第17話 浮気への誘い その4

 そしてさらに同じような日々が一週間続いた後。俺と夏月は、キューピッド活動のない余暇を放課後の部室で過ごしていた。





「…………」


 ソファに寝ながら本を読んでいたはずの夏月が、気付くと椅子上の俺をじっと見ていた。


「なんだ? 言いたいことがあるなら……」


 と、夏月は身体を起こして、俺に近づいて、いきなり膝上に乗ってきた。思い返すと、最初に接近されたときは戸惑って、夏月を拒否したんだが、今となってはこの距離感にも慣れてしまった感がある。


「春葉と別れた?」

「別れてない」


 俺は即答した。


「でも、もうずっと喧嘩したみたいに口も利かないじゃない、クラスでは」

「ちょっと訳があってな」

「ふーん」


 さらに、夏月が首に手を回してきた。


「でも正直、ほっとしてるでしょ」

「…………」


 今度は俺が黙り込んだ。


「春葉と離れてみて、思ったよりも気が楽になったというか、春葉を重荷に感じていたのを自覚してるんだけど、それを認めたくはない」

「…………」


 俺は、黙って夏月の言葉を聞いていた。


「そして同時にぽっかりと心に穴が開いたようで、その穴は春葉を求めてない」

「お前……」


 ぐぅと俺はうめいてから、正直に口にした。


「なんでもお見通しって感じで……怖い女だな」

「ええ。私、恋愛研究会創設者だから恋には詳しいの」


 夏月が俺の心をのぞくように、真正面から見つめてくる。


「いっそ、楽になっちゃうってのはどう?」

「楽に……っていうと?」


 誘われるがままに、俺は聞き返す。


「冬也が望むのなら、前の浮気の続きをしたら気が晴れるって思うのは私の勘違いかしら」

「浮気の続き……」


 想定してなかった誘いだったが、頭に浮かべてしまった。


「その溜まった疲れを発散するのに私を利用してみてというお誘い。私も本命の拓真がいるから、冬也とするのはなんでもないただの遊び。そして、リフレッシュしてから春葉を大切にすればいいの」

「夏月を利用して……春葉を大切にする……」


 ごくりと、口内に溜まった唾液を飲み干した。


「私と、遊びで浮気するのは……どうかしら、というお誘い。強要はしないわ」

「ダメだダメだダメだ!」


 俺は顔を振って声を荒げた。


「春葉がいるのにそんなことできるわけがない!」


 必死で声を振り絞らないと、流されてしまうんじゃないかという恐怖を覚える。表沙汰にしてはいけない春葉との隠れての密会に、思っていた以上に疲れていたのだと自覚せざるを得ない。


「冬也、『できるわけがない』と今いったでしょ。『しない』じゃなくて」


 夏月の瞳が俺の心をのぞき込んできて、気を許すとその誘う面持ちに吸い込まれそうになる。


「私は冬也なら『できる』って思うけど」

「ダメだったらダメだ!」


 思考と感情が交錯する。頭では論外だとわかっているんだが、心は夏月という逃避場所を求めている。その狭間で俺は乱れよがる。


「そんなイラついた冬也だったら、春葉の為にもならないって私は思うけど」

「春葉の為……」


 そのセリフが、俺の心に突き刺さった。


「人は誰しも悩みや問題を抱えているわ。それを春葉に見せたら春葉も心配する。だから私を利用して解決してくれればいいの。私を踏み台にして春葉とはスッキリした心でまた付き合い始めればいいの」

「そんなこと、夏月に悪いって……」

「私が望むことよ。私は冬也のただの浮気相手になりたいし、冬也は春葉の為にその心のつかえを私で解決してくれればいいの」

「それ……は……」

「誰にも明かさない、ナイショの治療」


 夏月が俺の唇に自分の唇を近づけてくる。夏月の甘い吐息が鼻から入って脳内の理性を溶かしてゆく。


「夏月。俺は……」

「これは春葉の為の冬也の治療。強要じゃないから冬也からして」


 迷いはあったが、俺は誘われるように夏月の顔に口を近づけてゆく。


 そして、夏月の唇に自分から……触れてしまった。


 夏月が、その俺の口に自分のピンク色のリップを押し付けてくる。


 春葉が……。春葉と……。これは春葉の為に……。夏月を利用して……。


 途切れ途切れの単語が脳内に火花の様に飛び散る中、夏月の唇の感触に意識がぼやけてゆく。


「俺は……疲れていたのか……」


 そんなつぶやきを胸中に残して、夏月とのキスは続くのだった。

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