第5話 恋愛研究会

「ここか……」


 授業が終わった放課後、俺は「用事があるから」とだけ春葉に伝えて、部室棟の二階にまでやってきた。


 目の前の扉には「恋愛研究会」と書かれたプレートがかかっている。


 コンコンとノックすると、中から「どうぞ」と聞き覚えのある声が返ってきた。


 横滑りの戸を開いて部屋に入ると、ソファに仰向けで寝ている夏月が目に入った。


「待ってたわ」


 夏月は寝転んだままそう言った。それはいいんだが……驚いたのは、彼女の頭が隣に座っている男子生徒の膝上に乗っていたことだ。


 つまり、夏月はちょうど、そのアメフト部員とかラグビー部員みたいに体格がいい生徒に膝枕されているような格好だったのだ。


 その夏月がむくりと身を起こして、男子生徒の横に座り直す。


「待ってたわ。この人は新入部員の高持冬也君。私のクラスメイトで幼馴染」

「え? 俺、新入部員なのか?」


 俺が戸惑うと、夏月を膝枕していた体格のいい青ネクタイの三年生は、まるで気にした様子もなく、にっこり笑ってこう言ったのだ。


「そうか。歓迎するぞ、冬也君。俺は恋愛研究会の部長、黒田拓真くろだたくまだ。見た目でよく体育会系に間違えられるんだが、文化部オンリーでやってきた」


 夏月が、その黒田部長の説明を聞きながら、身体を傾げて肩をあずける。


「そしてこの夏月、久遠夏月が、この恋愛研究会の副部長だ」


 黒田部長が夏月の肩を軽く抱き寄せ、はらりと夏月の黒髪が綺麗に揺れる。その後、二人は目を合わせてニッコリ。次の瞬間、夏月が不意に口を開いた。


「私と拓真は付き合ってるの。つまり、恋人同士」


 え? ちょっと待て。見ていて、まさかとは思っていたが……。


「夏月、彼氏いたのかよ?」

「そうだけど、それがどうかしたの?」

「いや、それは……さすがに驚くというか……」

「さすがに、何?」


 夏月は落ち着き払っていて、俺がどれだけ動揺しても気にしていない様子だ。


 すると、隣に座っていた黒田部長が立ち上がり、俺の肩をポンポンと叩いた。


「俺は用事があるから失礼するけど、困ったことがあったら夏月に聞くといい。学園のキューピッドって呼ばれてるくらいだからな」


 そう言って、部長は大笑いしながら部室を出ていった。そして部屋に残ったのは――俺と夏月だけになったのだった。



 ◇◇◇◇◇◇



 部室を出た黒田部長は、廊下に立った途端、ふぅっと深いため息をついた。


 冬也の前では明るく振る舞ってみせたが、内心は愉快でもなんでもない。結局、自分の利益のために言われた通りに動いているだけ――。そのことが、どうにも胸に引っかかる。


 夏月の仮初の彼氏役。冬也をだましているわけだが、黒田部長にもかなえたい想いがある。


「申し訳ない、冬也君」


 つぶやいたその声は、誰にも届くことなく、廊下の空気に溶けていった。



 ◇◇◇◇◇◇



「ここ、座りなさい」


 呆然としている俺に、夏月がソファをポンと叩く。隣に座れということらしい。その目の圧力に負け、俺は渋々腰を下ろした。


 すると夏月が、今度は俺にもたれかかってきた。


「私ね、彼氏いるの」

「……は?」

「初耳でしょ。でもね、それでも私とカレカノになってほしいの」


 俺は驚きすぎて声も出ない。


「いやいやいや、ちょっと待て!  彼氏いるのに俺と付き合うって、どういう意味だよ?  冗談だろ?」

「本気よ。本気のお願いっていうか命令。私とカレカノになって、浮気してほしいの」

「お前、部長いるじゃん!  それでいいだろ!」

「だから私も浮気するの。あなたも浮気する。ダブル浮気ってやつ」


 そう言った次の瞬間――夏月が俺の頬にキスをした。


 え?  なんだこれ。頭が真っ白だ。


 さらに、夏月は俺の首に腕を回してきた。


「私ね、悪女だから興味があるの。拓真は誠実でいい彼氏。でも私はこういう刺激が欲しいの」


 再び夏月が頬にキスをする。そのたびに俺の心臓がバクバクする。


「それにね、冬也。私、ちゃんと約束守ってるわよ。あなたと春葉が付き合えるように手を貸したわ。だから、あなたも私のお願い聞いてくれるわよね?」


 夏月が顔を近づけ、妖艶に微笑む。その瞳には確固たる決意が宿っていた。


「いやいや、無理だ!  確かに俺はお前のお願いを一つ聞くって約束したけど、これは違うだろ!  そもそも春葉に悪いし、お前も部長に申し訳ないだろ!」


 必死に拒否する俺を、夏月はじっと見つめる。そして、悪びれる様子もなく言い放ってきたのだ。


「春葉は『お試し』って言ってたわよね。それって、冬也への本気度が足りない証拠じゃない?」

「それは、まあ……」


 確かにそうかもしれないが、それでも浮気をしていい理由にはならない。


「だとしても、承諾しかねる!」

「約束はどうするの?  破るの?」

「ぐっ……!」


 俺が言葉に詰まると、夏月はにんまりと笑い、さらに近づいてきた。


「それにもう一つね」


 妖しい笑みを浮かべた夏月が、俺の頬をペロリと舐める。


「私、悪女なの」


 頬を撫でる舌の感触に、思考が完全に停止する。


 しばらく硬直して固まっていた後、いやいやいや、これ、ライトノベルのヒロインとかじゃあるまいし!  と内心で叫ぶが、冷静さを取り戻せない俺がいる。


 夏月を受け入れるつもりは全くない。でも、春葉との仲を取り持ってもらったという約束が重くのしかかる。


 これからどうすればいいんだ――そんな不安を吹き飛ばすような、夏月の強引さだった。

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