第5話:少年とある人のお話

 医者を呼ばなくちゃ!

 駆け出そうとする僕を師匠は止めた。

「もう間に合わねえよ……。ざまあねえなあ、衰えたもんだ。……なあ聞いてくれ」

 そんなこと言ってる場合じゃ……。

「まあ、いいから。もう大して話せねえ。最後の修行と思って聞いてくれ」

 僕はその言葉に、何かを飲み込んだ。これが何かの終わりだと、心が気づいていた。

「橙の力は、人に明るさを与える色だ。活力を与える色だ。この国に虹が無くなってもなんとかやってこれたのは、橙の石が残ってたからさ。これが無くなった以上、この国は遠からず滅びる。お前は逃げろ。こんな国にいちゃいけない。それで、石を探せ。そして、この国を、虹を……、いやいい……。あたしの妄念を引き継いじゃいけねえや」

 そういった、あの人の目にはもう力が失われつつあった。

 おかしいと思ってたんだ、こんな時間からあの人が寝ているなんて。いつもは僕が寝るまで起きているのに。

 あわてて、布団を剥がす。

 血にまみれていた。包帯でぐるぐるまきの下から、隠しきれない血の量が。

 これじゃ、もう……。

「お前は、好きに生きろ。生きるすべは教えたろ。戦う技も、術も、道具も与えた。あとは他の国で好きに生きろ。お前はもう立派に一人で生きられる」

 そんなこと言っても、僕にとってあの人は、ずっと一緒にいた唯一の人で、生きる師匠で、そして大事な家族で……。捨てられていた僕を拾って育ててくれた。誰より大事な。

「お前とは、思えば不思議な縁だったな。虹の麓に落ちてるのをたまたま拾ってよ。お前のその目を見て、なんか、運命的なもんを、感じてさ……。ああ、きれいだって思ったんだ。もう出ないと思ってた涙が出たよ。こいつはきっと、虹の使いで、こいつなら……、このひどい世界を変えて……くれるんじゃないかって……」

 あの人が僕の目をじっと見てつぶやく。話しかけていると言うよりは独り言のようで。

 息が絶え絶えだ。もう……。

「そんなことしちゃいけないと思いながらもお前を育てた、この国を救う戦士として……。でも、楽しかったなあ。お前が、こんなあたしを慕ってくれたことが、うれしくてさ。ああ、かわいくてなあ……」

 待って、僕を置いていかないで。そんな想いが頭を満たしていた。

 大丈夫、僕がなんとかするから、全部なんとかするから!

「おお、でかいこと、言うようになったなあ……。もう一人でも大丈夫だな……」

 馬鹿なこと言わないで、まだあなたがいないと、僕は。

「ああ、あたしの不始末で世界が、こんなになっちまうなんてなあ……あんとき、あいつらつぶしとけばなあ。お前にもこの国にもこんな思いさせなくてよかったのになあ……」

 そんなことないよ、僕は幸せだったよ!

「あとは自由に生きろ。あたしがいなくなったら、虹の麓に行ってみろ。きっとお前ならなにか……」

 そういって、師匠は目を閉じる。待って、急すぎる。まだ、待ってよ!

「お前といられて、ほんと、楽しかった……、長い失敗の人生が、少しだけ、いいものに、なった、ような……」

 ねえ、まだ教わりたいことが、たくさんあるんだから、もうちょっといっしょに。

「ああ、心残りはあるが、楽しかった。あり、がとな……」

 そう言って、師匠は沈黙した。それきり二度と口を開かなかった。

「待ってよ、師匠! ねえ、師匠! 僕は師匠のことをお母さんだって、そう思って」

 僕はただ泣き叫んだ。一晩泣き叫んだ。

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