第一章 3 母、強し
* 3 *
「――*%$#%」
「あぁ、うん。お願い」
何を言っているのかわからないが、何を言いたいのかはだいたいわかるようになってきたソフィアにそう答えると、可愛らしい笑顔を見せた彼女は思った通り焦げ付かないよう鍋を柄杓でかき回してくれる。
家に入ってから一時間半ほど。
窓の外はすっかり暗くなっていて、家にあった材料で俺はとりあえずの夕食を完成させつつあった。
今日の献立はカレー。
千夜だけならともかく、三人になった人数分と、たぶん今日はお袋が帰ってくるからその分と思ってつくった量はけっこう多く、姿だけじゃなくメイド的機能も備えているソフィアに手伝ってもらって、明日くらいまでの量を寸胴いっぱいにつくっていた。
千夜には手伝ってもらっていない。
包丁くらいは握れる彼女だが、今日はあんまり時間を掛けられなかったし、基本不器用なため手伝ってもらうとむしろ効率が落ちる。
――お袋が帰ってくる前に、今晩エルにどこで寝てもらうか考えないとな。
お袋に紹介するとしても、タイミングを見て千夜の友達としてがいいか、と考えながら対面式になってるキッチンの向こう、ダイニングテーブルで向かい合うように座る千夜とエルを見てみると、明け放ったリビングとの仕切りの扉の先のテレビを見ながら、いろんなことを話しているようだった。
全体的には暗く深刻な顔をしているのに、食事ができるまでと思って置いておいた煎餅を食べて一瞬ながら碧い瞳を輝かせているエルは、俺が想像したキャラクターであるはずなのに、初めて会う女の子のようにも見えていた。
「そこの棚からお皿を出してきてくれ」
「――&%$」
了承らしい返事の後、俺の背後にある棚からカレー皿を持ってきてくれるソフィア。
その枚数は、四枚。
「……ソフィアも食べるのか?」
「――#$%」
何かを言った後、頷く彼女に、皿を受け取った俺は炊きあがったご飯を盛りつけていく。
――そう思えばストマックエンジンとスメルセンサーを搭載してたんだっけ。
アルドレッド・ソフィアだったときは、必要な物質を空気から収集してゆっくりながら自己修復する機能があると設定していたが、レディモードを追加する際に、食事をして物質収集を早めることができると言うのと、味を感じることができるようにしていたのを思い出した。
「さぁ、できたぞ」
俺とソフィアでカレーライスを盛りつけた四枚の皿を運び、それぞれの椅子の前に置く。らっきょうは切らしてるために福神漬けだけを小瓶に小さなトングをつけて出して、あり合わせのサラダと取り皿も並べた。飲み物はエルが気に入ったらしいお茶にして、全員分新しいものを注ぐ。
「やったーっ。和輝のカレーだ。久しぶりー」
「これは……、カレーという食べ物か」
「あー。たいしたもんでもないぞ。市販のルーにちょっと手を加えただけだし、今日はアレンジするような材料もなかったし」
「あたしは好きだよー、和輝のカレー。普通のでもさ」
妙にはしゃいでる千夜や、難しい顔でカレーの皿を見つめているエルにスプーンを配り、椅子に座る。
「いただきます」
「――*%&」
「……いただきます」
俺と千夜のいただきますの声に合わせるように、そういう情報も調べていたのかソフィアの声が被り、その様子を見ていたエルもまた真似て言った後、カレーを食べ始める。
「こっ、れは……」
予想はしていたことだったが、ひと口カレーを口に運んだエルの瞳が輝き始める。
千夜と話しながら煎餅を食べていたときは誤魔化そうとしていたみたいだが、今度は二口目三口目と運ぶ手が止まらず、隠すこともできないらしい。
「……エルってさ、美味しいもの好きだよね」
「そっ、そんなことは!」
千夜の指摘に金の髪を振り乱しながら左右に首を振るエルだったが、俺がまだ半分の食べていないのにすっかり空になってる皿があるんじゃ、説得力がない。
「お代わりならあるぞ」
「う! あ、う!」
立ち上がった俺の顔と空の皿を見比べるエルは、千夜の指摘に恥ずかしがっているのか、素直に答えられないようだった。
「そりゃあまぁ、和輝のカレーはワタシが教えた以上に美味しいから、お代わりの二回や三回、当然よねぇ」
「あっ!」
不意にリビングの入り口からかけられた声。
驚きの声を唱和させた俺や千夜ではもちろんなく、振り向いているエルでもソフィアでもないその声は、俺のお袋だった。
「お邪魔してます、輝美(きみ)さんっ」
「あぁ、いいのよ、千夜ちゃん。しかし今日はなんだか賑やかねぇ。見知らぬ顔がふたりもいるし。何よ和輝、女の子ばっかりじゃない。根暗でヒッキーな貴方にモテ期でも来たの? ハーレム展開?」
言いながら厚手のコートを脱いでコート掛けに引っかけたお袋、早乙女輝美(さおとめきみ)は、白いカジュアルシャツにジーンズというラフな格好でダイニングに入ってくる。
フリーのファッションデザイナーという微妙にわかるようなわからないような仕事をしているお袋は、帰らないことも多いくらい仕事に出ていて、今日は帰るだろうってことはわかっていたが、もっと遅い時間かと思っていた。
玄関の扉が開く音でも聞こえていたらまだ時間があったかも知れないが、エルの様子に気を取られて、不意打ち的に帰ってきたお袋からふたりを隠す暇がなかった。
千夜に軽く手を上げて挨拶した後、お袋はソフィアとエルのことをじっくりと眺める。
――まぁ、お袋なら大丈夫か。
見つかったものは仕方ない。いまさらだと思って俺はふたりのことを誤魔化すのを諦めた。
「そっちの子はロボットなのかしら? こんな精巧な上に自律行動できる人型ロボットなんて実用化されてたかしら? そっちの子も人間じゃないみたいだし――」
最後は呟くように言いながらエルに顔を近づけるお袋。
「なんだ。確かエルディアーナちゃん、だよね? この子。コスプレってわけでもないみたいだし、凄いわね。本物よね?!」
正面から横から後ろから、興味津々でエルの様子を眺めているお袋に、見られているエルは怖々と避けるようにしていた。
俺がマンガを描いてお金を得るようになったのは、中学のときが最初だった。
いくつかのことで親の同意が必要だったこともあって、お袋は俺がマンガを描いていることを知ってるし、いま描いてるエルディアーナの物語である同人誌も、読ませろと言われているので新刊が出る度に渡している。
エルのことも、お袋は知っていて当然だが、よくも名前まで憶えているものだ。
「ふむふむ。まぁなんかよくわかんないけど、何かよくわからないことがあったのね。あったことはどうでもいいか。詳しいことは後で聞かせてもらうってことで。エルちゃんは戦乙女なんだし、行く場所ないんでしょ?」
「えぇっと、……はい」
「だったら和輝に客間準備させるから、とりあえず今日はそこに泊まりなさい。その後のことは後で相談する、ってことで。こっちで生きるための生活用品だってないんだろうし、どーせ貴女がここにいるのは和輝の責任なんだろうし、責任を持って和輝に準備させればいいし、服はワタシが用意するし」
「しかしわたしは――」
「いいのいいの。やったことの責任は自分で取れ、ってのが早乙女家の家訓だから。その通り和輝に責任取らせりゃいいのよ。服は……、とりあえず手持ちでエルちゃんが着られそうなものがあると思うからそれとして、他はもう、いろいろ気合い入れて選ばないとね! 金髪に碧眼! 身長もあるしスタイルもいい!! 千夜ちゃんも可愛くて大好きだけど、エルちゃんも綺麗でとっても素敵! 今度モデルにでもなってもらおうかしら? ロボットの子もいいわねぇ」
息子である俺が聞いてても頭痛くなってきそうだが、お袋は大雑把と言うか、物怖じしないと言うか、細かいことは気にしない。
繊細さについてはいまは海外にいて当分帰る予定のない親父が持ち合わせているので、お袋とのバランスが取れてるのかも知れないとか思う。
出くわしたときにはどうなるかある程度予想してはいたが、お袋はエルとソフィアのことを自分なりに納得したらしい。
たぶん打ち上げか何かがあった後で、お酒を飲んできてるらしいお袋のテンションはいつもよりもさらに高い。
ニヤニヤした顔で迫られて戸惑っているエルには不幸かも知れないが、エルをリアライズして、たぶん当分は俺の家か千夜の家に住んでもらうことになるだろうと思っていたんだ、このタイミングでお袋にバレたのは悪くなかったかも知れない。
「とにかくまっ、夕食にしましょ。お腹空いちゃったぁ。ワタシの分とエルちゃんのお代わり、よろしくね、和輝。それからビールも!」
「……わかった」
何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべて言うお袋に了承の言葉を返して、まだ困惑の表情を浮かべているエルの前から皿を奪うように取って、俺はキッチンへと向かった。
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