第23話 露見

 昼休みに春葉と一緒にお昼を取った後、放課後には教室で一度別れて、それぞれ部室に向かう――これが俺たちの日課だ。


 部室の扉を開けると、春葉が先に来ていた。今日は春葉が一番乗りらしい。


「コーヒー淹れるね」


 春葉が微笑みながら、部室に持ち込んだ自分専用のマグカップを手に取る。ドリップパックでコーヒーを淹れ、湯気が立つそれを俺の手元にそっと差し出してくれた。


「ありがとう」


 俺たちは隣り合ってソファに腰を下ろし、それぞれのカップに口をつける。香り高いコーヒーの味を楽しみながら、一息つくひととき。


 すると、春葉がカップを前のテーブルに置き、そっと身を寄せてきた。


「ちゃんと仲直りできたね」


 小さな声で呟く春葉の目は、どこか優しさに満ちている。


「離れてる間はずっと辛かったけど、私、信じてたよ」

「ああ。本当に……よかった。春葉の言う通りだ」


 俺もカップを置き、改めて春葉の顔を見る。その表情は柔らかく、穏やかだった。


「いま、二人きりだね」


 春葉の声が少しだけ甘く響く。


「誰も見てないし、誰にもバレない。校舎裏のような秘密の密室……」


 春葉が言葉を続けるたびに、俺の胸が妙に高鳴る。目を向けると、彼女の瞳に期待の光が宿っているのがわかった。


「だから、ね」


 その一言に込められた想いのすべてが、俺の心にじんわりと響いてきた。


 そして、春葉が顔を近づけてきた。目をつむり、ほのかに色づいている唇を俺に差し出す。


「頬には何度もキスし合ったけど、口は初めてだね」


 恥じらっている音程の春葉に、俺はそっと口づけた。


 春葉と初めて重ねた唇。


 最初はぎこちなかった春葉だったが、慣れてきて二人で互いの口を吸う。


 舌同士が接触して、震えながら情欲に流されてゆく。


 と、バタンと音がして、俺と春葉は冷水を浴びせられる。


 キスをやめて音の方に首を回すと、部屋に入ってきた夏月がじろりと俺たちを一瞥したのち、セリフを放ってきた。


「ここはラブホテルじゃないのよ。自制が効かないならサルと同じ」


 トゲのある音程で、その目は冷え切っている。悪意を向けられた春葉も黙っていなかった。


「確かにここは夏月の牙城。押しかけたのは私だけどでも、夏月も彼氏である部長とここでしてるでしょ、ホントのところ。それなのに私たちにだけそう言うの、棚に上げてって思うんだけど」


 バチバチと春葉と夏月の間に火花が散る。どうしてこういう関係になったのか……。春葉が部活に入ると言い出したのがきっかけなんだろうが、理由は今になってもわからない。


 と、春葉がすっと立ち上がった。


「私、このあと図書室で本借りなくちゃだから……」


 一拍置いて、春葉は夏月に挑戦的な視線を送る。


「負けて逃げ出すとかじゃないから」


 言い残して、春葉はじゃあ冬也君また今度続きね、と上機嫌で出ていった。


 そして部室には、俺と氷の様な顔付きの夏月が残される。



 ◇◇◇◇◇◇



 春葉が出ていってすぐに、夏月がつかつかと俺に寄ってきて、いきなり唇を奪われた。一分ほど、獣の様なキスに口内を蹂躙されて、脳内が真っ白になる。そして夏月は俺から口を離したあと、言葉を吐いた。


「滅茶苦茶ムカついた」

「いきなり……なにを……」

「冬也が春葉と付き合ってるのは承知の上。だけど直接的なのは我慢ができなかった」

「春菜の……捨て台詞……が、そんなにか?」


 なんとかキスの……濁流の様な余韻から自我を取り戻して、俺は言葉を絞り出す。


「違う。私に見せつける様にキスした事。だから私の味で上書きした」


 舌でペロリと自分の唇をなめ、俺の味を確かめている様子。


「甘く見過ぎてた。見せつけられるのが、こんなにイラつくとは思ってなかった」

「なんでそんなに怒ってるんだ。彼氏の部長に手を出されたのなら、そういう反応もわかるんだが、相手は遊びの俺だろ?」


 聞いてみると、夏月はじっと俺を真剣なまなこで見つめてきた。


「本当にこの段階になってもただの浮気の遊び相手だって思ってるの?」

「それは……」


 視線で俺を射抜いてくる夏月に押されながら、なんとか答える。


「確かに先輩がいながらやり過ぎだって……思ってる。最初は夏月がそういう子なんだって自分に言い聞かせていたんだが……。ムリがあるって今は思ってる」

「ならそういうこと。私が前に冬也に本気だって言ったのは本当の事だって話」

「俺に心変わりしたってことか?」

「そこはまだ内緒。でもそういう冬也はどうなの。だたの遊びだったと捨てるなら、今すぐにそうして。二度とあなたに話しかけないしちょっかいは出さないから」


 夏月が俺に選択を迫ってきた。


「部活も止めてこの学園からも出てゆくから、安心して春葉と仲良くして頂戴」


 そのセリフに衝撃を受けた。まさかただの遊びの浮気だと言っていた夏月がそんな覚悟でいたなんて、と心が凍り付く。


 夏月を見た。その端正でクールな面立ちと、その後ろで揺れている長く真っ直ぐな黒髪を。


 最初は、約束と言えど、浮気相手になる事は承諾できなかった。それがワトソン君としてのお手伝いに変わり、春葉とすれ違いになってリハビリの為に夏月と付き合った。


 春葉だけが本気で好きなら、夏月の為にも俺の為にもここでお開きにすべきだという理解はある。


 でも……。夏月とこれでお別れになるのは残念を通りこして無念だという想いが確実に自分の中にあった。


 夏月と会話をしてやり取りをして浮気相手として付き合っているうちに、夏月に惹かれるようになり、春葉という本命の彼女がいながら夏月と別れるのを辛く感じてしまう様になってしまったのだ。今わかった。


「どうすれば……」


 途方にくれて、夏月の前で弱音を吐く。そんな俺に対して、夏月はきっぱりとはっきりと指示してきた。


「続ければいいの、私との関係を」

「続ける?」

「そう。春葉のことは好き。でも私とは別れたくない。ならばこのままの関係を続けながら、自分の本当の心を探ることを続けるの。どのみち、最後には結論を出さなくちゃならないのには変わりないけど、先延ばしするのはアリだって思うから」

「それで……いいのか……?」


 俺はすがる様に、目の前の夏月の顔を見つめる。


「いいのよ。自分を追い詰めないで」


 夏月が近づいて、優しく俺の頭を抱きしめてくれた。


「俺は、ダメな男だ……」


 夏月の胸に顔を埋めると、夏月が震える俺の身体を抱いてくれた。


「確かに冬也は優柔不断でダメな男。でもそんな冬也に私は惹かれたのだから、その私との絆を大切にして。そして……」


 夏月が胸に抱いていた俺の目をのぞき込んできた。


「私も悪い女だから、同類」


 俺は夏月と見つめ合って、再び唇を重ねる。


 夏月と、二度三度とキスを続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る