グラスの引力【ショートショート】

タナカは、会社帰りに立ち寄ったバーのカウンターで一人グラスを傾けていた。

いつものウイスキーの香りも、今日は妙に重く感じる。


「人生って、結局なんなんだろうな」


ぽつりと漏らしたその言葉に、隣の男が反応した。


「お、哲学か?それとも飲みすぎて哲学者になった口か?」


タナカは少し驚いたように男を見た。

「……いや、ただの愚痴だよ」


「愚痴の先に哲学はあるものさ」

男は軽く笑いながら、自分のグラスを揺らした。


タナカは少し間を置いてから続けた。

「今日、同僚に言われたんだよ。『友情って人生で最強の力だ』ってさ」


男は目を細め、ウイスキーを一口飲みながら首をかしげた。

「ほう、それで?」


「なんだか、その言葉が妙に引っかかっててな」

タナカは肩をすくめた。

「本当にそんなもんなのか?」


男はグラスを置き、興味深そうに微笑んだ。

「友情ってやつか。それなら物理的な話で説明してやろう」


タナカは思わず眉をひそめた。

「物理的に?また妙な理屈が出てきたな」


男は指を一本立てて言う。

「友情には二つの力がある。まず、引力だ」


「引力?」


「どんなに遠く離れてても、困ったときに引き寄せられるだろ?『助けてくれ』って頼んだら、友達は何かしら動いてくれる。それが友情の引力だ」


タナカは軽く頷く。

「確かにな。それ、俺も経験あるわ」


「そしてもう一つが反作用だ」


「反作用?」


男は笑いながら続けた。

「友情ってやつは、与えると必ず返ってくる。『助けて』って言えば助けられるし、『ありがとう』って言われれば自分も嬉しくなる。それが友情の反作用ってわけだ」


タナカは笑いながらグラスを置いた。

「お前の話、なんか物理というより自己啓発書っぽいな」


男は肩をすくめた。

「まあ、どっちにしても、人生を動かすのは人間関係ってことさ」


タナカは新しいウイスキーを注文し、それを男の前に滑らせた。

「ほら、引力だ」


男は驚いたようにそのグラスを見つめ、静かに笑った。

そして自分のグラスを持ち上げ、小さく乾杯の仕草をする。


「引力はわかった。あとはこの友情に反作用があるかどうかだな」


タナカもグラスを持ち上げながら言った。

「いや、友情ってやつは先に与えるものらしいぜ」


男は目を細め、笑いながらウイスキーを飲んだ。

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