第20話 浮気の日々 その3

 ある日の、放課後。部室でのひととき。ソファに座っている俺に、珍しく夏月がキッチン前から声をかけてきた。俺は素直に言葉を返し、そこから会話が弾み始める。


「コーヒー、飲む?」

「ありがとう、夏月」

「冬也も、ワトソン君として板についてきたし、もう恋愛研究会部員としては一人前よね。というか、完全に私の部下」

「そう……か……? まあ、夏月の役に立てているなら、それでいい」


 夏月が持ってきたマグカップを受け取り、二人でコーヒーを飲み始める。インスタントながら、薫り高い芳香が、のどを流れていく。と、俺の前に立っていた夏月が、ずずずいっと顔を近づけてきた。


「冬也、たくさん手伝って役に立ってくれたから、ご褒美」

「え? ちょ、ちょっとまってくれ。エロいことは……」


 俺はのけぞったが、もうすでに夏月の顔は触れそうな距離にある。


「もう何度もベロチューした間柄じゃない。なに今更恥ずかしがってるの?」

「それはそうなんだが……。改まってご褒美とか言われると、恥ずかしいというかたじろぐというか……」


 俺のまなこを近距離からのぞきこんでいた夏月の瞳に、いたずらっぽい光が宿る。夏月は自分のピンクの唇を舌で妖しく濡らしながら、言葉を続けてきた。


「ベロチューよりももっとすごいこと、期待してる?」

「え?」

「私たちももう、高校生。大人の階段を上がって、経験してもいい年頃」

「おま……。それはダメだろ、いくらなんでも!」

「したい? したいっていえば、させてあげる」


 夏月の頬が、薄っすらと染まっているように見えた。口から、上気した湯気を出しているが、それが興奮でなのか、コーヒーの熱なのかは、俺にはわからない。その夏月が命令してくる。


「したい……って、言ってみなさい」

「それ……は……」

「したい。はい、復唱」

「し……。ダメだダメだダメだ。俺は本気で夏月と浮気したいんじゃなくて、これはストレスを解消する治療で……」


 と、夏月がぷぷっと、可笑しいという声で噴き出した。


「慌てないでいいわ。冗談。冬也、可愛いから、からかってみただけ」

「な……。なんだ……。そうか……」

「そんなに落胆しないで。かわりに、明日、一緒に出かけてあげるから」

「え……」


 会話の流れは、想像していない方向へと進む。


「それって、もしかしてデー……」

「もしかしなくても、デートよ。どう? 気分転換に駅前をぶらぶらと」

「…………」


 あらたまって誘われて、俺はどうしようかと、悩んでしまった。夏月に乗せられて、夏月のペースでここまで来たが、このまま進んで行っていいものか。その俺の迷いを見越したように、夏月が続けてきた。


「そんなに深く考えないで。気分転換のストレス解消。精神の安定は必要でしょ」

「それはまあそうなんだが……」

「冬也。悩んでいたころと比べて、ずいぶん気が楽になったように見えるわ。どう? 自分で自分の心を見つめてみて。苦しさは減ったんじゃない?」


 夏月の言う通りだった。重く苦しい気分も和らぎ、夜もずいぶんとぐっすり眠れている。その俺の顔を見て、夏月が言い放ってきた。


「決まりね。明日の休みに港南ショッピングモールでデート。別に、かしこまって着飾ってくる必要とかなくて、普段着でいいから」


 こうして、夏月に押し切られるように、明日のデートが決まってしまったのだった。

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