の私への哀れみを誘って……」
あっけにとられている俺の前で、春葉がベッドから立ち上がった。
脱ぎ捨ててある服のところにまでいき、ここに来るときに着ていたジャージのポケットから――いつ忍ばせていたのかわからないが、折り畳みナイフを取り出したのだ。
俺は驚愕する。
その俺に向けて、春葉はナイフの刃を出しながらさらに語り出す。
「冬也君と一緒に二人でどこか遠くにいって。逃げた先の生活はどうしようかという思いはあったけど、でも冬也君が一緒に来てくれるなら、行けるところまで行ってみようと覚悟を決めてたんだけど……」
春葉が、ヒュンとナイフで空を切ってから、本当に哀しそうに笑った。
「でも冬也君はそんな私を抱いてくれない。戻れと、あきらめろと言う。たった一度だけの交わりさえ許してくれない。冬也君と重なり合えれば、この先はどうなろうと私は満たされるのに……」
そして、ぽつりと決定的な言葉を口にしてきたのだ。
「だったら……。本望じゃないけど……。冬也君を巻き込んじゃうけど……。この護身用のナイフで自殺して私の記憶を冬也君の中に残そうって、いま思い立った」
「駄目だそれは!」
俺は、驚いて叫び返した。
「どこだろうと死ぬのは駄目だ! 誰も幸せにならないし、俺もそんなことは望んでない!」
「なら!」
俺の言葉を受けた春葉は、感情が決壊したという口調で叫んだ。
「私を抱いて! 本懐を遂げさせて!」
「そんな交わりに何の意味があるっていうんだ!」
「私にとっては夢にまで見ていたことよ! 私を抱いている時には私だけを感じて! 私を抱いている時には私だけを想って! 私だけを愛して私でいっぱいになって私の中もいっぱいにして!」
「そうしたら春葉は死なないで家に戻ってくれるのか!」
「それは……結局たぶんムリ……」
感情を昂らせていた春葉が、哀しそうに笑った。
「私の未来は冬也君のいない未来。冬也君のことが好きなのに、冬也君と無理やり引き離されて他の誰かに嫁がされる未来なんて耐えられない。だから、それはムリ」
あきらめた顔をして、腕で震える自分の身体を抱きしめる春葉に、俺は言葉を投げかけてやれない。
春葉の置かれた状況は厳しく、春葉はそれに耐えられない。
俺の身一つで春葉を救えるのなら、救ってあげたいと切に願うが、方法が思い浮かばない。
春葉の想い出に、抱いてやることしか出来ないのか。
苦汁の中、俺はなんとか春葉を思いとどまらせようと言葉を絞り出す。
「春葉。一時の感情に流されちゃダメだ。ちゃんと地に足をつけて考えれば、きちんと満たされる未来だってちゃんとある。少なくとも俺はそう思う」
「そんなものありはしない」
その冷えた春葉の断定に、俺は震える。
「なら、冬也君には迷惑かけちゃうけど、ここで最期を迎えて、冬也君の記憶の中で生き続けるのがいいかなって、今思い立ったの」
春葉が言ったのち、ナイフの切っ先を自分の喉に突き付けた。
「結局、私と冬也君の関係は、浄瑠璃の様な死別エンドだったね」
「やめろ、春葉!」
「冬也君。好き……。好き、好き、好き、好き、好き、好き、大好き……」
春葉は、熱に浮かされた様に俺の名前を何度も繰り返す。
「冬也君。ごめんね。ごめんねごめんねごめんねごめんね。でも、こんな我が儘な私のこと嫌ってもいいから覚えていて」
「駄目だ止めろお願いだから!!」
叫んだ俺の制止を無視して、春葉の手に力がこもり……。
そのナイフが喉に突き刺さるっ、と俺が目をつむった瞬間、バンっと出入り口の扉の音がして――。
「待ちなさい!」
部屋の中に声が響き渡った。
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