第16話 浮気への誘い その3

 数日後の昼休み。二人で座ってお弁当を食べてるときに、春葉の声が耳に届いて、俺は我に返った。


「え?」

「えって……」

「いや、俺、どうかしてた?」


 春葉に尋ねると、心配そうな声が返ってきた。


「箸が止まってた。今日の和風ハンバーグ、美味しくなかったかな?」

「そんなことない。めっちゃ、うまいって」


 俺は慌てて、弁当箱にかぶりつく。が、春葉は黙ってじっと俺を見た後、残念だという様子でため息をついた。


「実際に私が悪くて、私に責任があるから、ごめんなんだけど……」

「いや、春葉は悪くないと思うが……」

「私もそうだし、冬也君もなんだけど。最近、どうにもごまかしができなくなってるよね」

「俺も、か?」

「うん。朝の挨拶もぎこちないし、お昼も上の空のことが多いって思ってて」

「それは……」


 きっぱりと否定したかったのだが、春葉の言っていることは事実なので抗い難かった。


「でね。考えたんだけど……」

「うん。いい案があるなら言ってくれ」

「ちょっと、ね。ちょっとだけ、間を取ろうかって思ってる」

「間……?」


 俺がわからずに聞き返すと、春葉が言い聞かせるように言ってきた。


「うん。私たち、ちょっと休憩期間置いた方がいいって思う」

「それって……」


 俺は、春葉の提案に驚きながらも、確認の為に聞き直す。


「そう。ちょっとだけ恋人関係を休むってこと。このお弁当タイムもなしにして、いつもの本の貸し借りも休憩。私たち、今、上手くいってないって思うから」

「俺たち、上手くいってないのか?」

「上手くは……いってないよね」


 言い切ってきた春葉を、俺は否定できなかった。


「でもそんなことをしたらそれこそそのままお開きになって……。俺はそれは……」

「でも私も冬也君も、今、こんな風だから」


 春葉の表情がこわばっている。俺は聞いてみた。


「怒ってるのか?」

「怒ってはいないけど、でも正直に言うとちょっと残念というか、落ち込んでる」

「そうか……」

「うん。今、私たち、上手くいってないから」


 その春葉の言葉に、俺も同意せざるを得なかった。


「でもお付き合い休憩って言っても勘違いしないでね。お付き合いをやめるわけじゃぜんぜんないから。倦怠期みたいな感じだから、気分を変えようって話」

「わか……った」


 その会話を終えて、春葉がお弁当を片付ける。俺たちの間に微妙な空気が流れ、いつものごちそうさまのキスをしないで、それ以上会話をすることもなく別々に教室に戻るのだった。



 ◇◇◇◇◇◇



 そんなわけで、春葉とのお付き合いの休憩期間が始まった。朝の挨拶はなし。そしていつもの朝の本の貸し借りもなし。つまりは昼のお弁当タイムもなし。普通の、ただのクラスメイトとしてだけの関係。


 朝、教室に入ってから春葉に挨拶することなく、自分の席に座る。


 午前中の授業が終わって昼休みになり、独りで学食へとおもむく。


 放課後、部室に行って「ワトソン君」になって、夏月とのやり取りでひと心地着く。


 帰りは、夏月と一緒だったり一緒じゃかなったり。



 ◇◇◇◇◇◇



「ワトソン君も板についてきたわね」


 学園からの下校路。今日は夏月と、丘上の校舎からのスロープをゆっくりと下っていた。


 夏月と一緒に帰るのか帰らないのかは、正直夏月の都合次第。今日は用事があると言われたり、一緒に帰りましょうと誘われたりなのだが、実は夏月の気分なのではないのかと疑っているところ。


「慣れたようね。どう? 他人の恋を成就させる手伝いというのは?」


 俺の隣を歩いている夏月に問いかけられて、俺は自分の中の感想をまとめようとする。


「そうだな。人様の役に立っているのは嬉しいっちゃー嬉しいんだが、夏月の足を引っ張ってるんじゃないかって思いはあってだな」

「確かに私一人の方が上手くいくって思ったこともあるわ。でも、私は冬也に助けられていると感じている。誇っていいのよ」

「俺、誇るの?」

「そう。冬也は私を支えてくれているから。精神的には確実に」


 そう言ってくれた夏月を見ると、感謝の笑みを返してくれた。


「私は、二人でのキューピッド活動で冬也と心を重ねていると実感できているから」

「え? 心を重ねてるのか、俺たち?」

「その通り。私がキューピッド活動を始めた目標でもあるわ」

「……?」


 夏月のセリフの意味はわからなかった。でも、夏月が俺の手伝いを嬉しく思っている事は確実に伝わってきた。だから、俺も夏月に本心を吐露する。


「まあ、ぶっちゃけ、放課後の夏月との活動で生き返るって感じているのは事実だ」

「それは想定通りで予定通り。だから私は次のステップに進めるわ」

「次のステップ?」


 嘘を言っているとは思わないが、夏月の言う事はわからないことだらけだ。


「そう。第二段階としての『既成事実』の成就」

「実際に、いま一緒に活動してるだろ?」

「『既成事実』の成就よ。『第一段階』として、私を冬也の心に染み込ませたのちの、さらにその上の一押し。楽しみにしておいて」


 そんなセリフに戸惑いながらなんだが、既に楽しいと感じられる夏月との下校路だった。

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