第24話 交戦開始

 翌日の五時間目は休講だった。部室へ行くと、先に来ていた春葉がソファで本を読んでいた。春葉が部室に持ち込んだ、人形浄瑠璃の現代語シリーズ。夏月のアガサクリスティー全集をどかして、本棚に押し込んだものだった。


「春葉、昔は少女マンガ専門だったのに……」

「ん、冬也君?」


 本から顔を上げて俺を見た春葉に、続ける。


「いつの間にか文楽にはまってて。春葉のイメージと合わないっていったら怒られるかな?」


 昨日の夏月との会話内容が内容だったので、今日はずっと春葉と顔を合わせづらかった。ぎくしゃくしないように朝の挨拶もお昼のお弁当タイムも気を使って、今も軽くおちゃらけた感じで話しかけている。


「そうなんだよね。葵は古文で読むんだけど私にはハードル高すぎて。現代語版で読んでみると、女の子と男の子の気持ちがすごく切なくて、気付いたらはまってた」


 にこやかに微笑んでくれた春葉に罪悪感を感じざるを得ないが、どうしようもない。


「葵って、義妹さんの山名葵さん?」

「そう。葵はきっと私と冬也君が付き合ってるの、気付いてるって思うけど、家には内緒にしてくれてるんだって思ってる」


 ねぇと、春葉が隣に座るように促してきて、俺は平然を装ってすとんと腰を下ろす。


「いま、誰もいないね」


 春葉が上気した顔を近づけてきた。


「だからチャンスというか、きっとそういう場面なんだって思う」


 春葉の誘いのままに、キスをした。ちゅっちゅと、リップを吸って離して吸って離して。最初は初々しくたどたどしかった春葉も、もう口づけの手練れだ。傍から見れば、俺たちは何の問題もないイチャラブカップルにしか見えないだろう。


 そこに……問題の一端である夏月が扉を開けて入ってきた。


「…………」


 夏月は、キス中の俺たちを無言で見て、軽蔑と不満が入り混じったような顔。春葉はそんな夏月を気にする様子もなく、俺の首に腕を絡めて唇を押し付けてくる。ひとしきりキスに乗じたのち、春葉はふぅと息を吐いて俺から離れた。


「冬也君、好き」


 春葉が満足だという笑みとともに気持ちを伝えてきた。


「本当に好き。大好き。冬也君は?」


 春葉がねだるような声で俺に尋ねてくる。


「いや……。好き、だ。俺も春葉が好きだ」


 ちらと夏月を見やると、目をつむって気にしてないという態度を示しているのだが、仏頂面でとんとんと床を叩いている足が、いらつきを隠しきれてはいない。


「私と他の子って、どのくらい差がある?」


 唐突に春葉が聞いてきた。


「他の子……って?」

「例えばの話。もし冬也君が他に気になってる子がいたとして、その子は十ポイントだとして、私はどのくらい? 八十ポイント? 九十?」

「ええと……」


 何と答えればよいのか迷った。他に気になっている子と言えば、罪悪感で口にしたくないんだが、夏月のことだろう。


 春葉と夏月を好きな度合いって、考えたことがなかった。いや、いずれ結論は出さなくちゃならないことはわかっていて、考えるのを避けていた。


「私は他の子とは比較にならないくらい冬也君のこと、好きだよ。他に冬也君に言い寄ってる子がいたとしても、それは嘘。お遊びのおままごと」


 春葉が流し目を夏月に送る。俺もつられて見やると、ギリギリと歯を噛みしめている夏月がいて。そして夏月は堪忍袋の緒が切れたという様子でつかつか歩み寄ってきて、俺の唇を奪った。


 春葉が直近で見ている前で、濃厚なディープキスを俺にかましてから、言い放った。


「他の子って私の事だと思うけど、私と冬也はもうこんなに深い関係なの」


 対して春葉は、その夏月の口づけと宣言に動揺は受けていない。ふふっと軽い笑いで、夏月を嘲笑する。


「拓真先輩がいるのに浮気。すごいビッチ。でも知ってた」

「現状、私が正妻で、あなたが遊び相手だと自覚しなさい」

「私と冬也君が上手くいってなかった時に割り込んできた泥棒ネコ。でも結局、冬也君は私のことが一番好きで、私も冬也君のことが一番好き」


 春葉と夏月の応酬がヒートアップしていく。止めようとは思っているが、互いの感情をぶつけあう二人の間に割り込む隙がない。


「あなたは私と冬也の関係を知った上で部活に乗り込んできた。そうね?」

「うん。夏月の言う通り」

「確かにそれは私にとっては不意打ちだったけど。でも、私と冬也がもう既にカラダの関係なのは知ってるの?」


 春葉の表情が固まった。そして夏月を見ている目が険しくなる。はっきりとした不快と否定の目つきだ。


「うそ。冬也君はまだ夏月に汚されてない。だって、女の子の私と一緒にいても照れがあるもの。そういうの、わかる」

「さて。どうかしら?」


 挑発の目線を送ってくる夏月に、春葉は飛びかかっていきそうな顔つきで睨みつけている。


「二人とも頼むからケンカは……」


 俺がなんとか声を挟むと、二人は黙っていろと言わんばかりに同時にじろりと俺をにらみつけ、その威圧に俺は負ける。


「まあ、カラダの関係だというのは嘘なんだけど……」

「わかってたけど、そこまで言われた以上、もう許さない」

「でも四六時中、私と冬也を見張ることは出来ないでしょ。例えば夜のホテルとかはどうするの。家の門限があるからあなたには出来ないけど、私には可能」

「門限はあるけど、校舎裏でも体育館倉庫でもどこでも出来るから。なんなら女子トイレでも」

「そういうムードのないのが春葉の初体験のお好みなのかしら?」

「夏月に先を越されるよりマシ」


 ふふふ、ふふふと、二人険悪な笑みでお互いに笑い合う。


「『条約』に第二項を付け加えましょう」


 夏月が突然、よくわからないセリフを口に出した。


「冬也とは、最後まではしない。身体接触を含むアプローチも、部室内でだけ」

「いいわ、それで。『休戦条約第二項』。お互いにどちらが冬也君の気持ちを掴めるか、正々堂々勝負」

「上等。自分の心に嘘偽りなく、決着をつけましょう」

「私たち、昔からこうなる運命だったんだね。幼馴染で仲良かったんだけど」

「そうね。こんな状況だけど、春葉は私を嫌ってなくて私も春葉を嫌ってないのは知っての通り。ただ……二人が心から希求する者が同一人物だというだけ」


 互いに互いを正面から見つめ合い、やがて二人は各々部室を後にした。


 残された俺にはわからない。俺が決めなくちゃならないことなんだが、二人の関係、二人だけが知っている出来事には理解が及ばない。


 理性と欲望が交錯する混乱の中、とりあえず時間が欲しいと、ただそれだけを望むのが今の俺の精一杯だった。

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