交渉のプロは今日も商談中【ショートショート】

銀行内、午前10時34分


「金を詰めろ!逃走車を用意しろ!」


黒いマスクをつけた男が銃を振り回し、怒声が響き渡る。震える従業員、硬直する客たち。


その中、一人のスーツ姿の男が静かに立ち上がった。


「あ、どうも。交渉人のタナカです」


その一言が場の空気を一瞬だけ和らげたが、男の銃口はすぐにそのスーツ男に向けられた。


「お前、何者だ!どうやって入ってきた!」


「私は、あなたの計画を成功させるためにここにいます。まず、計画について教えていただけますか?」


「カネだ!それと逃走車!」


「なるほど。では、逃走車について少し詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか?スピード重視ですか?それとも燃費?耐久性も考慮すべきかもしれません」


「なんでもいい!早くしろ!」


タナカは軽くうなずきながらポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見せた。


「例えばこちらのSUVはいかがでしょう?燃費が良く、トランクが広いので荷物もたっぷり積めます」


タナカの交渉は続く。


「おい、ふざけるな!」


「ふざけていません。本当に適切な車を選ばないと、追跡を振り切れない可能性があります。例えば、高速道路を使う予定ですか?それとも裏道を選びますか?」


「……裏道だ!」


「それなら、車高の低いスポーツカーは避けるべきですね。裏道は凸凹が多いので、底を擦るリスクがあります」


男の額には汗が滲み、銃を持つ手が微かに震えていた。


「そんなことどうでもいい!早く車を呼べ!」


タナカは微笑みを浮かべたまま続けた。


「色はどうしますか?黒や白は目立ちにくいですが、赤なら逆に目を引くので、追跡者を分散させる戦術にも使えます」


「もう黙れ!俺の計画は完璧なんだ!」


「なるほど。ただ、途中でガソリンが切れた場合、どうしますか?また、渋滞に巻き込まれた場合の対応策は?」


男は視線を泳がせ、ついに言葉を失った。

「……そんなの考えてない……」


「計画に穴があると、成功の確率が大きく下がります。それでもこの計画を進めますか?」


その一言に、男の膝が崩れた。

銃を手放し、彼は呟いた。

「……もう無理だ……」


その後。


警察の突入部隊が男を制圧し、店内が静寂を取り戻す。拘束されていた従業員と客たちが解放される中、タナカもようやく自由の身となった。


深い息を吐きながら、ネクタイを緩める。

「ふぅ……終わった……」


額の汗を拭きながら、心の中で独り言をつぶやく。

「なんで俺が交渉人のフリなんか……。普段の営業トークがこんなところで役立つとは思わなかったけど、本当に心臓が止まるかと思った……!」


口には出さず、ただ空を見上げる。

「二度とこんな商談はごめんだ……」


それでも、ふっと口元に笑みを浮かべた。

「……まあ、あのSUVの良さはちゃんと伝わったと思うけどな、さすが俺」

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