惑溺

ネイビーファング

第1話

 何処かで人間の船が遠吠えを上げている。それに向かって、私は海を泳いでいく。


 夜の人間は狩りやすい。自らの巣をわざわざ光らせながら、空も海も濃紺に沈んだ中を悠々と進んでいるのだから、水底からでも容易に見つけられる。

 夜空に散る星の様にでもなりたかったのだろうか。馬鹿だなあ、誘蛾灯でしかない灯火は、自ら寄せ付けた羽虫に喰われるしかないのに。


 流氷に紛れ船底に近付いて、爪で一突きすれば、後は沈むのを待てば終わり。私が一声吠えて離れた場所に居る仲間の増援が来てしまえば、後は機動力も無ければ重厚な甲羅も無い非常用の小舟を襲うだけの簡単なお仕事だ。この寒い季節、人間は海に落としてしまえばあっという間に動かなくなる。何とも楽な狩りだ、魚の群れを追い回していた頃が懐かしい。



 ゆらりと船に近付いて、大きな爪の付いた鰭を振りかざす。



 ……ただ一つ、問題があるとするなら。私は憧れてしまった。昔襲った大きな船、そこで見つけた物。「写真」と呼ばれるそれに写る夜の人間の街並みは、海原と流氷しか知らない私には眩しすぎた。目に焼き付いて、心を掴んで離さなかったのだ。

 獲物に過ぎない生き物の巣に夢中になるなんて、私も相当な馬鹿だ。群れの仲間に話を零せば、冗談だと笑い飛ばされてしまった。それでも、私の心に灯った光は、依然として炎を上げていた。



 私は狩りの先鋒隊、一番代わりの効く捨て駒。

 ……行方を眩ませても、誰も気にしないよな。なんて、考えてしまった。



 唄声一つ差し出せば鰭を手足に替えてくれる魔法なんて無い。群れが海を知らない人間を喰らう様に、街に辿りつけば陸を知らない私も瞬く間に人間に殺されるかもしれない。それでも良かった。


 火に恋焦がれた夏の虫は、炎に巻かれて死ぬそうだ。それなら私も憧れに飛び込んで、一等綺麗な泡になって死んでやろう。



 振り下ろした鰭が切り裂いたのは、氷点下の水だった。濃紺を進む流星に、私は誘われて進んで行った。




惑溺

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

惑溺 ネイビーファング @Navyfang0222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画