死神さんの初デート【カクヨムコン10短編】

episode 2

「……ネ。ウェネ、着いたわよ」

　頬を触られる感覚を覚えて瞼を開けると、森とはうって変わって視界が明るい。見下ろしているフィカの顔が影になり、その向こうに橙色を帯びた太陽が見えた。

　体を起こして見回してみれば、ウェネの座っていたのは桃色の石でできた小洒落た噴水の縁で、周囲には人間の姿がいくつもあった。

「ここ？　フィカが標的の思念から見たのは？」

「ええ、間違いないわ。この時代の建造物とは違うものがちらほらあるの。思念の中に見えた通り」

　フィカは腰に手を当てて首を回した。色とりどりに飾り立てられた奇妙な建物が広場を囲んでいる。作り物の馬が棒に固定されて回転する円形の東屋は空色の屋根を持つし、極彩色の巨大なティーカップは人を載せて轟音を立てながら回っている。

「歴史書で読んだわ。確か、娯楽施設よ」

「そいえば、授業でやったな。人間が日常を忘れに来るんだっけ？　で、標的（ターゲット）はどこかな」

　ウェネはピアスを耳から外すと飾りが下になるようそれを摘み、軽く指で突いた。錐形の紫水晶が揺れ、右斜めの方向を指す。

　そこには木製の長椅子に女性が座っていた。茶色の髪と目。標的だ。ウェネがニヤリとする。

「転移魔法は得意なんだよね——あれ？」

　女性が立ち上がる。彼女の視線の先を追うと、男性が右手を上げて近づいてきていた。女性も軽く会釈する。

「フィカが読み取った恋人かな」

「バカね。あれはまだ恋人じゃないわ」

「え？」

　並んで話す二人を見ながら、フィカの呆れ声が続く。

「標的の緊張した感じ、わからない？　笑ってるけれど硬いわ。男性の方はそこまででもないけれど……ほら、歩き出したのに手も繋いでない」

　フィカの言う通りだった。標的は男性と並んで歩いているようで、よく見れば半歩ほど後ろにいる。さらに標的は鞄の紐を不自然に強く握り締めていた。

　ウェネはその中を透視する。

　鞄の奥に薄黄色の長方形が見えた。封筒だ。

「まだ恋人同士じゃない、わね」

「あ、そっかぁ」

　意味深なフィカの流し目を受け、ウェネはぽん、と手を打つと嬉々として話し出す。

「恋文じゃん？　それ渡せなくて失恋とか！」

「でも二人で遊びに来てるなら死んだ後まで引きずる失敗なんて……」

「いいから尾（つ）けてこう」

　標的と男性はどんどん遠ざかっていく。ウェネはフィカの肩を叩いて促し、後を追った。

　標的たちは施設内の乗り物に次々と乗って回っていった。回転ティーカップや木馬、作り物の川を進む小舟と、目についたものには乗ろうという調子だ。おかげでウェネとフィカも手当たり次第に乗っていくことになる。

　標的を見逃さないように人混みを抜けるのは難儀だ。人間に死神と魔法使いの姿は見えないが、二人の方は人間にぶつかりたくない。

　標的と男性は、ぎこちなさがあるものの娯楽施設を満喫しているようだ。男性はたまに冗談を言ってみたりするし、長く歩いた後には座ってホットショコラを飲んでいたりするし、かと思えば二人して屋台の蜜がけ揚げパンひとつを交替で頬張りあったりしている。

「これは間違いないね。今日、恋文渡して告白だ。それ渡しそびれるのを防げばいいわけだな」

「そう、ね。彼女、すごく嬉しそう」

　女性の瞳は不安げな色を見せる時が多いが、実に楽しそうな笑顔も混じる。顔を赤らめたり吹き出したり、表情がころころ変わって忙しい。

　それがフィカの眼には眩しく映った。

「僕の思った通りだよ。よし、楽勝」

「それはいいけど、妙にここ、小悪鬼が多くない？」

　自信満々なウェネをよそに、フィカは地面や茂みに眼を走らせ、ヴァイオリンを短く鳴らした。F—H（ファ—シ）のトリトヌス（三全音）、悪魔の音程だ。茂みの裏にいた小悪鬼は音に反応してひっくり返り、一目散に逃げていく。

「うん。理性壊す習性の悪鬼（やつ）が多いね。だからか人の念もそんなんばっか」

　ウェネが指を鳴らすと、二人の背後にいる小悪鬼が飛び上がる。

「楽しさとか喜びも多いのに、残念ね」

「子供たち笑顔なのにもったいないよ……あっ、フィカ早く！」

　前方の標的と男性が走り出したのを見て、ウェネがフィカの手首をぐいと掴む。フィカは前のめりになって「きゃ」と叫んだが、転ぶ直前にウェネに抱き留められた。

「わ、ごめん！」

「いいから早く！」

　真っ赤になったフィカの顔には気づかず、ウェネはそのままフィカの手を繋いで駆け出した。

　標的達は幅の狭い線路に停まる細長い車に乗り込むところだった。線路の先は次第に傾斜を急にして上行し、その天辺の向こう側が見えない。見えないのだが、その先と思われる方向から日常ではありえない絶叫が聞こえる。

「ねぇ……これにも乗る気？」

「え？　怖い？」

「怖いわけないでしょ。でも……」

　車の最後列の席にウェネはもう足を突っ込んでいた。フィカは二列組の座席を見て呟く。

「だって、これ隣と……席近い……」

「え？　聞こえないよ、ほら早く」

　ウェネは車の発車音に焦ってフィカの腕を引っ張った。力に耐えられず倒れ込んでくるフィカの体を受け止める。

「ちょっとなに、離してっ」

「だったら早く座れよ、出ちゃうぞ」

「わかったわよっ！」

　ウェネを引き離してフィカが座席に腰を下ろした瞬間に、列車は動き始めた。