手のひらのうえで【ショートショート】
「なあ、スズキ。お前、最近課長にやられてるらしいな」
昼休み、タナカが缶コーヒーを飲みながら声をかけてきた。
「やられてるって……ただの評価だろ」
「いや、あれは圧力だ。上司の言うことを真に受けてたら、すり減るだけだぞ」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ」
「非公式のメンターを探せ。上司を攻略するのに、上司だけに頼るのは愚の骨頂だ」タナカは、まるで人類史に残る秘密でも伝えるように言った。
その日の午後、僕はタナカの言葉を頭に浮かべながら、周囲を観察した。
自由に振る舞っているように見えて、課長から一切叱られない人間――それが、ミズタニさんだった。
「効率よく働きたいんですけど、コツとかありますか?」
勇気を出して声をかけると、ミズタニさんは湯気の立つ湯飲みを手に、静かに微笑んだ。
「上司がいない時だけ本気を出すんだ。それが基本」
「課長の前では流せってことですか?」
「そう。課長が見るのは自分の報告書だ。そこにミスがなければ問題ない」
「でも、それで本当に評価されるんですか?」
「評価される相手を選べばいい。課長の上、つまり部長だよ」
その言葉には、不思議な説得力があった。
次の日から、僕はミズタニさんのやり方を実践してみた。
課長の指示は表面上従い、成果物は部長に直接届ける。
すると、あれだけ厳しかった課長が僕を見る目が変わった。
数週間後、昼休み。
課長が僕に声をかけてきた。
「最近、調子がいいじゃないか。誰かに教わったのか?」
「ええ、まあ……」
「ミズタニだろう?」
「えっ?」
「いいか、覚えておけ」
課長は薄く笑いながら続けた。
「お前が部長に見せた成果、その評価は結局、俺の手柄として吸い上げられる」
僕は思わず聞き返した。
「どうしてそんなことができるんですか?僕は部長に直接――」
課長は肩をすくめながら答えた。
「部長が直接見るのは結果だけだ。その結果にどうやって辿り着いたかなんて、俺が口を挟めば簡単に書き換えられる。例えばこう言うんだ。『スズキのアイデアは、私が方向性を示したおかげで実現した』ってな」
僕は絶句した。
「つまり、僕の報告も……課長の成果として処理されるんですね」
「そうだ。上司がそう主張すれば、部下の成果は上司の手柄になる。それが会社ってものだ」
その夜、僕は考えた。
非公式のメンターを探す。
上司を出し抜く。
自分だけが特別な成功法則を手に入れたような気がしていた。
でも――
「誰かの教えを鵜呑みにしてる限り、結局すべてが手のひらの上なのかもしれない」
自分が歩む道は、課長、ミズタニ、そして部長が交互に差し出す「手のひら」の上だった。
手のひらの外を目指すには、誰にも頼らず、自分だけの道を作るしかないのかもしれない。
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