第2話ㅤ気にしないでね天野さん!

 現在、2限目の数学の時間である。小テストを実施すると先週金曜日に予告されてから、この週末はかなり勉強してきた。これは第1回から高得点かな、なんて慢心していた。けれどその考えは甘かった。いや、俺は何も悪くない。まぁまぁ気になるレベルの頭痛が思考の邪魔をしているだけであって……。


 「さっきこれやったような……。でも……」


 甘く澄んでいる呻きにも似た呟きが、隣の席から聞こえる。カンニングが疑われない程度に右隣をチラ見すると、やはり天野さんが頭を抱えてペンを握りしめていた。彼女は理系科目全般が大の苦手らしく、数学の授業中は特に酷い。1番最初の数学の授業は本当に大変だった。急にバケツをひっくり返したような雨が降るもんだから、どっかで倒れて保健室に運ばれたんだよな……。天野さんの秘密を知ったのもその時だっけ。


 ぼーっとしていると、机間巡視をしていたはずの先生がいつの間にか教壇の上にいた。パンッと手を合わせて小気味いい音を鳴らしつつ、大きく口を開いた。


「はい終了! テスト用紙後ろから回してくださーい。終わった人から休み時間どうぞ」


 ようやく終わってくれたか。まぁ、平均よりは上の点数を取れているだろう。いい感じいい感じ。


 後ろの人から紙を受け取る時、天野さんと目が合った。整った顔を青くしている。天気の様子を見るに、あまり自信がないらしい。さっきの休み時間の焦り方は半端じゃなかったもんな……。ワークの答えを丸暗記しようとしてた昴よりも落ち着きが無かった。


 提出を終えた天野さんは、俺の方を向いてなんだか申し訳なさそうに顔を歪めている。俺があげた小テストのアドバイスを活かしきれなかったのだろうか。とになく、何か話したいことがあるのは読み取れた。話しかけようと口を動かす、よりも先に天野さんの机の周りに女子が集ってきた。


「虹ちゃーん! テストどうだった? 私はねー!」


「問4まじむずかったんだけどー。解けた?」


 休み時間の度に、誰かしら彼女の机の周りにいる。女子の会話に混ざれるほど、俺は器用な人間じゃない。天野さんがたじたじしながら会話しているのを指を咥えて眺めるしかないのだ。


「晴……彦……。俺はもう……ダメなのかもしれない……」


 昴がゾンビみたいにとろけて俺の机にへばりついてきた。なんだこいつ。


「ワークの答え見たところで勉強になるわけがないだろう。大人しく地道にやることだ」


「今年も頼りにしてるぜ……相棒……」


「自分でも努力しろこの馬鹿」


 よっぽど点数が悪かったらしい昴の口から魂が出てるのが見える。天野さんの力を今の昴が持っていたら、どんな天変地異が起こるのだろうか。


「空本さん……!」


「はいはい……。勉強なら付き合う……か、ら?」


 違う、この声は昴じゃない。まず昴は俺の苗字を忘れてるはずだから……。ゆっくりそちらを見てみると、天野さんが俺の机に手をついて、泣き出しそうな顔をしていた。後ろの女子の視線が刺さる。


「天野さんどうした? ……あっ! はいはい借りてた教科書のこと!? 廊下のロッカーにあるからちょっと付いてきて!!」


 ここでは言えないことなのかもしれない。咄嗟に嘘を付いて廊下に駆け出した。困惑しているだろう天野さんも大人しく跡を追ってくれている。


 もちろんロッカーに用事なんてない。滅多に人が来ない教室から少し距離がある多目的室まで来た。


 少し息が荒い天野さんは真っ直ぐこちらを見ている。体力ないなこの子。


 息を整え、いきなり頭を下げてきた。


「さっきはごめんなさい! テスト、邪魔しちゃいましたよね……。一生懸命楽しいこと考えようとしたんですけど……」


 何についての謝罪が一瞬考える。あれか、天気のことか。天野さんは俺の身体の特性について知っている。この子、テストそっちのけで俺の体調心配してくれてたのか……。支障がなかったと言ったら嘘になるけれど、別に天野さんが悪い訳じゃないから本当に気にしてなんかいない。


「いや、大したことなかったから大丈夫だよ。あれより酷い日なんてザラにあるし。つか、頑張ってくれてたんだね。ありがとう」


 くよくよしていたって仕方ない。80点と100点の評価は俺が目指すA以上であることは変わりないし。それよりも天野さんが笑顔でいてくれる事の方が重要だ。今は泣きかけてるし、どうしたもんかな……。


「俺、理系なら結構得意だからさ。勉強手伝うよ。ね? だから大丈夫。ほら、泣いたら雨降っちゃうよ」


 女子が喜ぶ文句が分からない……。癪だけど姉貴に教えてもらおうかな……。けれど、頭痛はかなり軽減された。ちょっと持ち直してくれたらしい。


「……ありがとう、ございます。空本さんがいてくれて良かったです」


 へら、と笑う。眩しい。そうだこの子美少女だった。と、その時、スピーカーからチャイムが鳴り響く。まずい、授業が始まってしまった。


「すぐ戻りましょう! 次の授業はなんでしたっけ」


 天野さんは駆け出す。待て。一緒に戻ったら、また俺と天野さんの間に変な噂が立つかもしれない。ただでさえ大変な彼女の足枷になるのはとても嫌だ。


「俺、ちょっと時間ずらして戻るから先戻ってて。優しい先生のはずだし、少し遅れても平気だから」


 納得してくれたらしい天野さんは少し頷いて廊下に出ていった。なんだか少し頭痛が酷くなった気がするけど。気の所為だろう。多目的室の椅子に座って、姉貴へ女子の扱い方を訊く為の自然な言い訳を考えながら、少し時間を潰した。


 

 




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