第10話 さて、ワトソン君 その2
夏月が向かった先は体育館脇。そこにはサッカーユニフォームを着た男子が立っていた。短髪で整った顔立ちの、いかにも人柄の良さそうな青年だ。
「山下君……」
渡瀬さんが小さく息を飲む。その声には緊張がにじんでいたが、夏月はそんな様子に一切お構いなしといった風で、山下君に話しかけた。
「待たせたわね。この子よ」
夏月が軽く目線で渡瀬さんを指し示す。
「えっ……。この子が、俺のことを……?」
山下君の驚いた声に、渡瀬さんはもちろん、俺も思わずぎくりと動揺してしまった。
正直、俺にとって渡瀬さんの恋愛は他人事のはずだった。応援するのも気軽にできる立場だと思っていた。けれど、こうして目の前で展開が進むのを見ていると、他人事とは思えないほど緊張してしまう。
渡瀬さんが今この瞬間、どれだけの覚悟で立っているのか。それが痛いほど伝わってくる。そして、それ以上に目を引くのは夏月だった。彼女はどんな状況でも冷静で、自信をもって最善の選択をしている。
夏月は、俺にはないものを持っていた。迷いや躊躇が一切なく、やるべきことを的確に進めていく姿は、堂々としていてどこか頼もしい。
俺を浮気に誘っている悪女の夏月。だが、「学園のキューピッド」と呼ばれるだけの姿が、そこにはあったのだ。
そんな夏月が、渡瀬さんに振り返る。そして鋭いがどこか温かみを感じる言葉を投げかけた。
「渡瀬さん。さあ、告白を」
その一言は、優しさや同情ではなく、渡瀬さんを前へと導く力強い背中押しだった。
渡瀬さんは一瞬ビクリと肩を震わせたが、唇をぎゅっと結び、震える足で一歩前に出た。そして、声を振り絞るようにして、山下君に向き合う。
「山下君! 私、ずっと山下君のことが好きでした! ……お友達からでいいので、お付き合いしてくれませんか……?」
その声は少し震えていて、最後は弱々しく消えかかってしまったが、その告白には真剣な思いが詰まっていた。
すると、山下君が驚いたように目を見開き、次の瞬間、満面の笑みを浮かべた。その笑顔には、抑えきれない喜びがあふれていた。
「渡瀬さん、ありがとう。本当にありがとう。実は……俺も渡瀬さんのこと、ずっと好きだったんだ」
「えっ……?」
渡瀬さんが目を丸くする中、山下君は続ける。
「掃除とか日直を手伝ったのも、渡瀬さんともっと話したかったからだよ。俺でよければ……いや、友達なんていわずに、俺の彼女になってくれないか?」
山下君が手を差し出す。その瞬間、渡瀬さんの瞳に大粒の涙が浮かんでいた。
「……山下君……ありがとう……」
感極まった渡瀬さんが泣きながらその手を取ると、次の瞬間、山下君に飛び込むように抱きついた。
「渡瀬さん……」
渡瀬さんが胸に顔を埋めて泣きじゃくるのを、山下君はそっと優しく抱きしめる。
「これで一件落着ね」
夏月が満足そうに言った。その声はいつもの冷静さの中に、少しだけ温かみを含んでいるように聞こえた。
俺たちは、幸せそうに寄り添う二人を見届けたのち、そっとその場を後にしたのだった。
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