備えあれば・・・【ショートショート】

「家具を固定し、避難リュックを用意する。それが命を守る最善策です!」


講師の声がホールに響く。

真剣な目をした参加者たちがメモを取る中、僕も小さく頷いた。

「これ以上、地震に振り回される人生はごめんだ!」


数年前、棚から落ちてきた百科事典に頭を直撃され、気絶した経験が僕を防災オタクに変えたのだ。

「次は絶対に備えてやる!」


家に帰ると、僕は即行動に移した。


家具を壁に固定


水を段ボールで購入


避難リュックに詰めたもの:


・チョコ味のカロリーメイト


・懐中電灯


・非常用ブランケット


・百科事典(「奴へのリベンジだ」と呟きながら)


リュックを背負い、鏡の前で自分に言う。

「完璧だな!」


しかし、翌朝になって同僚にツッコまれるまで、僕の完璧な備えには致命的な欠陥があった。


「お前、そのリュック、どこに置いてんの?」

「え? 家にだけど?」

「地震が来たら取りに行けるのかよ!」


その発想はなかった。


翌日から僕は毎日リュックを背負って出勤することにした。

だが、それが新たなトラブルの始まりだった。


電車では後ろの乗客に文句を言われ、エレベーターではリュックがドアに挟まり、上司には「お前は山登りにでも行くつもりか?」と呆れられる。


ついに上司に呼び出された。

「お前、リュックの中身を見せてみろ」


渋々リュックを開けると、百科事典がドンと出てきた。

上司が額に手を当てる。

「……お前、防災リュックに百科事典を入れるって、どういう発想だ?」


僕は焦りながら答えた。

「その……万が一避難所で暇になったら……」


その瞬間、上司の目が細くなり、部屋の空気が一気に冷え込む。


上司はため息をつき、ポツリと呟いた。

「お前がここにいるだけで避難所みたいだな。周りが疲れるって意味で」


同僚たちの笑い声が響く中、僕は心の中で思った。

『地震よりも、この職場の人間関係が先に俺を潰すかもしれない』


それでも僕はリュックを背負い続ける。

だって、備えあれば憂いなしって言うだろ?

ただ、憂いを感じるのが人間関係だなんて聞いてなかったけどね。

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