閑話 休戦条約
冬也が港南市に戻ってくる一年前。入学したばかりの久遠夏月は、校舎裏に呼び出されていた。
男子生徒が一人、緊張した様子で夏月に話しかけたが、彼女が何か短く答えると、肩を落として去っていった。その後ろ姿を見送った夏月の元に、ふらりと幼馴染の山名春葉が現れる。
「また断ったんだ。相手は好青年で評判のバスケ部部長だって聞いてるけど?」
春葉はまだ見慣れない校舎裏を興味深げに見回しながら、言葉だけを夏月に向けた。
「自分に寄ってくる男には興味がないの。それに、恋愛を軽々しく扱うつもりもないわ」
夏月は冷ややかに答えると、春葉を横目で見る。
「そういう春葉だって、ラブレターを山ほどもらってるみたいだけど、どう処理してるのかしら?」
「ふふっ」
春葉は小さく笑ってから、少し意地悪な笑みを浮かべる。
「無視、かな?」
「それはそれは、随分と慈悲深いわね」
夏月は嫌味を込めて返しつつ、春葉が何気なく見上げている空を一瞥する。そして突然、真剣な声で話題を変えた。
「冬也が戻ってくるわ」
「知ってるよ、五年ぶりだね」
春葉の答えに、夏月が少し間を置いて続ける。
「『休戦条約』、覚えてる?」
「もちろん。冬也君への抜け駆けを禁止した休戦条約のことね。夏月が提案して、敵対するのをやめようって決めた。でも――」
春葉は一拍置き、意味深な笑みを浮かべた。
「冬也君が戻ってきたら、開戦だよね」
二人は互いをじっと見つめ合う。ひゅうと冷たい風が校舎裏を吹き抜けた。
「夏月、イケメンが寄ってくるんだから、五年前の気持ちなんて忘れちゃえば?」
春葉が肩をすくめて軽い口調で言う。
「自分のことを棚に上げて、よくそんなことが言えるわね。でもその言葉は、私のため? それとも自分のため?」
夏月の鋭い問いかけに、春葉はふっと笑みを浮かべただけで答えない。その様子を見て、今度は夏月が反撃に出た。
「春葉だってどうなの? 厳格な家の養子になって、今は彼氏を作れない立場。もし冬也に告白されたら、気持ちに反して断るしかないんでしょ?」
夏月の言葉に、春葉の表情がわずかに陰る。
「それは……」
困ったように視線をさまよわせる春葉に、夏月はさらに問い詰める。
「どうするの? もし本当に冬也に告白されたら」
「正直、どうしようって思ってるのが本音。でも……」
春葉は一瞬視線を伏せた後、顔を上げて苦笑いを浮かべた。
「とりあえず友達でい続けて、大人になってからなんとかする、かな」
そう言って自分を納得させるようにうなずく春葉。その姿を見つめながら、夏月は何も言わずに口を閉じた。
風が再び二人の間を吹き抜ける中、夏月は問いを深追いせず、ただ静かに春葉を見守っていた。そんな放課後のひとときだった。
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