第一章 2-2 和輝の部屋、オタクの根城


 部屋の扉を開け、携帯端末で照明を点けた途端、背後から息を飲み込むような音が聞こえた。

 気にせず俺が部屋に踏み込んでいくと、千夜に続いておそるおそると言った感じでエルが入ってくる。


「いったい何なのだ、この部屋は……」


 驚いているのか呆れているのか、微妙な声音のエルの言葉は気にしないことにする。

 部屋の両サイドの壁のほとんどは天井まである棚が占有し、部屋の奥手の窓には最近開けた憶えのない分厚いカーテンが引いてあって、照明を点けても薄暗さを感じる。

 窓の前に置いた天板の広い机の上には、据置端末用のモニタが三枚、横につなげる形で並べてある。


 何よりエルが呆れているのは、机の上と言わず、分類ごとに整頓して棚に納めてある本の前と言わず置いてあるものだろう。

 いろんな場所にクリスタルケースに入れて飾ってあるのは、様々なフィギュア。

 美少女ものを中心に、ロボットやアメコミものなど、素材もつくりも様々なフィギュアたちが、俺の部屋の中には溢れていた。


「この人形たちはなんなのだ……」

「あんまり触らないでくれよ。けっこう壊れやすいから」

 左の棚に近づいて、並んだ美少女フィギュアを顔を顰めて眺めているエルに、一応注意しておく。


「けっこう散らかってるんだね。和輝らしくない」

「そりゃあな。今朝方まで原稿にかかりきりだったからな。……誰かさんのせいで」

「うっ……」


 次に参加する同人誌即売会の原稿は、今朝方上がって印刷所にネット経由で送信したばかりだ。原稿が当初の予定より遅れて、机の上や床に整理が追いついていない紙や資料が散乱しているのは、千夜が関わってる部分に時間がかかったからだった。


 目を逸らして知らない振りをする千夜にため息を漏らして、俺は右の棚から何冊かの本を取り出す。

 それは俺がつくった「放浪の戦乙女」の同人誌。

 二次創作ではなく、俺オリジナルの本であるそれを、エルに手渡す。


「信じてもらえるかどうかわからないけど、これが一応エルが俺の作品の登場人物である証拠。ひと通り読んでみてくれ」

「他に確か、設定絵とか新刊の下絵を印刷したのあったよね?」

「それはそこ。後で順番に渡してやってくれ」


 神妙な顔で受け取ったエルに、千夜が部屋に入り浸る用に持ち込んだクッションを示してやると、彼女はそれに座って、膝の上に置いた本を開き始めた。

 読んでもらってる間に、俺は据置端末の電源を入れ、ソフィアの上書きリアライズ用の絵を描く作業を始める。

 落書き程度に描き溜めていたロボットのストックから千夜に好みのものを選んでもらい、希望する感じにアレンジを加え、以前彼女に送信したソフィアの立像画像を修正する形で新しい頭部に変更する。他にも言われた希望を取り入れて、俺はボディの変更にも着手した。


 ――そう思えば。

 思いの外手を加えるところが多くて時間の掛かった作業に終わりが見えてきたところで、ふと思い、俺は顎髭をさすりながら考える。

 ――ソフィアの機能とか、エルの能力は、どうやって得たんだ?


 ソフィアのハートフルジェネレータやインビジブルモードはあくまでコメントとして書き添えたもので、絵に反映されてるものじゃない。

 さらには自律行動については書いていたが、どの程度のことができるかについては書いてなくて、しかし千夜の家の庭へと移動するときのソフィアは、千夜の言葉以上の意図を汲んでいるような、人間と遜色のない判断能力があるように見えた。


 エルに至っては、リアライズしたのはあくまで寝姿の絵で、コメントすらなかった。それなのに彼女は作中の能力である鎧の召喚をやってのけていた。

 そもそも絵をリアライズしたはずなのに、生きている人間――戦乙女だが――を生み出すなんてことは、描いていない内部構造、さらには記憶までを反映していないとできるものじゃない。


 ――リアライズプリンタはもしかして、絵を現実に実体化させるだけのものじゃないのか?

 そう思った俺は、ソフィアの立像画像に、ストック絵から新たな画像を呼び出して重ね、コメントを付け加えてみる。千夜にも確認し、設定追加のことを告げる。


 作業が終わり、画像の送信が終了した後、エルの方を見ると、読み終えたらしい本や資料をクッションの上に積み重ね、立ち上がってフィギュアの一体に注目していた。


「これは……、わたしか?」

「そう。知り合いになった造形師から造りたいって話があったから、こっちから設定画像を送って、販売を許可する代わりに一番出来がいいのをもらったんだ」


 エルが顔を近づけて見ているのは、エルディアーナのフィギュア。

 けっこう有名な同人造形師に造ってもらった、第一部のクライマックスで仮とは言え魂の伴侶を得、秘められた力を発揮し、剣帝フラウスの力を引き出したときの姿。ハイ・ヴァルキリーとなったエルディアーナのフィギュアだった。


 家の中だと邪魔なのでいまはアーマーだけを解除して最初のアンダーウェアの上に上着などを重ねた普段着スタイルの彼女だが、ハイ・ヴァルキリーの彼女は鎧を纏った姿とも違い、より神々しい印象があった。俺が設定絵を描いたものとは言え、造形師の腕が光る素晴らしい出来だと思う。


「やはりわたしは、貴方の生み出した想像上の存在なのだな……」

 何かを堪えるように、エルは唇を噛む。


「本を読んで、どうだった?」

「わたしが旅をした様子が描かれていた……。それだけでなく、途中からはまだわたしが経験したことのない時間、次に行こうと考えていた場所で起こる話になっていた」


 リアライズしたあのエルの寝姿は、第二部の第二話と第三話の間の時間と設定して描いていた。

 第一部のラストで魂の伴侶として決めた勇者を、魂を砕かれて失い、悲しみに暮れて眠る彼女の姿だった。

 だからだろう、最新は今度出る新刊で第二部七話になるが、彼女の記憶は二話の後までしかない。


 フィギュアから目を離し、俺を見たエル。

 でもすぐに視線を外して、泣きそうでも、悲しそうでもなく、困惑とやるせなさと、諦めが綯い交ぜになったような瞳で言う。


「和輝。貴方が言った通り、わたしは貴方の物語の登場人物だ。――しかしわたしは、まだ信じられない。いや、信じたくない。本当にわたしは、そのリアライズプリンタというもので実体化した存在なのだろうか? と思っている」

「いまからどうやっていまのエルが生まれたのか見せるよ。千夜」

「うん。取説は読み終わったから、やり方は大丈夫だと思う。できるかどうかはちょっと不安だけど、ねぇ……。まぁともかく、暗くなる前にやろ」


 俺の部屋のマンガを読んでいた千夜がぴょこんと立ち上がって言う。

 ふたりを伴い、俺はソフィアが待つ千夜の家の庭へと向かった。

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