死神さんの初デート【カクヨムコン10短編】

episode 3

「ねえ、平気？」

「へ、へい、き」

　木椅子に寄り掛かったまま顔を上げられず、ウェネは呼吸を整えようと必死になっていた。フィカが背中をさすってくれてもまだ気持ち悪い。

「あの列車、直角に落ちてなかったか……」

「そうね。そういう乗り物だったみたい」

　乗り込んだ列車は曲がったり落ちたり登ったりを不規則に繰り返す線路の上を凄まじい勢いで走ったのだ。なぜ乗客全員、叫びながらも楽しそうなんだ。そしてなぜフィカは平気なんだ。心底疑問で仕方ない。

　臓器が口から出そうで、ウェネは目を閉じ、深呼吸をすると再び瞼を開いた。

「あ」

「えっ？」

　小さな影が目の前を駆け去り、二人が同時に声をあげた。

　すると二人の左右を小さな無数の黒いモノが次々に走り過ぎていく。

　フィカがヴァイオリンを爪弾くと、すぐそばの一つが転んでその後ろのモノがそれに躓いた。だが走るモノはどんどん増えていく。フィカが舌打ちして素早くヴァイオリンを肩に当てた。

「死神の使役魔だわ」

「使役魔!?」

「高格の死神（爺婆様）達は自分で魂を迎えに来たりしない。使役魔を使うのよ。でもなんでこんなに」

「まさか！」

　視線を三百六十度回して標的の姿を探す。すぐに見つかった。しかし——

「まずいフィカ！　目標は標的だ！」

　無数の使役魔が向かうのは標的と男性の方だった。ウェネは杖を宙で一回しし、使役魔の前に小さな電雷を起こす。だが続々と集まる使役魔の数が多すぎる。

「止めるぞ！　ここで標的の魂を持ってかれるわけにはいかないよ！」

　電雷を落とし続けながらウェネが叫ぶ。

「何言ってるの！　死神はその人の死期を変えることはできないのよ？　いくら試験でも」

「わかってる！　でもいいのかよ!?　あんな楽しそうだったのに想いも伝えず終わらして！」

　フィカは言葉に詰まった。標的の女性の様々な表情が脳裏に蘇る。恥ずかしげな瞳。ためらいがちに話しかける様子。男性の言葉に頬を赤らめ溢れる笑顔。

　——いいわけがない。

「罰は一緒に受けてよ。ウェネ、私の耳、一分だけ聞こえないようにして」

「え？」

「いいから！」

　細く息を吸って弓をヴァイオリンに当てる。人外の存在だけに聞こえる響きであらゆる音のレトリックを奏で始める。

　最も低い弦を基軸に減増両音程の不協和音を繰り返す。そこから不穏な半音階（パッスス・ドゥリウスクルス）で使役魔を硬直させ、音階上行に変えて奴らを宙に浮かせる。

　視界の端でウェネが方陣を描き呪文を唱えている。死神に魔法をかけるためには高等術式が必要だ。

　弓を返し高速で十三度の跳躍下行を鳴らし、悪鬼達を地に叩きつける。まだフィカの耳に聴覚が残る。時折不規則に休符（静止）を挟んで相手の動きを止めながら、さらに開始音をずらして二度進行を二回。使役魔が恐れる十字架の音形。

　——今だわ。

　自分が弾いている半音の連続が聞こえなくなり、耳が感覚を失ったのを確かめて、弓を勢いよく滑らせた——短音階からの長三和音（ピカルディー）。

　続けざまに音の波が最も美しい比率になる純正な和音（天使の響き）。

　使役魔達が、一瞬にして空間から吹っ飛んだ。

「フィカ！」

　ウェネは術を解いてフィカに駆け寄った。今の和音はフィカしか出せないが、死神が天使の響きを聞けば、自身にも害を及ぼしてしまう。

「う……」

　よろめいたところをウェネに抱き留められたフィカの呼吸は荒く乱れていた。灰色の睫毛が小刻みに震える。

「待ってろ、標的は僕が」

　言いながらウェネが走り出そうとする。しかし言葉の終わりが轟音に遮られた。

　突風が巻き起こり道を突き抜けたのだ。フィカは風に打たれた頭を押さえ、もう片方の手でヴァイオリンを胸に押し当てた。ウェネも姿勢を保つのがやっとだ。木々は大仰に揺れ、太い枝や幹が折れそうなほどしなる。

「標的は!?」

　なんとか顔を上げて標的がいた方を見ると、二人の姿がない。あるのは大きな車輪——観覧車。

　いくつも籠を下げた車輪の回転は止まり、どの籠も風で左右に揺れている。籠と車輪を繋いでいる金具がガシャガシャ鳴るのが地上にまで聞こえた。

　ウェネは色とりどりの籠を遠隔視しながら必死で標的を探す。

「あそこ、あの一番高いとこの籠！」

　フィカが叫ぶ。しかしその時、またも後方から観覧車目掛けて使役魔が集まって来た。

「くそっ、まだ諦めてなかったのか！」

　ウェネは左手に杖を構えた。攻撃姿勢でフィカも宙に浮かび、標的のいる籠を見上げる。

　何かが、風に舞い上がる。

　——手紙！

「フィカ!?」

　自分の肩の高さに浮かんでいたフィカが突然急上昇した。突風が長衣を煽り、飛翔するフィカの体を弄ぶ。白く細い腕が抵抗に抗って伸ばす先で薄黄色の紙が踊る。もがいて掌（てのひら）を開いたフィカの腕からヴァイオリンの弓が滑り落ちた。

「フィカ！」

　迫る使役魔に背を向け、ウェネは箒を呼び出しながら地面を蹴り、飛び上がった。